第69話『心の在り処』
「あぁ……」
ハツは気絶していたのか、と一人ごちる。どうやら運悪く、塔の下にあった廃材置き場へ落ちたようだ。
使わなくなった古布や木の板がクッションになってしまったのだろう。
痛みだけが残る強靭な亜人の肉体は、塔の上から飛び降りたくらいでは潰れてはくれなかった。
「……」
苦しむ様子を観察しているのか、リズは喋らない。ただ黙って見下ろしている。
「……追い打ちをかけに来たか?」
ハツは、仰向けに倒れたまま虚ろに夕日を見つめ、乾いた唇で低く「殺せよ」と呟く。
何ひとつ終わらせられなかった無力さに絶望し、死を受け入れていた。
だが、金の首輪をじっと見つめたリズが瞬きをひとつし、ようやく返した言葉は信じられないものだった。
「殺す? 何の恩義があってお前を殺すの?」
平然と、そう思うのが当然だというように無表情で首を傾げる姿は、壊れた機械のような気味の悪さがあった。
ああ、この子にとって、全てを諦め死を待つだけの相手を手にかけるのは、救う事と同じなのだろう。
ジークが倒れた時に『動かなくなった』と怒りを見せたのもそうだ。
男なのか、女なのかわからない不思議な雰囲気のこの子は、体の年齢と心の年齢が吊り合っていない。
薬の支配を受けていた精神は七歳の子供のまま。
人間になりたいと願い、心を手に入れた人形の根元は未だ不完全で異質だった。
「リズは、ジークやシャオロン……レイを酷い目にあわせたお前が嫌いだ。今もお前を助けたいのかわからない」
黙り込んでいたリズは、やがてポツリと話し始めた。
「でも、思い出した……リズは覚えていなかったけど、思い出したんだ」
自分の話す言葉に自信がないリズは俯き、迷いながらも、最後は顔を上げて言った。
「リズはお前の両親を殺した。お前を守ろうと抱き合う姿を見て、心臓がギュッとなった。リズにはないものを持っていて、空の星みたいにとてもきらきらしていた」
難しい言葉で飾らず、ありのまま話すのはリズウェル・ルークの純粋な本心だ。
兵器として作られたリズにとって、両親からの愛情は絶対に手に入らないものだった。
だから、亜人が自分の命に代えても子供を守ろうとする姿を見て、理解が出来ずに取り乱してしまった。
大切に愛された亜人の子が羨ましくてしかたがなかった。
「死ぬと二度と会えない、命は大切なものだ! 二度と会えない事が寂しいのを知っていたのに、絶対に忘れちゃいけないのに、あの頃のリズの頭の中を探してもどこにもなかった……」
拙くまとまりのない語彙は、形だけじゃなくリズが心から本当に伝えたいことだ。ハツは顔を向け、視界にあの子を入れる。
でも……と、かき消えそうな細い息を吐いたリズは、倒れているハツの前に座ると服が汚れるのも構わずに深く頭を下げた。
「でも、リズはもうバケモノでいたくない。ごめんなさい……許されなくても、本当にごめんなさい……!」
肩を震わせるリズの目からこらえきれなかった涙が落ち、やがて嗚咽を漏らす。
自分の罪を知り、後悔する。感情を知らなかった人形が声を上げて泣いていた。
ホワイトランドの貴族が、亜人奴隷に頭を下げる事などあってはならない。
けれど、リズにはハツが亜人だとか自分が貴族だとか、そういう煩わしいものは関係ない。
あるのは、精一杯、罪に向き合おうとするヒトの姿だった。
「……」
ハツは、目の前で地面に頭をこすりつけ「ごめんなさい」と繰り返す姿を見て、暗闇の中で泣きじゃくる子供の事を思い出していた。
固く握った拳を地面に押し付けたリズの腕には、あの子と同じ傷跡が残っていた。
長い間、薬によって自我と記憶を押さえつけられていたとはいえ、ハツにとってリズは自分を突き落として幸せそうにしていた憎い人形だ。
魂を擦り減らし、自分の力で生き延びたわけでもなく、兄であるレイズに守ってもらった幸せなお人形さん。
そのお人形が他人に心を作ってもらい、人間のふりをして生きているのが許せなかった。
いつもレイズの後ろを付いていき、自分の意志がどこにあるのかすらもわからない。
そのくせ、やたら甘えるのがうまい。貴族だという事を引いても大嫌いだった。
ずっと独りぼっちで、誰にも守ってもらえなかった自分とは正反対だ。
大嫌いで、大切に愛されたあの子が羨ましくてしかたがなかった。
「謝った所で死んだ人間は戻らない。許さねぇ……俺様も、おめぇの事なんざ、嫌いだわ…………」
ハツは霞んでいく視界に身を任せ、恨みを乗せて答える。
首輪にかけられたレオンドールの魔力がじわりと体内を侵食し、どろりとした感触が喉の奥へ流れていくのがわかる。
両手で涙を拭うリズは頭を下げたまま言う。
「人を殺すことは悲しくて怖いことだ。本当に謝りたい人は、謝りたくても……もういない。許されないとわかっている」
ハツは、肩を震わせて泣くリズを見て思う。
生き残るために奴隷となり、何人もの人間に近付いては探り、反逆者だとわかれば報告し裁判にかけた。
その度に人を不幸にし、必要であれば命を奪った。
――彼らに対して、自分はひとかけらでも申し訳ないと思っただろうか?
――彼らにも待っている人がいたはずだ。自分は、少しでも相手のことを考えられただろうか?
「……いいや、俺もお前と変わらねぇ、生きる価値もねぇ人殺しさ」
声に出して呟けば、自分を嘲る笑みが込み上げる。
同じ? 違うだろう。人間性を捨て復讐者となってしまった自分は、利用できるモノは何でも取り入れた。
それこそ、ジークだってそうだ。入団試験でシャオロンの正体が亜人の王だと気付いた時、ジークを利用してシャオロンに近付き、レオンドール王の前に突き出そうと決めた。
リズが両親の仇だと気付いたから、わざといい顔をしてレイズの手助けをした。
甘い幸せを味わった後の絶望が、どんなに苦いかを知っていたから。
全部、全部わかっていてやったのだ。そんな自分が、薬で洗脳されていたリズと同じなわけがない。
同じでいいはずがない。もっと最低で、吐き気がするほど汚いのだ。
己の罪を自覚してしまえば、意識は深淵を望んでしまう。
ハツは生気を失くした顔で嗤い、乾いた唇を動かした。
「罪は、消えねぇ……何もかも、無駄だった」
もうすぐ首輪が弾け、この心臓はレオンドールの魔力によって焼かれてしまう。
「その首……」
魂を縛る雷の首輪を見たリズは、主が守護獣を処分する時に使われる術だと気付き、言葉を失う。
「どうせもう終わる命さ……」
ハツは投げやりな笑みを浮かべ、全てを諦めて目を閉じた。
心は不思議と落ち着いていた。
果たせなかった復讐も、その為に払った犠牲も、流した涙も意味を失くして消えていく。
己の人生は何もかも無駄で、所詮は何の価値もない命だった。全部、無駄だったのだ。
それでも、これでやっと両親の元に行ける。
今になって、復讐と過去をジークや解放組織の亜人達に話さなかった理由がわかった。
ハーヴェン・ツヴァイは、本当の意味で仲間を……いや、自分だけしか信じていなかった。
そう思った時、頭の中に『生きなさい』と呼びかける両親の声が響いた。
不意に、傷跡だらけの腕が首輪を掴む。
強い力で体を起こされ、廃材に背中をぶつけてしまう。
「ッ!」
ハツが反射的に目を開け、相手を睨みつけると、目の前には首輪に左手をかけ、負けないくらいに目を吊り上げたリズがいた。
確かな感情が宿る澄んだ青は力強く、叩きつけるように声を張り上げた。
「――逃げるな!」
怒りと悲しみが入り混じったそれは、大人しく他人に無関心で、決して声を荒げる事なかったリズが初めて見せる表情だった。
「な……にを…………」
そのリズに睨みつけられたハツは、驚いて目を逸らせなかった。
「お前がリズを人殺しだと呼ぶのならそれでいい、お前の両親を殺めた、間違っていない。許されないのは当然だ。罪は消えないし、なかった事にするつもりもない」
リズは涙の跡が残る引きつった表情で、ありのままの言葉を早口で並べる。
「でも、リズは自分の罪から逃げない……絶対に逃げない! 生きて、生きて……今までの分を人を助けて償うんだ。絶対、絶対に自分から逃げない!」
未来を見つめる青空色の澄んだ瞳は潤み、リズは首を振って涙を飛ばし、もう一度声を張り上げる。
「お前はそうやって何もかも一人で計画してやって、そのくせ失敗したら簡単に死のうとする! お前の両親は、最期までお前を抱きしめて離さなかった……お前に生きて欲しかったからだ!」
癒えない傷を抱えるお人形は、お人形だったあの子は、涙声を震わせ強い意志を持って訴える。
「お前は望まれて産まれた。ちゃんと愛されたのに! 人を手にかけて死んで逃げようとするなんて……まだ生きているのに、生きようとしないなんて卑怯だ!」
声を裏返して叫ぶと同時に、首輪を握っていた指が雷で焼き切れてしまうが、すぐに緑色の炎が現れ破損した指を再生し、再び首輪を掴みなおす。
再生したそばから神経がやられてしまい、生まれて初めて人間の王の力を受けるリズは、感じた事のない性質の魔力に全身の鳥肌が立つのを感じていた。
それでも、首輪を破ろうと掴み続ける。
――自分の為? そうだ。リズは自分にそう言い聞かせる。
罪を背負って生きていく自分を認めるために。
なにより、目の前のこいつと全力で殴り合うために。
大きく息を吸う。
肺の中いっぱいに空気を溜め込み息を止め、目の前のハツを再度睨みつけた。
一瞬の空白が長く感じた。正面からぶつかる事を選んだリズは、ありったけの感情を言葉に乗せ、思いの全てを叫んだ。
「ジークは、どうしようもないくらい行き当たりばったりだ! でも、お前を助けたいから弱いくせに戻って来たんだ! 裏切られてもジークやレイが、なぜお前を助けに来たのかわからないのか? もう一度、お前に会いたいからだろう! 本気でジークの手を払うつもりならなぜ逃がそうとした! 後ろめたかったから……生きて欲しかったからだろう! ジークも同じだ、なぜ同じ気持ちがわからない! レイも大貴族の立場を捨てた。でも、お前に嫌われているのがわかってここにいる! シャオロンは本当は本当に優しい、裏切る前にどうして話をしなかったんだ⁉ ボクだって、んん……ワタシだって……リズだって、人間も亜人も大好きだ! お前の作る薬はザラザラして口に残るから好きじゃない、お前の作るご飯は草ばっかりで臭くて好きじゃない! お前の頭はいつもトゲトゲウニみたいで見ていると暑苦しいから好きじゃない! お前の薬草庫から酷い臭いがするのも好きじゃない! こっそり拾って来た動物をウシ小屋で隠れて飼ってるのも嫌いだ、見たい! リズに薬を作ってくれるお前が嫌いだ! ジークやレイを、シャオロンを傷つけたお前はもっと嫌いだ! でも、今だってリズはお前を友達だと思っている!」
怒涛の勢いで全部言い切ったリズは、荒い息を吐き出し勢いよく顔を上げ、涙が浮かんだ眼をきつく細めて悲痛な声を絞り出した。
「呼べば……お前が呼べば、みんなは助けてくれた。ジークは絶対に絶対に、お前を裏切らない。レイだって絶対に色んな事を教えてくれる。シャオロンだって絶対、一緒に亜人を助けようとしてくれたはずだ……!」
感情に任せて言葉を重ね続けたリズは咳き込み、息を整えながら、最後に消え入るような悲しい声で言った。
「リズだって、お前が望めば絶対にアイツの首を落としてやった……!」
アイツとはレオンドール王の事だ。
仲間を裏切らず、支え合う。その為なら自分の信念も曲げてしまえるのだ。
それほどまでに、この子の中で仲間の存在が大きくなっていたのだろう。
これが、もう二度と人を手にかけないと決めていたリズの覚悟だった。
「……助ける? お前らが…………?」
ハツは、言われた事の意味が受け入れられずに目を見開いて固まっている。
あぁ……、あの子は真実を知っても壊れたりはしなかった。
それに引き換え現実に押し潰された自分は復讐者となり、返り討ちにあい諦めて死を求めた。
酷く惨めに思えていた。
同時に、人を裏切り続けた自分に、仲間がいるとは思ってもいなかったのだ。
一度、ココロを手に入れたリズの言葉は鋭く迷いがない。
「リズは人を殺めて不幸にした自分が大っ嫌いだ! どうしたら償えばいいのか苦しい! でも、死んで終わりにはしない。亜人と人間を繋ぐために生きて償う! それが一番辛くて一番難しい事だと思うから……」
リズは、鈍器で頭を殴られたように茫然としているハツと目線を合わせ、彼の顔の横に右腕を叩きつけ背後にある廃材を氷の魔力で凍らせた。
決して自分から目を逸らせないよう、ハツの瞳に映る己の姿を睨み、口癖になってしまった「絶対」と付けて宣言する。
「仲間は、支え合う為にいるから仲間なんだ。リズは今決めた。お前を死なせない!」
ハツは言葉が出なかった。背筋に氷の冷たさが広がり、かがんで上から覆いかぶさったあの子の感情が剥き出しの顔は、頑固な兄と同じ覚悟の火が灯っていた。
「リズは逃げない。生きて必ず、誰も泣かない世界を作る。バケモノか人間なら、リズは人間でいたい」
言葉は拙くても解放された感情を押し込めず放つ。これは、怒りじゃない。
「復讐を止めろなんていう幻想に惑わされるな! お前の生きる意味を放棄するな!」
あの子が背負う罪と覚悟の咆哮だ。
「……っ」
ハツは目を見開いたまま、リズの目の中に映る自分の顔を見つめていた。
親愛してくれた仲間がいると気付いた時、今まで閉じて見ないようにしていた記憶が溢れ出てきた。
初めて裏切りをしたのは、数年前のエリュシオン傭兵団の入団試験だ。
レオンドール王の暗殺を企てていた元貴族を、仲間になるふりをして始末した。
次に入団試験で出会った彼らは、奴隷であるはずの亜人を従者として連れ、分け隔てなく接していた。
けれど、世界の圧力に負けて亜人を奴隷に落としてしまう。
今まで、友人だと思っていた人間に捨てられた亜人の、悔しさと絶望でぐしゃぐしゃになった泣き顔が忘れられない。
次は、次は? と生きているうちに心はあらゆるものを拒んでいった。
人を死なせ、不幸に突き落とした自分が幸せに生きていいはずがないと……ずっとそう思って感情に蓋をした。
深淵の底を照らす高温の青い炎は、暗闇にこびりついていた憎悪を焼き尽くしていく。
じわりと胸の中で暖かい火が宿るのを感じていた。
ベレット村で暮らしていた頃のジーク、レイズ、シャオロン、リズの姿が浮かんだ。
あの日のように野菜を背負って並んで畦道を歩き、村人の目を盗んでつまみ食いをしては文句を言いながらまた歩く。
あれは言葉にできないほど楽しかった。性格の違いはあれど、バカをやりながら暮らす日々は一番輝いていた。
思い出の狭間で『ずっとこれからもお前はひとりだろう?』と幼い記憶が問いかける。
違う、と心の声が答える。そうだ、答えなんてとっくに決まっていたのだ。




