第三話
エリオットは、少し腫れあがってしまった額を擦りながら、執務室に向かっていた。
『まさか、あのタイミングで時間が来ていたなんて……全然気づかなかった。』
『まったくだ。あの衝撃でも眠りこけてたのが、逆に凄いぜ。』
モフモフの皮肉げな声に、エリオットは口を曲げる。
『痛みを肩代わりしてくれたんだろう?それから冷やしてくれてたってフィオナからも聞いたよ。……感謝してる。』
その言葉に、まんざらでもないため息が聞こえた。
今朝、打ち切られた宿舎の話をフィオナと改めて話をした。
「私は君たちが、この宿屋で下宿する事は全然かまわないよ。むしろ嬉しい。」
彼女は笑いながら言った。
その言葉を思い出し、エリオットは歩きながら、つい小さく笑って頬を掻いた。
(嬉しい……。嬉しいか……。)
胸に温かいものが広がっていくようだ。
通常業務を終えた後にもかかわらず、心なしか足取りも軽い気すらした。
その足は、急にエリオットの意思にかかわらず、立ち止まる。
思わずエリオットは、顔を上げた。
『おい、執務室ってそこじゃないのか?』
「あっ、うん。」
気が抜けて、つい返事を声に出してしまったエリオットに、モフモフは呆れる。
『浮かれすぎだ。あの隊長に宿舎の件を言うんだろ?表情が緩んでるぞ。』
両手が勝手に動き、エリオットの両頬を軽く引っ張る。
「いふぁいいふぁい!わふぁったって」
エリオットは、ぱっと離された手のひらで頬を撫でた。
『……君って結構、先に手が出るよね。』
エリオットは、初めてモフモフと出会った時の事を思い出す。
『何か言ったか?』
『いや、なんでも。』
そんなやり取りをしながら、エリオットは口角を指で解して、表情を引き締めた。
一度深呼吸をして、執務室の扉にノックをする。
コンコン、と小気味の良い音の後に「エリオットです。」と声を上げた。
しばらくすると、扉の向こうから「入れ。」という応答を聞いて、エリオットは静かにドアノブを回す。
「失礼します。今日はお時間をいただいて――」
「こっちも悪かったな。本当なら業務前に話を聞ける予定だったんだが、今日に限って会議が入っちまってな。」
ロウェルは、入れ入れと手招きをする。
それに対してエリオットは、遠慮しがちに足を運んだ。
(……少し薄暗いな。)
窓から見える空模様はどんよりとした雨。そのせいか、いつもより幾分か執務室が暗い。
「隊長、部屋の明かりを――」
エリオットは部屋の灯りをつける為、魔石具に手を伸ばす。
「それは、まだ良い!」
ぴしゃりとロウェルが言い放つ。
いつにもなく強い口調に、エリオットは少しだけ体を揺らした。
「……それより、用事は?」
「え?ええっと……宿舎の事ですが。」
すぐにロウェルが、いつもの調子に戻る。
エリオットは動揺しながらも、口を開いた。
「自分は今の下宿先で下宿を続けたいと考えています。宿舎に移動することを断ることは、可能でしょうか?」
「ほぅ?お前の下宿先って言うと……この辺り唯一の宿屋、だったよな?そんなに住み心地が良かったのか?」
ロウェルは、肘をついて顎に手を沿わす。
「はい。もともと自分はあそこの近所で幼少期は過ごしていたので、慣れ親しんだ場所で。」
「なるほど――わかった、別に宿舎への移住は強制じゃないからな。慣れた場所で過ごす方が良いだろう。そのように担当部署に伝える。ところでエリオット、お前が来てから早いもんで半年過ぎたが、どうだ?仕事は。」
懸念していた宿舎の件が、あっさり解決した事にエリオットは内心胸を撫で下ろした。
「あ、はい。おかげさまで、何とか慣れてきました。」
「……なにか、変わったことはなかったか?」
ロウェルはいつもと変わらない気さくな笑顔で、エリオットに尋ねる。
しかし、その声はどこか探るような声色だった。
えっ?とエリオットは思わず呟く。
元々静かだった執務室は、更に静寂になり、部屋の温度が一気に下がった。
「そ、れは、どういう意味ですか?」
息が詰まりそうになりながら、エリオットはロウェルを見た。
ロウェルは椅子からゆっくりと立ち上がる。
「……匂うんだよ、ここんとこ。」
「匂う?」
「あぁ、なんつうか懐かしい匂いがするんだ。」
スンスンと、ロウェルが鼻を動かす音が聞こえる。
暗くて様子は見えづらい。
「……お前が近くにいると、特によく。な?――宿舎の件も、嘘じゃないだろうが、本当はまだ、理由があるんじゃないか?」
コツ、コツと近づいてくるロウェルの足音に、エリオットは汗が噴き出した。
(バレている。)
自分が、魔王フェンリルと、なにかしらのつながりがあると察せられている。
心臓が早鐘を打ち始め、ハッ、ハッと呼吸が浅くなっていく。
「僕は……っ!!」
「—―エリオット、もういい。他の奴がいない今ここで、いっそ話した方が手っ取り早い。」
エリオットの意思とは無関係に口が開いた。
モフモフの言葉に、エリオットは内心焦って言葉を失う。
(話した方が良いって、一体どう切り出せば……。)
しかし、いつの間にか目の前に移動してきたロウェルは、特に動揺することなく、 鋭い目でエリオットをまっすぐに見つめている。
「……そっちは話が早いな、隠すことはやめたのかい?」
「……思い出したんだ、その顔の古傷。俺に唯一接近戦に持ち込んだ人間だ。」
その言葉にロウェルは目が鋭く光った。
「……つまり、お前は魔族だな?……エリオットに何してくれてんだぁ?!」
その言葉は怒りに満ちて、静寂の中に響いた。
次の瞬間、ロウェルは音もなく剣を抜き、モフモフに向かって鋭く切りかかった。
薄闇に一閃が走る。
モフモフは扱い慣れないエリオットの剣ではなく、自身の魔力を瞬時に使い、鋭い剣撃を魔力の壁で弾いた。
キィン!という金属音が部屋に響き渡る。
ロウェルは弾かれた勢いのまま後退し、憎らしくモフモフを睨みつけた。
「もう一度聞くぞ、魔族—―……エリオットの体に何しやがった?」
モフモフは、そのあまりの気迫に汗が流れる。
「あぁ……なるほど、武に優れたものは気配で敵を察知すると聞いたことがある。……その要領で感じていたのか、俺の魔力を!」
感心したように呟くモフモフに、ロウェルは苛立ちを隠さず、再び剣を振り下ろす。
「俺の質問に答えろッ!!」
先ほどよりも、さらに鋭さを増すその剣は、正確にモフモフを狙っている。
モフモフは、すぐさま魔力の壁で防戦へ持ち込もうとする。
だが、ロウェルは壁の中心を剣で押し、剣と壁の間のわずかな隙間まで詰めてくる。
「まさか、まだ魔族がいるとはな……お前らはそうやって、人間を乗っ取って生きているのか?エリオットは最高の器だろうよ、だがなぁ!!」
ロウェルは、一度剣を大きく振り上げると、それから何度も何度も壁を叩く。
そのうちに壁はひび割れが走った。
ロウェルはその隙を見逃さず、ひびを狙うように、力強く打ち付けるように剣を振るう。
最終的にパンッ!という軽快な音共に、魔力の壁が粉々に割れた。
「っ……!!」
衝撃で右腕が弾かれる様に仰け反る。
砕けた魔力の破片は、空気中に溶けて消えた。
(嘘、だろ……っ?!)
モフモフは動揺するも、体勢を立て直そうと後退するが、その隙を突き、ロウェルはモフモフを床に押し倒した。
辛うじて、受け身を取って身をよじろうとするも、ロウェルは、すかさずモフモフの上に乗りかかり、刃をモフモフの首に向けた。
「これで終わりだ。――答えろ、エリオットに何をした?」
モフモフは、ロウェルを睨みながら固唾を呑む。
ここから抵抗しようにも、エリオットよりも体が大きいロウェルには力づくでは無理だ。
舌打ちをしようとしたところで、耐えきれなくなったエリオットが声を張り上げた。
「隊長、私の話を聞いてくださいっ!!」
その表情は、打って変わって怯えの色に染まる。
ロウェルは一瞬目を丸くするも、すぐに眉をひそめた。
「エリオットの真似なんかしやがって……お前ら魔族はどこまで人間を馬鹿にすれば気が済むんだ?」と冷たく言い放った。
いつも飄々としているロウェルの怒りや嫌悪の籠った表情に、エリオットは歯が鳴りそうなほど恐怖を感じる。
だが、誤解は解かないといけない。
肩で息をしながら、震える口を開いた。
「ぼ、僕はまだ……魔族に乗っ取られていません!隊長を口封じで殺す気があるなら、魔族がこんな防戦になるはずないじゃないですか!!」
そのエリオットの切迫した声に、ロウェルの眉が少し動く。
眉間に皺をよせ、目を閉じて、深く息を吐く。
そして再び、訝し気にエリオットを見つめるも「……手は拘束させろ。」と苦々しく言った。




