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4 六文銭

「お前は死んどらん」

 川上の声だ。三階の踊り場から聞こえる。

 階段を途中まで上って、僕は寝不足で息が切れた。

「ほんとかっ?」

 富岡の声は女の子みたいに甲高い。

 踊り場まで来ると、人垣の間から、江田が白い左腕に巻いた腕時計を指し示しているのが見えた。

「十秒気絶してただけだよ」

 富岡は踊り場の壁に背をもたせかけ、足をのばして床に座っている。川上と江田がおおいかぶさるように腰を曲げ、話しかけていた。

「臨死実験は失敗だ」

「ほんとかっ? 倒れた瞬間は死んでたんじゃないのか? 時間もっと経ってないか?」

「白い光り見えたのかよォ?」

 人垣がわらわらと崩れ始める。

 始業のベルが鳴った。

「ほんっとに十秒か?」

 富岡はすばやく立ち上がり、ズボンの尻をはたく。僕に気がつくと、その動作が一瞬停止し、まるで幽霊でも見るように、富岡はじっとこちらを見つめた。

 そのあとずっと、いつもならおしゃべりの富岡の様子がへんだった。休憩時間中も思いつめたように黙りこくっていて、ときどき僕の方をちらちらとうかがう。そのくせ話しかけようとしても、あいまいに視線をそらせるばかりだ。なんだ、とうとうこいつもゾンビになったか。

 その日最後の講義の間中、僕は襲ってくる睡魔と闘い続けた。眠りの淵に落ちかかっては、くいっと引き戻される。まるで釣り人に糸を引かれるように、頭ががくりと机の上に落ちそうになって、そのたびに僕は姿勢を起こした。

「源氏物語にもあるでしょ。(たま)(かずら)は行方が知れず何年も見つからなかったんですよ。平安の頃の警察力なんてたかが知れてますから、さらわれたらそれで終りだったんでしょうねえ。人が突然消えたりするのは日常茶飯事だった」

 塾長の声がだんだん遠くなる。息を吐くごとに、僕の頭は重く垂れていく。自分で知っていながらどうにもならない。

「『(あれ)()そ時』に対して『かはたれどき』というのは明け方。どちらも夜と昼のはざま、薄暗いトワイライトゾーンですね。神隠しにあったり、狐に化かされたり、妖怪と出くわしたりする。天狗とか、百鬼夜行とか……」

 教室がゆっくりと暗転する。

 僕の机にだけ、スポットライトのように白い光が上から射し始める。臨死ごっこの続きだったっけ? 

 見上げると、いつの間にか教室の天井はなくなっていて、真っ暗な夜空が広がっている。

 見慣れた背の高い街灯が頭上から灯りを落とし、羽虫が灯りの輪の中を飛び回っている。

 寒いな、と思うと、霧がかかり始めた。その霧の向こうに、あの自動販売機が浮かびあがる。太いしめ縄には「故障中」と書かれた札が下がっている。

 そうだった、と僕は思い出す。六文銭を持って来ていたんだ。ポケットを探ると、果たして固いコインが手に触れた。

 よく見ると、販売機のコインの落とし口だけは、磨きこんだみたいにぴかぴかだ。僕は黒錆びた古銭をそこに入れようとするが、厚ぼったくて大きすぎて入らない。あせって、コインをばらまいてしまう。

 アスファルトの上に風鈴に似た金属音が響く。僕はかがんで拾い始める。

 と、突然、自動販売機の上の方から、缶が落ちてくる重たげな音がする。中の空洞にどろどろと響きながら、僕の方へ落ちて来る。

 かがみこんだ姿勢で、飲みものの受け口は目の前だ。片手で支え、身体を起こそうにも思うように動けない。立ち上がる暇もなく、なにかが、暗く開いた受け口に落ちてきた。僕は息を止めて、その真っ暗な一点に集中する――

 と、僕は、魚がはねるようにびくりと頭を起こした。広げたノートの上にちょっと涎のシミができている。

 右隣に座っていた江田が前を向いたまま机の下から腕を伸ばし、小さく折った紙片を差し出す。陽に焼けてない生白い腕が、魚の腹のようだ。

 江田は斜め後の富岡を机の陰で指さす。富岡は、少し離れた席から思わせぶりなまなざしで僕にうなずいた。

 塾長が黒板に書くチョークの音が、静かな教室に響いている。その白衣の背中が、僕の心臓の鼓動をさらに速める。

 僕はなんでもない風をよそおい、バクバクする心臓をなだめながら、姿勢を低くしてノートの上で紙片を開いた。

 眠気はさめたものの、その後の授業はむかついて頭に入らなかった。

 終業ベルが鳴ると、僕は川上に声をかけ、富岡を無視して大股に教室を出た。

 富岡が早足で追いかけてくる。

「おい、キレるなって、待てよ」

「たち悪いぞ」

 僕は振り向きもせずに言う。

「亡くなったお祖母ちゃんに会ったってか? お祖母ちゃんから伝言があるってか?」 

 まだ葬式が済んだばかりだ。臨死ごっこのネタにされてたまるか。

 僕は川上のほうにわざと陽気に話しかけながら、階段を駆け下りた。

 塾の明るい玄関前には、迎えに来た父兄の車が何台も止まっている。

 富岡とそっくりの顔をした豆タンクみたいな富岡のお袋さんが、狭苦しい軽自動車の運転席から僕らににこやかに笑いかけてくる。

 僕は川上の先にたって、さっさと裏の駐輪場へ回った。

 富岡は息を切らせながら駐輪場まで追いかけてきた。

「いいから、ちょっと聞け」

「もういいよ。たち悪いぞ、見損なった」

「ちょっとぐらい聞いたっていいだろっ」

 駐輪場から自転車を引いて出ると、いつものように玄関の階段に白衣姿の先生方がぞろぞろと出てくる。

 僕は自転車のライトを点け、勢いよくペダルを踏んだ。

走り始めた僕の背に、富岡がまだ声変わりしてないみたいな甲高い声を浴びせた。

「伝言だぞっ、いいか?」

 念を押すように、

「しがんに、行けないと、幽霊に、なっちゃうんだってよ」

 一句一句区切って言う。

僕は自転車を止めた。

 塾生が何人か僕の脇を足早に通り過ぎていく。

「伝言、伝えたよっ」

 富岡はもう一度念を押す。

 サドルにまたがったまま片足だけついて、僕はちょっと考えた。

振り返りざま、

「それを言うなら彼岸(ひがん)だろ」

 彼岸に行けないと幽霊に……言いかけて僕は口をつぐんだ。



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