サヨナラ、現世
帰宅して早々にゲーム機本体の説明書と睨めっこ。四苦八苦しながらも何とか自宅のテレビへ接続出来た。今までは古い液晶テレビを使っていたが、去年遂に壊れてしまったので最新型のテレビに買い替えたばかりだったのが幸いした。でなければ、ケーブル類そのものが使えなかったかも知れない。
「これでいいのか? 電源を入れて……おっ、映ったぞ」
再び説明書に目を通して初期設定を進めていく。当面はインターネットに接続する予定はない為、ここは簡単に終えることが出来た。
「さて、次はいよいよゲームソフトを入れて……っと」
次はいよいよパッケージからディスクを取り出してハードに挿入。タイトル画面がテレビに表示されているが、麻倉はコントローラーを持たずにゲームの説明書を一ページ目からじっくり目を通していた。彼はマニュアルや説明書には必ず目を通さなければ気が済まない性分の為、結局コントローラーを手にしたのはかれこれ三十分後であった。
(なるほど。このローラ・マーガレットという貧民の少女が聖女の力に目覚め、特例でエリート学校に入学。そこで四人の公爵家の子息の誰かと恋仲になり、世界を救うのか)
フルボイスだが、一字一句までしっかり熟読してから次へと進むものだからチュートリアルを終えるまで結局一時間。気づけばいつもの就寝時間を過ぎてしまっていた。
「はっ、いかんいかん。もうこんな時間じゃないか。明日の仕事に響く——」
そう口にした途端、ようやく実感が湧いた。
「……そうだった。明日からもう仕事に行かなくていいんだった」
結局この日はゲームの電源を落として休むことにした。
翌朝、いつもの時間に目を覚まして身支度を整える。昨日までとは違いくたびれた背広ではなく普段着に袖を通して仏間へと向かう。
「おはよう。幸子、美香。今日からゆっくり家で過ごせるよ」
妻の幸子と娘の美香の遺影が飾られている仏壇に線香をあげて手を合わせる。妻子を亡くしてから毎日欠かしたことのない日課である。
それを済ませると、トースト二枚と熱い緑茶という簡単な朝食を摂り掃除と洗濯を行なう。気づけば時間はお昼前。日用品の買い出しをする為、財布と家の鍵を手にして麻倉は近所のスーパーへ向かう為に最寄り駅の方へと向かうことにした。
(昼はお茶漬けと漬物で済ませて夜は買い置きの鯵の干物を焼こう。あとそろそろ食器用洗剤と手洗い石鹸が僅かだから買っておくとして……ん?)
そんなことを考えながら歩いていると、駅の手前の交差点で信号待ちをしている女性の横顔が目に入った。
(昨日のゲーム屋の……)
昨夜世話になったあの女性店員。
彼女はスマートフォンの画面を見ており、こちらには全く気づいていない様子。
(彼女もここが最寄り駅だったのか。声を掛けようか? いや、こんな老人に声をかけられても却って迷惑だろう。ここは黙って背後を通り過ぎよう)
そんなことを考えながら彼女の後ろを通り過ぎようとした直後。
「あれ? 昨日のお客さんじゃないですかぁ! 割とご近所さんだったんですね」
なんと、彼女の方からこちらに気づいて声をかけてきてくれたのだ。
「や、やぁ。昨日はどうもありがとう。おかげであのゲーム楽しくて遊ばせてもらっているよ。まだ全然最初の方までしかやれてないけど」
「うそ、本当にプレイしてくれたんですかぁ?! 嬉しいです。最初は男性にオススメするのはどうかと思ったんですけど……」
信号はとっくに青になっているが、彼女は渡らず楽しげに麻倉に話しかけてきてくれた。
「私的にはイースト寮のシリウスが好きなんです。あと、なにげに悪役令嬢のロザリアも好きで——あっ、すみません。なんか一方的に喋っちゃって」
「いやいや、私は別に構わないが、君の方こそ時間は大丈夫なのかい? 用があるから駅に向かってたんじゃないのかね?」
「そうでした! 私これからバイトだったんです。ヤバっ、信号変わっちゃう。それじゃあ失礼します!」
青信号が点滅を始めたと同時に駆け出す女性。せめて名前くらい聞いとけば良かったと思いながら麻倉は反対方向のスーパーマーケットへ向かおうとしたその時、交差点へ向かって猛スピードで侵入してきたトラックの姿が見えた。
車道側の信号はまだ赤。
歩行者側の信号はまだ点滅している。明らかな信号無視。そしてその先には。
「きゃあああ!?」
『あの時、俺が側に居てあげれたら! 二人じゃなく、俺が身代わりになってあげれたら!』
脳裏に鮮明に蘇った四十年以上も前の記憶。
その瞬間、麻倉の身体は無意識のうちに走り出していた。そのスピードは現役体育教師時代のそれと遜色なく、パワーもまた同様。
身体に染み付いていたラグビーのタッチダウンのように、横断歩道へ飛び出した麻倉は今まさに轢かれそうになっていた女性を突き飛ばしたのだ。
直後、麻倉の視界はそこで途切れた。
(真っ暗で何も見えない……)
薄れゆく意識の中、色んな音や声が聞こえる。悲鳴、サイレン、カメラのシャッター音。
(嗚呼、ゲームの続き……やりたかったなぁ……)
「えー、被害者は六十代から七十代と見られる男性で女性を庇って車道に飛び出したと思われます」
警官が無線で会話をしている。
そうだ、彼女は無事なのだろうか。
「庇われた女性に目立った外傷はなし。運転手からは基準値を大幅に超えるアルコール濃度が検出されており——」
(無事でよかった……本当に……よかっ……)
麻倉 信司、六十五歳。
彼の意識はそこで途切れた。




