魔法、筋トレ、重要なこと
翌朝ロザリアは昨日と同じ時間に目覚め、これまた昨日と同じく料理人たちの朝食作りと洗濯班の手伝いをした。その後、大広間へと向かい両親と少し遅めの朝食を摂る。
午前中のルーティンを一通り終えると、ロザリアは裏庭に出た。これだけ広い屋敷が建つ敷地は更に広く、特に厩舎のある北側より更に先は誰も使っていない小屋や既に枯れた井戸など使用されていないものがまとめられており、使用人ですら滅多に近寄らないと聞く。だからこそ誂え向きなのだ。
「お待ちしておりました、お嬢様」
厩舎を通り過ぎ、雑木林を抜けると拓けた場所に出た。そこで待っていたのはメイドのアネモネ。今日から本格的に魔法の特訓に入ることになっていた。昨日は櫛一本満足に浮かす事が出来なかった為、ロザリア——もとい麻倉の心は悔しさで燃えていた。それは相手をするアネモネも感じており、ロザリアの背後が気合いによる熱気で陽炎のように揺らいでいるのを確かに見た。
「気合は充分のようですね。では、早速始めましょうか」
アネモネはそう言うと服の袖から握り拳ほどの大きさの石を一つ取り出し、ロザリアから数メートルほど離れた、人が独り腰掛けられる程の大きさの岩の上に置いた。
「今日は櫛ではなく、こちらの石を浮かせて頂きます」
「望むところですわ! では早速……ってあら?」
意気揚々と特訓を開始しようとしたロザリアは気づいた。アネモネの右手に昨日までは巻かれていなかった包帯が巻かれていることに。
「その前にアネモネ。その手、どうかしたの?」
ロザリアの問いに対し、表情を変えずにアネモネは答える。
「今朝方、不覚にも花瓶を割ってしまいまして。私のことは気にせず、お嬢様は目の前の石を浮かせることにだけ集中なさってください」
あのアネモネでもそんな不注意をしてしまうことがあるのか。そんな事を一瞬だけ考えた麻倉は気を取り直してアネモネの指示通り岩上の石に意識を向けて集中し、強く念じる。
「ふんぎぎぎっ! ぐぬぬぬっ! うぉりゃぁぁぁあああ!」
力むその必死な表情は普段の端正な顔立ちのロザリアからは余りにも掛け離れており、とても人様には見せられない。侯爵家の令嬢としての品位は見事に吹っ飛んでいるが、石に関しては微動だにしていない。
「だぁぁぁ!! なんでですの?! 浮くどころかピクリともしませんわ! 意地悪して何か細工とかしているんじゃなくて!?」
「そんなことありません。ホラ、この通り」
必死こいても石を浮かせらないロザリアに対して、アネモネは石に指を向けると軽々と浮かせ、あまつさえクルクルと岩の上空を旋回させてみせた。
「そもそも、やっぱり魔法の才能は無いんじゃありませんの? もちろんロザリアではなく、わたくし麻倉信司の方ですが……」
弱気な事を口にする麻倉に対し、アネモネは断言する。
「そんなことはありません。アサクラ様にも間違いなく才能が備わっております。それは私が保証します。ですので、諦めずに特訓を続けましょう」
表情の変化があまり著しくないアネモネだが、その瞳には嘘偽りは感じられ無かった。
「わかりました……であれば、やれるだけやってやりますわ! どりゃあああ!」
その後、日が暮れるまで特訓は続いたがロザリアは叫び続けるだけで肝心の石を持ち上げることは出来なかった。
夕食を終え、自室に戻った麻倉は独り考える。
アネモネは自分には間違いなく魔術の才能があると言う。しかし、気合とは裏腹に結果は全く伴っていないという現状。何か根本的な部分が間違えているのだろうか、と。
(うーん、全くわからん。感覚的なものなのだろうが、コツを掴めなくてはどうにもこうにも……)
そんな事を考える麻倉。
ロザリアの身体はといえば、腕立て伏せを行なっている。ちなみに、回数は既に百を超えている。
(うん、いい。やはり肉体が若いと鍛え甲斐がある)
元体育教師だった麻倉にとって、まだ若かった頃は教育に行き詰まったり悩んだりするとよくこうして筋トレや運動で汗を流してたものだ。妻子を亡くしてからはその機会は減り続け、晩年はすっかりやらなくなってしまった。
(魔法の発動には精神的な何かがトリガーになっているのかも知れない。だとすれば、筋トレは決して遠回りではないはずだ。現世には〝健全な精神は健全な肉体に宿る〟という言葉もあったし、何より筋肉は裏切らない! 上腕二頭筋と大胸筋が喜んでいる! この身体なら他の筋トレもイケるはず!)
結局、麻倉はいつもの入浴時間を四時間も遅らせ筋トレに費やしたのだった。
翌日。身体が軋むような心地良い痛みを感じながらロザリアは目を覚ます。
(嗚呼、素晴らしい。筋肉痛が翌日に来るなんていつぶりだろうか。やはり筋肉は良い。やはりスポーツは良い。この世界でもラグビーのようなスポーツはあるのだろうか? もしあるのならルミナス学園にも部活というものがあるかも知れない。俄然楽しみになってきた)
「うん? ルミナス学園? …………あっ!!」
筋肉痛に酔いしれながらルミナス学園の事を考えていたその時、麻倉はある重要なことを思い出した。
「いけない、その前に朝食作りと洗濯を片付けないと!」
思い出した重要な事を取り敢えず記憶の隅に置いておいて、今日も今日とて午前のルーティンをこなす為、ベッドを飛び起きたロザリア。
詳しい話はアネモネにした方がいい。
否、今この現状を知るアネモネ以外には出来ない話なのだから。




