第八話
「……状況から見て、この魔石化症候群と同じことが、僕の身体で起きているのかもしれない。」
そう言って、エリオットはなみなみと注がれたお茶を慎重に口に運び、飲み干していく。
その間、自分のものではない精神的な揺れが波のように押し寄せてくるのを感じた。
胸が詰まり、心臓の鼓動が早くなっている。
「ぷはっ」と、お茶を飲み切ると、エリオットの頭が冷えていった。
(……はっきり言いすぎたかな。)
口を軽く手の甲で拭いながら、エリオットは眉根を寄せた。
短い期間で、いつ起こるか分からない異変。
昨晩も自分の体を使ったとはいえ、遅くまでスクロールを読み解き、疲れているフェンリルに、結果的に追い打ちをかけるようなことを言ってしまった。
エリオットは心苦しくなって、視線を下げる。
どことなく重くなってしまった雰囲気に、エリオットは頭を軽く掻きながら、控えめに口を開いた。
「……あの、フェンリル。ごめん、矢継ぎ早に。」
そう言いながら、姿見の前の椅子に腰を下ろした。
その間、フェンリルからの返事はなかった。
互いの意思疎通のひとつになっている心の波も、特に変化は感じない。
「フェンリル?」
先ほどまでの積極的なやり取りから、急に静かになりエリオットは戸惑った。
つながりが突然消えたようで、不安になる。思わず姿見に椅子を近づけた。
映るのは自分の不安そうな顔だけ。
「……聞こえてる?」
たまらず再び声をかけると、自分の目が驚くように見開いた。
エリオットは、いつもなら勝手に動かされる体に戸惑うはずが、今に限っては安心感すら覚える。
頭の中に聞き慣れてしまった低い声が響いた。
『……!あぁ、悪い。お前が色々と教えてくれた事を踏まえてスクロールをどうするか考えていた。』
フェンリルは、エリオットの声に返事をした瞬間、波が引くような感覚を感じ取った。
共有している視界越しに、姿見に映るエリオットを見る。
(……こいつは何年生きている?フィオナと同じくらいなら二十年か、そこらか。)
ふと、そんなことを考えたのは、エリオットが今にも泣きだしそうな子供のような表情だったからだ。
その顔には見覚えがあった。
(母親が病気で死んだときの、フィオナの顔だ。)
最初は肝が据わっているように見えていた。
だが、魔族側の知識と人間側の知識を擦り合わせていくうちに不安になったのだろうと察するのは容易い。
フィオナも、ようやく泣けたのは母親の墓前だったな、とフェンリルは思い出す。
(……子狼の姿の頃は、擦り寄れば良かったんだが。)
やり取りの幅が広がった分、伝える難しさに内心頭を抱えた。
しかし、言わなければ伝わらない、と以前おせっかいな側近が言っていた事を思い出す。
(言わなければ、伝わらない――か。)
彼は軽く笑いながら、息を吐いた。
肩の力が抜けたフェンリルは、たどたどしくエリオットの口を開いた。
「—―エリオット。大丈夫だ。」
鏡の向こうの相手と自分自身に言い聞かせるように、フェンリルは静かに言った。
向けられた信頼に、自分が応えられると鼓舞するように。
そして、自分を信頼しても大丈夫だと、エリオットを安心させるように。
定刻となり、エリオットの意識は眠りについた。
フェンリルは、静かに目を閉じ、深く呼吸をする。
窓から見える茜色の空は、徐々に青紫色へと変わっていく。
呼吸音しか聞こえない静寂な部屋で、彼は先程まで交わされていた会話を思い返していた。
『つまり、俺の魂である核が、お前の魔力で出来た仕切りの魔力を集めた結果、仕切りが弱くなった。――それでお前の魔力の貯蔵庫に俺の魔力が漏れ出して、お前は魔力過多になった。』
『……本来ならお前の言う通り、魔術師は貯蔵庫の魔力が溢れると体に魔石が出てくる。だが、俺は今生きているから、核の魔力は魔石にはならない。その代わりに俺の種族としての特徴が、お前の身体に浮かび上がっている、というわけか。』
エリオットは、フェンリルの言葉の節々で頷きながら話を聞いていた。
「僕もそういう事だと思ってる。身体に影響が目に見えている以上、隊長に言われなくても早く解決した方が良い問題なんだと思う。」
『……ま、あの隊長はいけ好かないが、お前の頭やら尻に俺の耳やら尻尾が生えてきたら流石にな。』
フェンリルは、不満そうに小さくため息を吐いた。
『……あぁ、でも動物好きなフィオナは喜ぶかもしれないが。』
「それは僕の人間としての生活に関わるから、本当に頼むよ?」
鏡の前で狼狽えるエリオットの様子にフェンリルは少し笑った。
『さて、今夜が勝負だ。スクロールの仕切りの項目を俺の魔力で作り変える様に書き換える。それであの隊長にも殺されず、これ以上お前の体に変化も起こさせない……』
「—―やってやるよ。」
エリオットの身体を通して、フェンリルが強い口調で言う。
鏡の向こうに映る、その表情は、ニヤリと不敵に笑っていた。




