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境界の灯  作者: えるま
境界の灯

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第十三話

 その日、フィオナは少しだけ不機嫌だった。

 二週間前から、父親と一緒に宿屋の備品を補充するために町に行くと決めていたのに、少し前から酷い嵐が来るという天気予報が出たからだ。

(……せっかく楽しみにしていたのに)

 フィオナは小さく頬を膨らまして、納得いかない様子で窓の外を見つめる。

 もちろん、フィオナは留守番になった。

 父は「お土産を買ってくるから」とフィオナを諫めて、本格的に天気が悪くなる夕方までに帰ると足早に町へ向かった。


「……父さん、遅いなぁ。」

 日も暮れて次第に風が強まり、窓を打ち付ける雨も酷くなってきた。

 嵐の影響で臨時休業になった宿屋は、いつもの喧噪が嘘のように静まり返っている。


 母は、夕飯を準備しながら「そのうち帰ってくるわよ。」と何でもないように言っていた。

 フィオナはいつ父親が帰ってきても迎えられるように、玄関が見える窓から外を見ている。

 窓に流れる水滴が、流れては消えていく。

 日もすっかり落ちて、フィオナが寝る時間になっても父親は、帰ってこない。

 流石に瞼も重くなって、うつらうつらとし始めた頃にコンコンとドアからノックのような音が響いた。


 びくりと肩が震えて、慌ててフィオナは目を覚ますが、父親だったらすぐに家に入ってくると思い直してため息をつく。


 外を見れば天気はさらに荒れていて、強い風で窓もガタガタと鳴り出している。

(……母さんの言う通り、今日は泊ってくるのかな。)

 カーテンを閉めて部屋に戻ろうと立ち上がる。


 コン…コン…、とまたドアから音がした。


 最初は木か何かがドアに当たっているかと思っていたフィオナは違和感を覚えた。

 少しだけ立ち止まって、その音に耳を澄ませる。


 コン…コン…


 一定の間隔でドアに何かがぶつかる音が聞こえる。

 フィオナは恐る恐る玄関に近寄ると、丁度戸締りをしようとしていた母と鉢合わせした。

「いい加減寝なさい、フィオナ。」

 呆れたように母親はフィオナを窘める。

 彼女は軽く首を振った。

「私もすぐに寝るけど……母さん、ちょっと外の音聞いてみて。」

 玄関を指さして母に伝える。

 その様子に、母も気になったのか首を傾げながら、二人で並んで耳を澄ませた。


 コン…コン…


「……さっきからずっと、この音が聞こえるの」

 母は、眉を顰めた。

「木とか、風で飛んできたものが当たる音じゃないの……?明日の朝に確かめればいいでしょ。早く寝なさい。」

 そう軽く言い切り、寝室に行くように母が言っている間もノックのような音が続いている。

(でも、ずっとずっと同じ音がするなんておかしいよ。)

 嫌な胸騒ぎが、フィオナの心臓の鼓動を自然と速めた。


「……お母さんごめんなさい!少し見るだけだから!!」


 居ても立ってもいられずフィオナは玄関のドアに向かって駆けだした。

 母親は「フィオナ?!」と叫ぶ。

 いつも以上に冷え切ったドアノブを、慎重に回してドアを開くと途端に冷たい風がフィオナを襲った。


 彼女の長い髪が舞い、首に寒風が流れて一気に首を竦める。

 背中から聞こえてくる母親の怒りのこもった声が近づく気配で、彼女は素早く外を見回すと、ドアのすぐ近くにそれはいた。

 雪のおかげで微かに明るい中見えるそれは、真っ黒い毛玉のようだった。

 風とは関係なく、ドアに向かって体当たりをするように微かに動く。


 ――…コン


 フィオナがドアを引いている為、距離が足りずノックは一回だけ。

(……生きてる!!)

 フィオナは素早くそれを両手で抱えると、寝間着と羽織っていた上着に包み、急いでドアを閉めた。

「母さん!!生きてる!!」

 叱ろうとしていた母親の声をかき消す勢いでフィオナは叫んだ。

「早く温めなくちゃ!!」

 自然と抱きしめる腕に力が入った。


「……大丈夫だからね、元気になって。」

 フィオナは、微かに震えるそれを両手で包み込む。小さな体は微かに震えている。

 その温もりを確かめる様に、優しく撫でながら足早に移動した。

「ここにタオルと桶、用意しといたわよ……お湯は今沸かしてるからね。」

 先回りしていた母が、既にフィオナが用意しようとしていたものを洗面所に揃えていた。

「ありがとう、母さん。」

(準備が早い……流石だなぁ)

 フィオナは母を尊敬しつつ、彼女は眉を潜ませる。

「……騒がせちゃってごめんなさい。母さん、明日早いでしょう?あとは多分大丈夫だから……。」

 フィオナは遠慮しがちに言う。

 明日は、宿が忙しくなるかもしれない。

 それに父親もいつ帰ってくるか、わからないなら猶更早く休んで欲しい。


 フィオナのそんな気遣いが分かったのか、母親は軽く息を吐く。

「……わかった。じゃあ先に休むから……何か困ったら呼ぶのよ?」

 そう言い残して母は洗面所を後にした。


 母親の足音が遠ざかり、フィオナとその黒い生き物は一人と一匹だけになる。

 お湯が沸くのを待つ間、震えていたそれは、フィオナの胸元で少し温まったのか体温を微かに感じるようになった。

(良かった……)

 フィオナは胸を撫で下ろす。


 しばらくすると、お湯も沸いてフィオナは「待っててね」と小さな体をタオルに包み、用意してもらった桶に蛇口の水と鍋のお湯で丁度いい温度に調節する。

「……狼、だったんだね。君は」

 丸まった体をほぐすと、モフモフとした毛並みの下のしっかりとした骨格と尖った耳、長い鼻先……その生き物の正体が狼だという事が分かった。


(少し、まずいかもしれない。)


 狼は、この村では厄介者だ。

 特に冬眠をしない彼らは今の時期、山を下りて家畜を食べることも少なくない。

 きっと村の人たちは、狼と聞けば容赦しないだろう。


「でも、今そんなこと関係ないよね。」

 自分に言い聞かすように、フィオナは呟いた。

 助けを求める様に、うちのドアを叩いていたこの子を助けないという選択肢なんてフィオナにはなかった。


(こんなに冷えて……ここまで来るの大変だったよね。)

「ゆっくり入れるからね。」

 フィオナは優しく話しかけながら、その狼をお湯に入れる。

 狼はびくりと体を震わしたかと思うと、次第にお湯の温かさが体に染み込むように体を柔らかくさせた。

 体温も氷を解かすように温まり、気持ちよさそうに「クゥン」と一鳴きした。

 その様子に、フィオナも一安心して微笑む。

「気持ち良かったんだね……本当に良かった。」

 安堵の吐息が湯気に溶けていった。


 狼は、鼻をひくひくとさせるとゆっくりと瞼を開いた。

 フィオナに支えられた頭が僅かに動き、状況を確認するように周りを見渡す。

「……大丈夫だよ。」


 狼が何を思っているかは分からなかったが、不安だという事は分かる。

「次の事は元気になったら考えよう?だから今は……安心して?」

 言葉が通じるわけない事は分かっている。

 けれど、不安そうな目で周りを見る彼にそう伝えずにはいられなかった。

 フィオナは、大丈夫だよと伝える様に狼の身体を優しく撫でると、疲れも出たのか狼はそのまま目を閉じる。


(……今はゆっくり休んでね。)

 相変わらず、激しい風の音が窓を打ち付けている。

「早く止まないかな……。」

 狼を優しく、起こさないようにそっと拭いた。

 湯冷めをしないうちに小さな毛布で包んで胸に抱きながらフィオナは不安そうに言った。


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