第十一話
「……フィオナ、やっぱり駄目だった。」
ノックされた扉を開くと、目の前にはモフモフがいた。
だが、いつものような余裕そうな表情はない。
いつもの軽口は影を潜めている。
事情の知らない人間が見れば、エリオットと間違えそうなほど気落ちした顔つきだった。
(モフモフがこんな顔するなんて……)
フィオナは、一瞬だけ悲痛な顔をするが、すぐに口を開いた。
「中、入って。」
彼女は、だらりと垂れた彼の腕を引いて自分の部屋へ入れた。
「……昨日、言っていたことだよね?」
フィオナは、モフモフを心配そうに見つめる。
「……とりあえず、フィオナがやっていたことを思い出して、朝挨拶したんだよ。」
ソファーに座ったモフモフは、項垂れて、ため息をついた。
「そしたら、最初は寝ぼけて挨拶を返してくれたんだが……すぐ目が覚めて、怯えられた。」
「そっか……」
(……エリオットが怯えるのは当然かもしれないけど、彼も彼なりに努力をしてくれている……私は、なんて言葉を掛ければいいんだろう。)
言葉が見つからず、フィオナは黙ってしまう。
先に口を開いたのは、モフモフだった。
隣に座るフィオナの手を彼の大きな手が包む。
「フィオナ、やっぱりコイツの事教えてくれよ。……俺は何も知らないんだ、コイツの事。」
低く、押し殺した声で言ったが、微かに震えていた。
モフモフは、フィオナの手を強く握る。
必死な形相に、フィオナは驚いた。
昨日求められた時とは違い、やられたからやり返す。という事ではなく本気で知りたがっているという事が表情から分かった。
(……でも。)
怯えているというエリオットの事を、自分が彼に教えても良いのだろうか。
でも、もしかしたら、その情報で彼とエリオットとの関係が少しは前進するかもしれない。
フィオナは、迷う。
助けを求める様に手を握る彼の力になりたい。
けれど、エリオットの事が心配な気持ちも、どちらも本当に思っていることだから。
(けど、こんなに辛そうな彼も見たくないよ……)
そんな彼女の心情を察したのか、モフモフは一瞬眉を顰めるが、唇を嚙みしめて目を逸らす。
「……なら、写真だけで良い。それならエリオットにも言い訳しやすいだろ?」
そう言った彼の声はどこか乾いていた。
(――……やっぱり、お前もエリオットの事が大事なんだよな)
わずかに肩を落として、目を伏せる。
彼は、口を歪めて無理に笑みを浮かべた。
フィオナの手を握っていた手から力が抜けた。
その表情を見たフィオナは、彼が何かをあきらめた事に気づいた。
震える口をわずかに開く。
はっきりとした判断ができなかった自分が情けなくなった。
「……ごめんなさい。」
泣きそうになるのを堪えて、彼女は小さく、呟くように言った。
「……でも、エリオットの写真はあまりないかも」
少しだけ気まずくなった雰囲気にフィオナが気を使う様に口を開く。
彼女は、古そうなアルバムを一冊抱えてくると机の上に置いた。
少し重量感のあるページを捲れば、そこには幼少期のフィオナや既に亡くなった父親の写真が数多く収められている。
「――…どうだろうな、フィオナのお母さんは写真機を弄るのが好きだっただろ?俺がここに来たばかりの時は、結構撮られていたからな。」
パラパラと捲っていくと、目的の写真が現れ始める。
モフモフは、ほらな。と軽く笑った。
幼いフィオナとエリオットが仲良く並んでいる写真。
遊んでいる写真。
確かに思ったほど数は多くなかったが、誕生日を祝っている写真もあった。
エリオットがケーキのローソクの火を消している周りにフィオナと、フィオナの父親が笑顔でそれを見つめている写真。
その写真を見てモフモフは違和感を覚えた。
改めて他の写真をもう一度見回すと違和感は疑問に変わる。
「……なぁ、フィオナ。エリオットの親はどうした?」
そのキラキラとした思い出が写された写真たちは見る人が見れば家族写真だと誤解するかもしれない。
なぜならエリオットの家族が全く写っていないからだ。
一枚だけなら、ただ遊びに来ていただけで写真を撮られた。それでも良かったが、それが不自然なまでにエリオットが写っている写真すべてがそうなのだ。
誕生日の写真ですら、そこにエリオットの家族の姿はなかった。
魔族は誕生日どころか家族というものでさえ希薄な種族だが、モフモフが見てきた人間の、フィオナの家では誕生日は家族で祝うものだという認識だった。
それをエリオットは、他人の家で祝っている上一緒に写っているのはフィオナの家族だけだ。
フィオナは少しだけ表情を曇らせる。
それに気づいたモフモフは「言いたくなかったら……」と言いかけると彼女は軽く首を左右に振った。
誕生日を祝う写真を懐かしそうに見つめて、指でなぞる。
「……エリオットがここに引っ越してきたのは……家族が、魔術師の有名なお家だから。」
モフモフはフィオナを驚いた顔で見つめた。
(魔術師の……家?いや、それよりも……)
「確か、人里と魔物の生息地の境界線が近いこの地域の守りを固めるため……だったかな。」
先ほどまで、エリオットの事を言い出しづらそうにしていたフィオナが、少しずつ話し始めたことに、モフモフの口から疑問がこぼれる様に出てくる。
「……どうして教えてくれるんだ?」
モフモフの疑問にフィオナは顔を上げる。
思っていたよりも近づいてアルバムを覗いていた二人はお互いの顔を見つめた。
「私は、あなたたちに仲良くなってもらいたい。」
はっきりとした声色でフィオナは言った。
青い瞳がモフモフを見つめる。
「……ただ……これは、そう、独り言。っていう事にして。」
暖炉のぱちぱちという音が静かな部屋に響いた。
「……エリオットは確かに、魔術師の名家の生まれだけど魔法が上手に使えないみたいで、家族から良い扱いを受けていなかったみたい。」
(なるほどな……通りでコイツの魔力の質も、量も、申し分ないわけだ。)
以前、剣士である筈のエリオットの身体から感じた、役職の割にはありえない魔力の貯蔵量と質について、モフモフは納得した。
「……だからこうして、エリオットはフィオナたちと一緒にいるんだな。」
「お父さんがお節介だったから、そんな噂を聞いてエリオットの顔を見る度に遊んで来いって私にお小遣いをくれたんだ。それでよく近所のパン屋さんとか一緒に行ったっけ……」
フィオナは、その時の事を思い出しながら懐かしそうに話す。
(フィオナのそういう部分は父親譲りみたいだな。)
モフモフは小さく笑った。
そして、フィオナの独り言を聞きながら、静かにアルバムのページを捲ってはフィオナと、この身体の持ち主であるエリオットの思い出が色鮮やかに刻まれている写真を眺めていた。
モフモフが、写真機というものを知ったのはここに来てからだった。
フィオナの母親が、モフモフを撮って出てきた写真を見せてくれた時、彼は本当に驚いた。
人間は面白い事を考えると、その時はただ思っていた。
魔族には思い出を振り返る、なんてことは無かったから。
周りは皆、敵ばかりで生きるか死ぬか。
あるのは、生きるための今日と生き続けるための明日だけだと思っていた。
(だけど……)
モフモフは、羨望のような眼差しで笑顔の写真をなぞる。
(仲間は死んだ。)
思い出すのは、生前の彼らだ。
魔王フェンリルは、魔族の歴史である同族同士の争いや人間との争いに嫌気がさしていた。
それならば、争いをやめて人間や他の種族たちと共存する方向へと進もうと、国を作ろうと考えていた。
親人間派のフギンもその考えに大いに賛同し、国の基盤となる土地を探している最中に同族に襲撃されたのだ。
今思えば、敵だらけと言っても、自分の考えに賛同してくれた仲間たちが周りにいた、あの頃はまだ、心穏やかな日々だった気がする。
(こうしてあいつらの事を俺が思い出すことは良い……けれど)
魔族は人間よりも長い時を生きる。
モフモフだって、種族的にはまだ若い方だが少なくとも200は超えている。
何事もなければ、恐らくフィオナやエリオットの寿命が尽きても生きることになる。
「……お前はどうして、その姿でいるんだ?」
拠点にしていた洞穴で焚火にあたりながら、フェンリルはフギンに尋ねる。
フェンリルに背を預けて気持ちよさそうに寝ていた、黒髪の、まるで少女のような顔つきの青年はきょとんとした顔で声の方向に顔を傾けた。
「あぁ……、この姿ですね。ふふっ、綺麗な顔でしょう?」
人間に化けているフギンは、体を起こし、軽やかに笑うと自分の頬を軽く指すった。
その様子にフェンリルは呆れたように眉を顰める。
「まぁ……人間の美醜は知らんが、整っているんじゃないか?」
その答えにフギンは満足そうに笑った。
「この姿は、私が以前お世話になった魔女様の姿を模しているんです。」
フェンリルは、それで?という風にフギンを見つめた。
焚火の光がゆらゆらと彼らの顔を照らす。
フギンは焚火を見つめて、目を伏せた。
「これは自己満足ですが……忘れないため、ですね。」
彼は、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出す。
「……私たちは人間たちや他の生き物より、多少長生きでしょう?でも記憶はその分抜け落ちやすい。些細な……いえ、自分で些細だと思わずとも、記憶はどんどん朧げになっていく。私は、彼女を忘れたくない。だからこの姿をとっているんです。」
悲しそうに笑いながら、そう答えた彼の表情が印象的だった。
(……聞いたばかりの時は、さっぱり意味が分からなかったが……)
モフモフは、懐かしそうにアルバムを眺めるフィオナの横顔をちらりと見つめた。
(俺がフィオナを忘れたくないように、フィオナにも俺を覚えていて欲しい。……いや、俺は忘れられたくないのかもしれない。)
「あっ、ほら見てモフモフ。」
フィオナが上げた声に、はっとして、モフモフは慌ててアルバムに目を向ける。
そのアルバムの写真を見たモフモフは、目を見開いた。
「……モフモフの写真、ちゃんと整理してあったんだね。」
フィオナは笑いながら、アルバムのページに手を滑らせた。
そこには、子狼の写真が何枚か追加されていて、アルバムのページを飾っていた。
「っ……」
モフモフは小さく息を呑んだ。
(フィオナやフィオナの家族、エリオットの写真が入っているアルバムに……俺がいる?)
彼は、喜びで胸が熱くなった。
アルバムの上に置いてある彼女の手に彼は、自分の手を重ねる。
温度を感じた。
もう二度と会えない仲間たちを思い出しながら、モフモフはゆっくりと顔を上げて、フィオナをまっすぐに見つめる。
「モフモフ?どうしたの?」
困惑しながら尋ねた彼女の顔を見て、モフモフははっきりと自覚したのだ。
(フィオナに、俺を忘れないでいて欲しい。)




