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ELYSION  作者: 秋風スノン
第4章 正義の境界
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第67話『君の居場所』

 途切れた雲は遠く、目が痛くなるほどの夕焼けが迎えてくれた。

 喧騒は遠くに聞こえ、ジークはホッと胸をなでおろす。

 

「ハツ、大丈夫かい?」


 ジークはすぐにハツを寝かせると傷口を見て驚いた。

 あんなに血が出ていたはずの腹の穴が塞がりかけていたのだ。


「亜人の血だな」


 レイズはそう言うとシャツを裂いてハンカチ代わりに汗を拭う。リズも疲れているのか風に当たっていた。

 

「このままじゃ息苦しいよな」


 頷いたジークがハツの首元に手をやった瞬間、薄く開かれていた深緑色が見開かれた。

 

 反射的に体が動いたのか、ハツは起き上がり、ジークのマフラーを乱暴に掴んで荒い息を吐き出した。


「おぉっ⁉ ハツ、気がついたのかい?」


 思わずマヌケな声を出してしまったジークはニッコリと笑う。

 だが、開口一番に浴びせられたのは怒声だった。

 

「なぜだ……何故助けた!」

 

 首を絞めながらそう怒鳴り散らしたのは、滅多に感情を出さなかった、あのハーヴェンだ。

 憎しみに支配された彼の瞳は、昏くらくギラギラと鋭い殺気に満ちている。

 

「何でって……君、レオンドールに殺されそうになってたんだぞ!」


 ジークは、ハツの腕を払うと咳き込みながら言い返す。あの時、助けなければとうに終わっていたのだ。


「余計な事をするなッ! もうすぐあのクソ野郎を殺せた……殺せたんさ!!」

「ちょ、落ち着いてくれよ……」


 ハツはギリギリと歯を食いしばると、噛みつく勢いで言葉を投げつけ立ち上がる。


「やめとけ、お前マジで死ぬところだったぜ」


 見かねて間に割って入ったレイズが窘たしなめる。

 

「……ッ!」


 ハツはレイズの姿を見ると想定外だ、と睨みつけ、憎悪に飲まれてしまった両眼で彼の後ろにいるリズを捉えた。

 

 リズはハツの顔を無表情で見つめていた。

 ハツはその姿を見た瞬間、二人が誰に助けられ、ここにいるのかすぐに気付いた。

 

 隠していた感情と苦い記憶が腹の底でふつふつと煮えたぎり、光のない目を見開き嘲笑を向ける。


「おいおい、また誰かに助けてもらったんか? せっかく地獄に落としてやったんさから、お人形ちゃんはそれらしく解剖でもされてりゃいいものを……そうすりゃ、生まれた意味もわかるだろ?」


「……」


 表情を変えないリズは少しだけ視線を落とした。


「お前……っ!」


「待ってくれ!」

 

 我慢できずにレイズが声を荒げた時、今度はジークが二人の間に入った。


「ハツ、簡単に人を殺すなんて言わないでくれ! 命は大切なものだ!」


 ジークはハツの前を塞ぎ、首を横に振った。

 

「黙れ、偽善者が!」


 叩きつけるように吐き捨てたハツが肘で打つ。

 目の上で骨のぶつかる鈍い音がしても、ジークは痛みに怯まない。

 

 背を向けて去ろうとするハツの腕を掴み、目を逸らさずに落ち着いた声で問いかける。


「教えておくれよ、ハツ。君はどうして俺達を裏切ったんだい? シャオロンと君の間に何があるんだい⁉」


 無言でジークの手を払ったハツは、振り向きざまに無防備な顔面を殴りつけた。

 一瞬、目の前に星が飛び、ジークは鼻に熱いものが流れていくのを感じた。


「ジーク!」


 殴られても諦めずに向き合おうとするジークを見て、レイズは魔力の防御壁を作ろうとし、リズは氷の双剣を両手に握る。

 

「レイズ、リズも待ってくれ!」


 二人が動く前にジークが声を張り上げる。

 ジークは、鼻から流れ落ちる熱い血液を手の甲で雑に拭うと、殴られた痛みをこらえながら言う。


「俺がハツと話してるんだ!」


 特徴的な前髪をかき上げ、二つの紫紺には、親友の為なら一歩も譲らないという覚悟と決意が宿る。

 

「同胞の犠牲の為にも、必ずあのクソをぶっ殺す……殺さなきゃならねぇ!!」

 

 ハツは、なおも止めようとするジークに背を向け、死に場所へと戻ろうとする。

 復讐に駆られる彼の中にジークはいないのだ。

 

 もう一度、前に立てば膝を蹴られてしまい、不格好にうつ伏せで転ぶ。それでもジークはハツの足を掴み、汚れた顔で必死に叫ぶ。


「行かせないぞ! 行ったら、君は死ぬじゃないか、そんなの許さない!」

 

「誰がお前なんかに助けて欲しいって言った? 仲間を売って、復讐しか残らないこの命になんの価値がある? 知ったふうな口を利くな!」


 強く叫んだハツの悲痛な感情は、痛いほど彼の心を映していた。

 鬱陶しいほど諦めず向かってくる姿に、苛立ちが止まらず拳を振り下ろす。


「俺はレオンドールの奴隷なのに……どうせ殺される命なのに、なぜ救った! もう放っておいてくれ!」

 

 苦しげに叫ぶハツは、幼い頃に自分の境遇を理解した瞬間、愛や道徳、友情や未来さえも捨てた。

 幸せの代わりに裏切りを覚え、自分の全てをかけて選んだのは復讐だ。


 それなのに、ジークと出会いどこかで期待をしてしまった自分がいた。

 もしかしたら、こんな自分でも仲間と笑いあえる未来があるのかもしれない……と。


 けれど、そんなものあるわけがない。ないのだ。


「君が! 人を殺すところなんて見たくない!!」

 

 どんなに振り払われても足元にまとわりつき、何度蹴られても離れないジークは、自分の正しい義を信じ貫く。それがとても眩しかった。

 

「きれいごとを言うな! 人間のお前に何がわかる、物心ついた時には一人で、亜人でもない、人間でもない……どこにも居場所がなく奴隷として生きるしかない俺の何がわかる!」


 気が付けば、ハツは誰にも話せなかった胸の内を叫んでいた。


「あの時、親と死んでいれば……こんな苦しい思いをする事なんてなかった……!」


 記憶の中で、両親の腕の中で甘えて笑う幼い自分がいた。一番、幸せだった時の記憶だ。

 それを自覚してしまった時、ハッと息を呑んだ。


 戻らない優しい記憶を辿れば、心が……魂が揺れた。

 

「本当はなァ!」


 ジークは、ハツの体の力が抜けた一瞬の隙を突いて足払いをかけた。

 思わぬ反撃に体勢を崩したハツは、そこでようやく目の前のジークと目を合わせる。


 眼前に拳が迫り、左頬に痛みが走った。殴ったのはジークだ。

 

「俺は初めて会ったあの時、君に助けてもらわなかったら死んでた。だから、君と……ハツと会えてよかった。俺だけじゃない、君に助けられた奴はいっぱいいる!」


 血と砂で汚れた顔で真っ向から見つめ返すジークは、親友から逃げずに言葉をかけ続ける。

 

「君は俺の初めての友達だ。居場所がないなんて、そんなこと言わないでくれ!」

 

 悲しみをこらえ唇を噛んだジークは、ハツの首に刻まれた奴隷印へ両手を伸ばした。

 

 うっすらと見える金色の首輪を握れば、レオンドール王の魔力が反応し触れることを拒むが、構わず強く握り、外そうと引っ張る。

 

「いっ……!」


 ジークの両腕に雷が襲いかかり、痛みと衝撃で固く目を閉じた。

 痛い、腕が焼ける。それでもジークは手を放さなかった。


 こんな痛みなんかよりも、もっと大切な伝えたい事があるんだ。

 

「居場所がない?」


 ジークは心の中で何度も否定する。――そんなわけがない、違うだろう? と。

 顔を上げ、胸を張る。だって、答えはすぐ傍にあるのだ。


 絶対に苦しい顔を見せないジークは、驚いて動けないハツに見せつけるように、とびきり大きく笑って言ってやった。


「君の居場所はここだよ。ここなんだ!」


 それは、誰も立ち入らなかった深い森に、そっと差し込む陽の光のような言葉だった。


「……!」 

 

 心の奥底に沈めていた思いを掬すくいあげる光に、ハツの目が見開かれる。


 あの時、記憶を失って船から落ちたジークにとって、色々な事を教え助けてくれたハツは一番古い親友だ。


 変わるなと言ってくれたことも、亜人解放組織に誘ってくれたのだって本心だろう。


「君は俺たちの仲間だ! アインローズなんて名前じゃない、ハツさ!」

 

 ジークは火傷で赤く腫れ、皮がむけた両手でハツの腕を掴み、はっきりと言う。

 

「一緒にシャオロンを助けに行こう! 相手がどう考えているかなんて、話してみないとわからないんだぞ!」


 濁りのない心を前に、勢いを失くしたハツは諦めたように笑う。

 

「なんさ……自分を陥れた相手に説教さか?」

 

 久しぶりに見るハツの笑顔に、ジークは張り詰めていた空気が解けていく気がした。

 安心して息を吐き出した直後、そんなジークの右腹に鋭い痛みが走る。

 体中の筋肉が強張り、痛みで息が詰まる。


「ぐっ……!」


 ジークがすぐさま腹に深く突き刺さったナイフを抜けば、白銀の先端には黒い液体が塗り固められていた。

 視界が揺らぎ、頭痛と吐き気がこみ上げてくる。


 ――毒だ。それも、入団試験の時に使われたものと同じ神経毒だ。

 

 息苦しさでうめき声を上げ、倒れていくジークを見下ろすハツは握っていたナイフを捨て、どこか寂しそうで追い詰められた獣のような目をしていた。


「ジーク……! おい、おい!」


 すぐにレイズがジークを支えようと駆け寄る。


「ジーク……?」


 リズは、ジークの腕がパタリと力なく落ちたのを見て、思わず目を丸くする。

 それが何を意味するのか、あの子自身が理解するよりも先に体が動いていた。


 両手に握る双剣の刃を下に向け、獲物を狩る狼のように速く塔の屋根を蹴った。

 一呼吸で間合いに入り込み、力任せにハツの首を狙って振り下ろす。


「どうして……? 動・か・な・く・な・っ・た・じ・ゃ・な・い・か・!」


 まるで、作られたおもちゃに対して言うように、リズは敵対心を剥き出しにして声を荒げた。

 

「お気に入りのおもちゃだったんさか?」


 予想していたと軽く刃を避けたハツは、動じることなく挑発する言葉を返す。

 

「違う、ジークはリズの友達だ! 何の罪もないジークを巻き込んで利用したお前が嫌いだ!」


 子供のように大きく首を振ったリズは、この感情の名前を知らない。

 ただ、目の前の相手を敵か味方かだけで判断し、素早く急所だけを狙う。

 

 単純な攻撃は当然、読まれやすく隙も大きい。

 隠していたナイフを抜いたハツは、次々と攻撃をいなし、少しずつあの子の体を切りつけていく。


「おめぇはそうやって、泣いて助けを求めた相手を何人殺した? その手で、何人殺したってんさ!」


 元とは言え、高い実力を持っている暗殺者のリズと互角に戦える人間はそういない。


 動体視力も高く、亜人という種がどれだけ戦いにおいて優れていたのかがわかる。

 互いの刃がぶつかり合い、魔力の双剣が削れて氷の結晶が舞う。

 

「おめぇが感情が欲しいと望んだ時、どんなに嬉しかったか……教えてやるよ」


 首にかけられた魔力の首輪が熱くなる。残された時間は短いと気付いた。

 だからこそハツは、冷静さを失っているリズを絶望へ叩き落とす為にわざと顔を歪めて嗤った。

 

 風の音が消え、全てが静止したと錯覚する世界で、ハツの冷酷な声が響く。

 

 

「十年前……おめぇが殺した亜人の家族はな、俺様の両親さ……なんの罪もない、愛し合った幸せな家族さ……!」


「!」


 レイズは弾かれたように顔を向け、幼い頃のリズが壊れてしまった時の事だと気付いてしまった。


 十年前、リズは逃亡奴隷を始末する仕事に向かい、亜人の子供を必死に守る親の姿を前にして『死』に疑問をもってしまった。

 忘れもしない。ケラティスの薬を使う原因にもなったあの時の事だ。


「だから、おめぇがあのルークの子供だとわかった時、死ぬほど嬉しかった。ああ、これで親の仇が取れる……生き残った意味がわかったってなァ!」

 

「…………え?」

 

 リズはぼんやりとハツを見ていたが、自らの朧おぼろげな記憶の底を覗いた時、凪いだ海のような表情が強張っていった。


「貴族の資格を失い、また元のように死ぬまで粗末に扱われ、誰にも見つけてもらえずに惨めったらしく内臓を抜かれ捨てられ、絶望して化け物に変わり果てるのを待っていたさ」


 ギョロリと動いた深緑が、頭を抱えて蹲るリズを見つめる。

 復讐者は、あの子にとって死よりも恐ろしい報復は絶望だと知っていた。


 例えレオンドールに母の面影を押し付けられ、癒しの魔力を利用されようとも、また心を失くしてしまう事だけは耐えられない。


 ハツは、唇を噛みしめたまま動かないリズを見下ろし深く息を吐いた。

 首輪は触れられないほど熱くなり、時間が来たのだと知らせていた。


「なぜ、お前だけが守られる……」


 そう言うと瞬きを一度だけし、ふらりと足を進める。空を背に両手を広げ、虚ろな笑みを深めた。


「まさか、やめろ……!」


 金色に光る首輪を見たレイズは、ハツが何をしようとしているのかわかって身を乗り出した。その肩を、血に塗れたジークの腕が押しやる。


 ハーヴェンが足場を蹴ったのと、ジークが飛び出していったのは同時だった。

 

 目を閉じたハツの人生は、涙と裏切りの繰り返しだ。決して幸せなものじゃなかった。

 視界いっぱいの夕焼けのカーテンを背に、物語の終幕を告げる為に落ちていく。

 

「だめ、だ!」

 

 ジークは毒で蝕まれる体力を振り絞り、レイズを振り切って飛び込んだ。

 辛うじて右腕を掴んだはいいが、勢いをつけすぎてしまい自分も落ちてしまいそうになっていた。


「この、バカ!」


 すぐにレイズがジークの足を掴み支えてくれたが、二人分の体重を支えるのは無理がある。

 それに、ジークの指は自分が吐いてしまった血で滑っていた。


「ハツ、君が何を抱えているのか、話してくれよ……」


 咳き込みながらそう言ったジークは、徐々に腕の感覚がなくなっていくのが悔しかった。

 神経毒のせいだとしても、仲間ひとり助けられない事がもどかしい。


「……オメェ、あの毒を食らってまだ…………」


 ハツは信じられないという顔をし、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 ジークは優しい。これ以上、優しいジークのそばに居れば死ぬのが怖くなりそうで言えなかった。

 ハツは、滑り離れていく手を見て観念したように小さく笑って言う。


「放しな。俺様はお前を犯罪者にしてシャオロンを、クソ王を、お人形ちゃんを……全員を地獄に落とそうとした最低なヤツさ」


「事情があるんだろう? それでも君は仲間だ……!」


 ずるり、と指が離れていく。ジークは毒による鼻血を拭う事もせず真っ直ぐに返す。


「一緒に帰るんだ……!」


「さっきレオンドールにやられた時、呪いをかけられた。もうすぐこの首輪が割れて俺様は死ぬ。これは、そういう物語なんさ」


 わかって欲しい、と穏やかに告げるハツは、全てを諦めてしまっていた。

 また一本、指が離れていきジークは咳込んでしまう。


 ハツはもう何も言わず、左手で薬品が入った瓶を取り出し、離れかけているジークの手に握らせる。

 落とさないように、必ず届くように。


 そうして最後に繋がれていた右腕を振り払い、真下にある固い地面へと落ちて行った。

 

「――!」


 声にならない叫びをあげたジークは、レイズに引き上げられると、すぐさま蹲っていたリズに詰め寄った。


「リズ! すぐにハツを追って……助けに行ってくれ!!」


 顔を上げたリズは、明らかに様子がおかしかった。


「ジ、ジーク、は、自分を陥れたアイツをなぜ助けるの?」

 

 真実を思い出してしまったショックで、目の焦点は合わずどこを見ているのかわからない。

 

 それでいて、壊れたおもちゃのように不自然な笑みを浮かべていたが、死の淵に立ったハツを助けられるのは、癒しの魔力を持つリズだけだ。


「頼むから、いいから行ってくれ!」


 ジークに怒鳴られ、驚いたリズはピタリと動きを止めて小声で言う。

 

「……これは命令? 嫌だって言ってもいいの?」


「命令だよ! 言う事を聞いてくれ……!」


 毒が全身に回り、もうすぐ動けなくなる。その前に、ジークは感情に任せて強く言い放った。


「…………はい」


 リズはジークの顔をじっと見つめると、今にも泣きそうなくらい、ぐしゃぐしゃに揺れている深海色の瞳を細め、悲しそうに頷いた。


 足場を見つけ、器用に降りていくリズを見送ったジークは、左手に握っていた薬瓶の中身を一気に飲み干すと、息を切らせながら仰向けに倒れ声を上げる。


「もう限界だ……あんな状態のリズにも命令して、本当に最低なんだぞ……!」

 

 徐々に体に力が入るようになっていくのを感じる。

 薬瓶の中身は解毒薬だ。ハツならきっとそうする。そうだと思っていた。

 

 レイズは服の袖に隠していた小さな袋を取り出し、何も言わずジークの頭を軽く小突く。

 片割れを無理やり従わせたというのに、彼は怒るわけでもなく、仕方がない奴だと困ったように微笑む。

 

「お前、マジで不器用だな。あとで謝っとけよ」


 そう言うと、ジゼルさんの癒しの魔力が込められた薬を差し出した。

 完全に治療する事は出来なくても、腹の傷を塞ぐくらいの効果はあるだろう。

 以前、別れ際にもらっていた貴重なものだが惜しげもなく使う。

 

「君の言う通りなんだぞ……」


 ジークは薬を口に含み、そう言うと両腕で顔を覆った。

1/8 改稿しました。

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