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ELYSION  作者: スノーマン
第一章 はじまりの日
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第7話『毒の糸』

 足場の悪い森の急な斜面を滑り落ちるように下り、地面から出ている石を踏んで転びそうにもなる。

 ジークは同じくハツを追って森に入った追跡者を見失わないよう、目の前に茂る枝や草をかき分けて追いかけていく。


「あのヒトにどう助けられたノ?」

「ハツ、ハーヴェンっていって、あの船で海に落ちた俺を助けてくれたんだ」


 息ひとつ切れていないシャオロンは、『ああ!』と納得した。


「じゃあ、僕も助けラレたコトにはなるヨネ」

 彼にとってはこうやって走る事も平気なのか、間延びしたようにヘラりと笑う。


 ジークは顔に当たる草の葉で腕や顔を切ってしまいながらも、視線を逸らさず走る。

 こう同じ景色ばかりの森の中でよそ見をすれば、その瞬間に見失ってしまうからだ。


「デモ、助けたところで相手はこっちのコト殺す気だったらどうすル? ありえないコトじゃないヨ」

「え……そ、それは……」

 咄嗟に返せず言い淀むジークは、木にもたれるように倒れているハツに気付いて足を止めた。

 

 あの特徴的な髪の塊は、あの嵐の夜に船から一緒に飛び降りたハツで間違いない。

 今は傷だらけで額から血を流し、苦しそうに呻いているのが痛々しかった。


 一緒に連れていた仲間も側に倒れているが、彼の方は出血が酷く手足は伸ばされたままだ。

 声をかけようとしたところで足音がし、顔を向けると、追跡者が迫って来ていた。

 奴らもハツを見つけると各々の武器を取り出して臨戦態勢に移る。


 相手は四人に対して、ハツは一人なのだ。勝てるわけがない。


「ハツ……!」

「待って、おかしいヨ!」


 ナイフを抜いたジークが飛び出そうとしたその時、シャオロンは異変に気付いてジークの膝裏を軽く蹴った。


「ぐべっ!」


 もちろんシャオロンにとっては軽くのつもりだったのだが、ジークは大きくバランスを崩し膝を折り曲げるように顔から転んだ。

 

 その鼻先を、透明な何かが掠めた。


 そして、聞こえてきたのは耳を塞ぎたくなるような悲鳴と、喉の奥から絞り出すような呻き声。

 ジークは自分の目の前に張られた何かによく目を凝らす。


 薄暗い森の微かな光に反射したそれは、透明なきらきら光る糸のようで……。

 視線を流すと、そこには信じられないものが広がっていた。


 一面に血しぶきが飛び、腕や首を押さえて出血を減らそうともがく男女は目が血走り、体を動かせなくなり、折り重なるようにして倒れている。

 ハツは立ち上がり、両手の指をグッと握りこむと辺りの木々は軋みを上げてたわんだ。

 シャオロンは大きな目を細め、ジークの血が伝う糸をじっと見た。


「細い糸に囲まれてる……この辺ダケ枝の曲がった木が多かったのはこれのせいだネ」

「い、糸?」


 ジークは目の前に見える細く透明な糸を見て困惑していた。

 確かに、よく目を凝らしてみると光に反射した糸が辺りにびっしりと張り巡らされている。

 まるで蜘蛛が獲物を捕らえるかのように、自分自身を囮に誘い込んだ罠だったというわけか。

 

 ただの糸ではないようで、ほんの少し鼻先かすっただけだというのに切れて血が出ている。

 ジークが立ち上がろうと膝を立てた、その時。


 ぐるんと視界が回ったと思えば鼻が熱く、拭った手の甲に鮮血が広がる。

 なんだか視界が狭くなって寒いうえに気分が悪い。

 

「おぇええ……!」


 意識は遠く、息苦しい。ろくに中身の入っていない胃の中の物が逆流していく。


「大丈夫⁉ゆっくり息シテ」


 いきなり鼻血を出したかと思えば、嘔吐して倒れ込むジークに駆け寄ったシャオロンは、少しでも呼吸がしやすいよう背中に鞄を挟んで横に寝かせる。

 シャオロンは今まで生きてきた知識を引っ張り出して思考を巡らせた。


 わかっている。この症状の名前を知っていた。

 かつて人間が自らの繁栄を謳い、住処を流れる川へ流し込み、親愛なる多くの民を失うきっかけとなった戦争の忌まわしい呪いの産物。

 

「毒……それも、タダの毒じゃないヨネ?」

「ご名答!」


 ハツは不敵に笑い、糸を操っていた腕を下ろすと周りを囲んでいた糸が落ちた。

 そうしてゆっくりと、目下で苦しんでいる獲物を一瞥し歩み寄る。


「こいつは俺様の特製、体内に入ればすぐに回る猛毒さ。作り方は内緒さな」


 ま、アンタには気付かれたみたいさが!と続け、苦しんでいるジークの前に立った。


「悪く思うなさ? 俺様は絶対に傭兵団へ入らないといけねぇ」

 ジークはぼやける視界に映るハツを見上げる。


「ハツ……」

「まー、もともと俺様が助けなきゃ、あの時に海で溺れて死んでたさからな! 借りもまだ返してもらってねぇさし……」


 ハツはしゃがみ、ジークに視線を合わせ、いい事を思いついたように頷いて見せた。

 

「よし、ここで死んでくれさ!」

「……!」

 

 初めて会った時と同じように、無遠慮に。けれど今度は冷たくそう言い捨てた。

 ジークはぐっと言葉を飲み込んだ。言いたい事があるのに苦しくて声が出ないのだ。

 体内を巡る毒が声さえも蝕んでいく。

 

「は? どこに行くノ?」

 

 真横を通りすぎようとしたハツを、シャオロンは逃がさなかった。


 下から突き上げるように伸ばされた右腕で自分より背の高いハツの首を鷲掴みにし、勢いのままに木の幹に叩きつけた。

 片腕だけで自分よりも大きな体を持ち上げたシャオロンは、怒りを抑えるように白い息を吐き出す。

 

「僕、キミのコト、ジークの友達って聞いてたんダケド?」

「……アンタ、目ん中になんか飼ってんさか?」

 

 ハツの軽口にシャオロンは右手に力を入れる。爪が皮膚に食い込み、ハツの首を一筋の血が伝う。


「解毒剤を出しな。当然持ってるでショ?」


 低く這うような声でそう言ったシャオロンは、いつもは穏やかなブラウンの瞳を濃い金色に染め、威圧するように抑揚のない声で問い詰める。


 ハツは自らの首にある太い腕を両手で掴んで押し返しながら、フハッと鼻で笑った。


「助けてどうする? コイツは甘い。ここで見逃しても、そのうち死んじまうさ?」

「ソレでも、僕は僕にかかわる存在を……友人を守る義務がある!」

「ご立派な事さな! そんなに人間に肩入れして、いいんかさ?」


 ハツのその言葉に、シャオロンは驚いて右手を緩めてしまった。


 その隙を逃さず腕を弾いたハツは、軽く咳込むと両手を後ろにやった。


「人間の世界では、面白半分で他人にかまってる余裕はねぇんさ!」

 おそらく、まだ何か罠を隠しているのだろう。


 次にまたあの猛毒の糸を使われたら避けられる保証はない。

 シャオロンは一瞬迷ったが、これ以上時間をかければジークの体がもたないのは明白だ。

 それよりも先にここでハツを殺してでも解毒剤を手に入れると決めた。

 

 向かい合う二人の殺意が交差した時、突然ジークが笑い声をあげた。



 絶体絶命の今この時、毒で蝕まれるジークの目には港街で会ったあの少女が映っていた。


「フィ、ア……!」

 掠れた声で少女を呼んだジークは身をよじらせる。


「大丈夫よ。今、治してあげるわ」

 フィアは苦しんでいるジークの両手をとり、目を閉じて息を吹きかけた。


 暖かく優しい風が吹き、花びらが舞って彼女の髪を揺らす。

 するとジークの体は軽くなり、あんなに苦しかった毒による痛みも嘘のように消えていく。


「すごい……体が楽になってきたんだぞ! ありがとう!」

 立ち上がったジークは宙に浮いて微笑むフィアに手を伸ばし、笑みを返す。


「私はあなた以外には見えないの。だから、また会えて嬉しい!」

「ああ、俺もまた君に会えるとは思わなかったんだぞ!そうだ、俺はジークだよ」


 ジークは思い出して、慌てて名乗る。

 ウフフ、アハハ、と笑いあうフィアとジークに木々の間から光が差し込む。

 

 ……という、一連の現場を間近で見てしまったハツとシャオロンは、胸倉を掴み合ったまま真顔で固まっていた。


 さっきまで猛毒に侵されて生死の境を彷徨っていたジークが、突然元気に立ち上がり何もない所に恍惚の表情で手を伸ばしている。


 ついでに、自分達には見えないフィアという人物に向かって、『体が楽になってきた』だの、『君に会えると思わなかった』だのと言っているではないか。


 おまけに天からの祝福のように差し込む光も相まって、何もない所で一人アハハウフフと笑っている様は、もはや恐怖を超えて狂気としかいいようがなかった。


「なんさ……」

「め、召されてルーッ!」


 すさまじく顔をひきつらせたシャオロンは、さっきまで争っていたハツに背を向けてジークの正気を確かめに行くのだった。


「どーいう事さ! あの毒は微量でもすんげぇ効果があったはず……!」

 ハツは何もない空間を撫でているジークに詰め寄る。

「フィアがこう、息を吹きかけてくれたら消えたんだぞ」

 ふぅ、とフィアがしてくれたように再現し、即答するジーク。


 無茶苦茶な事を言っているが事実だし、本人は真剣だ。


「いや、なんさそれ!」

 そんなわけのわからないモノに、研究の末に作り出した毒が負けたのは屈辱だった。

 その間にもジークはフィアと話している。


 シャオロンは『もう何も言うまい』、と死んだ魚のような目をしていた。

 

「あいつ……ホントに運がいい……」


 もはや理解できない展開に頭が痛くなってきたハツは、緊張をほぐすように目を閉じる。

 いや、もしかしたらジークは記憶を失う前は凄腕の傭兵だったのだろうか?


 そうだとしたら、毒に対して耐性があるのもギリギリ納得は出来る。

 もしくは、フィアという架空の人物を想像して精神力で毒を克服したとしか思えない。

 精神力だけで傷までも完全に回復する相手なのか……。


 もしそうだとしたら、二対一は厳しかった。


「ジーク、恐ろしいやつさ……」


 知らないところで恐れられているジークだが、本当に何もしていない。


 ハツの想像の中でジークはどんどん歴戦の猛者のように組みあげられていく。


「あのまま戦ったら負けるのは確実だったさ」


 それも含め、ハツは自分がかなり危ない事をしたと思い返していた。

 シャオロンだけなら、なんとかなると思ったのも間違いだった。


 さんざん挑発し怒らせて油断を誘ったのだが、人間とそうではないモノの力の差は圧倒的で、相手が手加減していたからこそ、助かっていたのだろう。


「……運がよかったのは、こっちさな」


 怒りにより瞳の色が変わる種族を知っていたハツは、観念したように服の下にしまっていた赤い液体の入った瓶を数本取り出した。


 別に人殺しが好きなわけではない。ようは自分が勝ち残れたらそれでいい。

 それが、ハーヴェンなのだ。

 


「さて、改めて紹介するんだぞ!」


 フィアのおかげで回復したジークは、ハツとシャオロンの前に立ち、胸を張って彼女を紹介する事にした。

「フィアだ! なんでも、俺以外には見えないらしいんだけど、よろしく!」

 そう言って隣に立っているフィアに手を添えて紹介する。


 フィアはスカートの裾をつまんで軽くお辞儀をして挨拶しているのだが、彼女はジークにしか見えない為、二人の前には何もいない。


 ジークが一人、誰もいない空間に向かって話しかけるという謎の光景なのだ。


「見えないヒトに対してどうヨロシクするノ?」

「……イマジナリー彼女さ?」

 シャオロンは真顔で。ハツは律義に相手をしてあげた。意外と優しい。


「違う、フィアはこう、さらさらの桃色の髪にリボンがふわぁとなっていい匂いでだな。ついでに優しくて、ここまでこれたのは彼女に励まされたからだと言っても過言じゃないぞ!」

「それをイマジナリー彼女というさ」

「フィアは本当にいるんだぞ!」

 そう熱弁するジークだが、フィアは他人に見えないので余計に妄想上の女の子と思われている。


 ジークはなかなかフィアの事が伝わらない事にがっかりするも、彼女は『気にしないわ』と優しく慰めてくれたのだった。


「……それはイイんだけど、何でこのヒトもいるノ?」

 

 話を変えたシャオロンはジト目でハツを睨むが、ハツは気にも留めていないようにモッサモサの頭の後ろで腕を組んでいる。


 そう、あの後ハツは自分が罠にかけた相手へ解毒剤を使って助けたのち、ジークに同行を申し入れてきた。

 解毒されたものの、完全に体が回復するまでには数週間はかかるので、脱落させた事に変わりはないが、命に別状はないとのこと。


 ハツとしては自分以外のチームメイトが死んでしまい、一人になってしまったのでちょうどよかったのだろう。


「俺が仲間に誘ったからだぞ?」

「キミ、殺されかけたんだヨ? いいノ? 死んでくれっテ言われてたヨ」

「それは意識がぼーっとして聞こえなかったからもういいや。それに死ななかったし、仲間になればもう心配はないだろう?」


 何でもない事のようにアッサリと答えたジークにシャオロンは溜息をつく。

 ジーク・リトルヴィレッジが呆れるほどお人よしのポジティブ思考で、細かいことを気にしないのはわかっている。

 

「あぁ、もう……心配してソンした……」

 がっくりと項垂れたシャオロンは気を取り直し、右手を差し出すとハツも応じる。


「僕はシャオロンだヨ。ガードを希望してる。よろしくネ」

「おうさ、俺様はハーヴェン・ツヴァイ。気楽にハツと呼ぶさ!トリートを希望してるさから、怪我したら助けてやるさな」

 握手を交わす二人を見てウンウン、と頷いたジークは隣にいるフィアへ視線をやると、フィアは懐かしむような、寂しげな顔をしていた。


「どうかしたのかい?」

「ううん、ちょっと昔を思い出しちゃった」

 そう言った彼女の目には、透明な涙が浮かぶ。

 ジークはこういう時の女の子になんと言ったらいいのかわからず、口を閉じてしまった。


「フィア……」

「少し、休んでくるわ」

 考えている間にフィアは涙を拭うと、森の景色に同化するように姿を消してしまった。


 そこに、ハツから名前を呼ばれて振り返る。

 

「オメェがリーダーなんさから、持ってるさ」

 そうやって渡されたのは、コインがぎっしり詰まった小袋だった。

 ここまで貯めるのに、一体どれだけ脱落に追い込んだのだろうか。


「ん? リーダー?」

 一部引っかかったが、シャオロンも当然だ、というように肩をすくめる。


 まさかの、一番戦力にならない自分がリーダーになると思っていなかったジークは、照れくさくなりながらも受け取ったコインをしっかりと鞄の奥にしまう。

 

 ひとまず森を抜けて湖まで戻ってきたジーク達は、冷たい水で喉を潤して休む事にした。

 

「俺様が知る限り、かなりの人数が死ぬか棄権するかでいなくなってるさ。厳密にどれくらい残ってるかはわからんさがな」

 ハツはそう言って自分の荷物の中から干した肉を取り出して噛むと、もう二枚出して差し出す。


「ありがたいんだけど、この肉、何の肉だい?」

 ジークは受け取りながらも、一応聞いた。


 まともな食料を見るのは久々で、この状況もあって魔物の肉や人の肉を疑ってしまう。

 ハツは干し肉をモゴモゴを噛みながら、治療道具を出して自身の怪我の処置をしていく。


「レオンドールの店で買ったもんさから、動物さろ」

 それを聞いて安心したジークは干し肉を口に含む。何時間ぶりの固形物だろうか。

 朝に食べた草とは違い、じんわりと旨味がある。


「僕、肉は食べられないカラいいヤ」

 二人が味わっているのを見ていたシャオロンは、干し肉を受け取らずに水を飲んでいた。

 

 少しの休憩中に三人は色んな話をした。


 ジークが海から落ちて、以前の記憶を失くしている事。

 シャオロンがあの嵐の夜、一緒に船から飛び込んでいた事に、ジークが助けようとした亜人の女の子が子供を失った人間に引き取られていったこと。


 そして、ハツが薬草に詳しく、本当は治療よりも毒薬を扱う方が得意なことなんかも話した。


 気付けば数時間が過ぎており、最初の方はわだかまりがあったハツとシャオロンもいつの間にか打ち解けていた。

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