第五話
「昨日は大丈夫だった?」
フィオナが、カーテンを開けて朝日を部屋に入れた。
「んん……。」
エリオットは、その光で呻きながら、重く、腫れあがった目を開き始めた。
「急に入ってしまってごめんなさい。ノックをしても返事が無かったから……。」
申し訳なさそうな彼女に、エリオットは首を横に振る。
「伝えなかった僕らが悪い。実は今日から3日間休みをもらったんだ。……少し、調子が悪くてね。」
「え?大丈夫?」
「うん、だからフィオナも離れた方が良いよ。大丈夫、待機期間が終われば良くなるから。」
良くなっている筈だと、願うようにエリオットは言った。
昨晩、いつもより遅くにエリオットは宿屋に帰宅した。
食事処の接客をしていたフィオナに声をかけることもなく、そのまま自室へ行ってしまったようだ。
その、いつもとは違う行動に、なにか理由があるのだろうとフィオナは思う。
しかし、「大丈夫」と言い切る彼に、それ以上言えることがあるとするのなら。
「……分かった。困ったことがあったらいつでも言ってね。」
ただ、それだけだった。
フィオナは、気持ちを悟られないように笑う。
朝食に作ったサンドイッチを置いて、エリオットの部屋を後にした。
ベッドから降りたエリオットは、姿見の前へ椅子を移動させる。
(やっぱり目が腫れてる。)
エリオットは顔を鏡に近づける。開きづらいと感じた原因は目ヤニだった。
(……モフモフが泣いていた?いや、まさかね。)
一息ついてから、少し行儀が悪いかもしれないと思いつつ、トレーを膝の上に置いた。
サンドイッチを見ると、腹の虫がぐぅ、と情けない声を上げる。
それに思わず笑いながら、エリオットは「いただきます」と手を合わせた。
サンドイッチを両手に持つと、顔を鏡に向ける。
ふぅ、と息を吐いて、口を開く。
「今日は凄く静かだけど、これからどうする?」
すぐに返答はなかった。
エリオットは、はしたない気もしたが食欲には勝てない。
大きな口を開いて、サンドイッチを頬張る。
おそらく昨日の夜は何も食べなかったのだろう。
エリオットの体は唾液を出して喜んだ。
『……悪かった。』
咀嚼している音で、聞こえないほどの小さな声。
「……?ごめん、なにか言った?」
エリオットは、サンドイッチを飲み込んで聞き返した。
『俺の存在が、お前を蝕んでるとは思わなかった。……だから、悪かった。』
いつもの覇気が全くなく、皮肉もないモフモフの声が聞こえる。
それをモグモグと咀嚼しながら、エリオットは聞いていた。
『確かに昨日の事は驚いたし、正直怖いとも思ったけど……、謝るのは隊長がお見舞いに来た時でいいよ。それより原因は分かってるの?』
切り替えの早さに、エリオットの顔を動かす程モフモフは怪訝な表情を浮かべる。
「ちょっと、せっかく作って貰ったご飯を食べているんだから、変な顔させないでくれる?」
エリオットは、鏡に向かって文句を言った。
『あ、あぁ……悪い。』
(そういえば、エリオットは俺と出会ってすぐに自分ごと俺を殺そうとした奴だった。)
モフモフの中で、エリオットは変な所で踏ん切りのつかない人間だと思っていた。
だが、思い返せば出会った当初、踏ん切りのつかないどころか、ろくに話も聞かずに突っ走っていた。
それを思い出して、モフモフは今、その認識を改めた。
『どうしてそんなに切り替えられる?お前は俺のせいで死ぬかもしれないんだぞ?』
エリオットは、サンドイッチから落ちそうなレタスを唇で器用に引っ張り、もぐもぐと食べていた。
「でも、まだ死んでない。――ねぇモフモフ、君がこの間言ったんじゃないか。「人間は弱い。支え合わずにどうやって生きていくつもりなんだ」ってさ。」
エリオットは、机の上に置いたコップに手を伸ばした。
冷たい水が乾いた喉を潤す。
コップから口を離すと、エリオットは鏡をまっすぐ見つめて、語り掛けた。
「君は今でも魔王のつもりかもしれないけど、僕の中に入った時点で今までと同じ振る舞いはできなくなった。そうでしょ?だから君も人間みたいなものなんだ。僕らは支え合わなければ、生きていけないよ?」
「……ねぇ、フェンリル。これからの話をしよう?」
『原因は分かっている。俺たちがこうなった原因の魔法—―共生の魔法だ。』
エリオットは、食べていたサンドイッチを口から静かに離した。
真面目な顔で頷き、話を促す。
「確か君の仲間がかけたもの、だったよね?」
『あぁ、俺の仲間のフギンという魔族が、もしもの為にかけていた魔法だ。こいつはフギン個人の――完全に新しく作成された魔法なんだが――』
それを聞いて、エリオットは驚きで目を丸くした。
「それは……すごいな。魔法は知識しかないけれど、他人の体に対象の魂を入れる魔法だろう?その人……いや、魔族はとても優秀な方だったんだね。」
それに対して、フェンリルはどこか悲しそうに鼻を鳴らした。
『その言葉を本人に伝えてやりたかったよ。――……まぁ、ともかくだ。この魔法がお前の体に悪さをしていることは明白だ。スクロールを見直して、書き直す。それが一番利口だろうな。』
「あの、フェンリル。」
エリオットは、どこかバツが悪そうに視線を下げた。
「僕が魔法を使えないことは知ってると思うけど……そのせいで初級中級魔法の知識しか、家から教えて貰えてないんだ。……スクロールっていうのは?」
『確かにスクロールは複雑な魔法で使われるから、人間基準では上級魔法になるのか。』
ふぅん、とフェンリルは興味なさげに相槌を打った。
『別に知識なんて必要なければ知る事もない、必要があれば知ればいいだけの話だ。だから、そんな顔しなくて良い。――スクロールっていうのは、ようは魔法の設計図だ。』
「設計図……?」
『あぁ、上級魔法はとにかくあれこれ指示することが多いから、何個も何個も魔法を重ねる。あまりにも多いと、術者も魔法を解く時なんかに面倒だ。だから、それを書き留めた『魔法の設計図』ってところだな。』
説明を受けて、エリオットには一つ疑問が出てくる。
「あれ?でも、それは術者以外に見られたら……。」
『台無しだが、俺のもしもの為の魔法なのに、俺が見れなくてどうする。それに、そのもしもには、フギンがいなくなっている事も入ってるだろうよ。』
「もしもの、もしもって事か。」
『そういう事だ。正直な所、魔法に対して神経質だったあいつのするようなミスじゃないんだけどな。』
フン、とフェンリルは息を吐く。
『共生の魔法のスクロールは、お前の身体の主導権が俺に移った時間にしか見れないし、直せない。当分の間、その時間は長時間お前の体を使わせてもらう。構わないか?』
「もちろん、構わないよ。ほかに僕が出来ることはある?」
エリオットがそう言うと、フェンリルは『そうだな』とエリオットの体を動かして、サンドイッチを見つめた。
『この中にある草を抜いてくれ。青臭い。』
「それは断るよ。人間には必要なものだからね。」
エリオットは、くすくすと笑った。
そして、これがフェンリルの人間としての第一歩であるとでも言うように、大きな口でサンドイッチにかぶりついた。




