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ELYSION  作者: 秋風スノン
第4章 正義の境界
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第63話『まだ諦めない』

「見張りの人数は、っと……」

 

 その頃、裁判が終わりレオンドール城の地下牢に入れられているジークは、冷たい鋼鉄の格子を両手で握りながら忙しく辺りを見回していた。

 フィアが宿る大鎌は取り上げられてしまい、彼女の行方も気になって落ち着かない。

 

 ジークがいるのは、最低な環境の地下牢だ。

 汚れた床や天井がジメジメしてカビ臭く、石造りの壁が所々で崩れている。

 それに、明かりも小さな蝋燭だけで暗い。

 

 格子に顔を押し付け、薄暗い通路の先に居る見張りの兵士の影を覗くと、見える限りでは二人分。

 もう少し見ようと格子に顔をめり込ませるが、思ったよりも成果はなかった。


 ジークは「よく見えないな……」と、特に悲壮感もなく溜息をつきながら座り込むと、カビの生えた天井を見上げて上着を脱ぎ捨てた。


 もうエリュシオン傭兵団ではいられなくなったので、こんなもの着ていても意味はないと思うのだ。


「はー、それにしても死刑って。とんでもない事になったんだぞ……」

 

 ここにぶち込まれてしまう際に蹴られた背中がちょっとだけ痛い。

 愛用のマフラーを巻きなおそうと手をかけた時、ふいに甘い花の香りがした。

 

 ジークが匂いの方に顔を向けると、いつの間にか隣には今にも泣きそうな顔をしたフィアがいた。


「フィア……君、どうやって……」

「ガリアンルースで捕まって引き離された時に、バレないようにこっそり武器の姿から戻ったの」

「そうだったのか……でも、君が無事でよかったんだぞ」


 見張りの兵士に聞こえないよう、ひそひそと話す二人はお互いの顔を見て微笑んだ。


「……ジーク、ずっと見ていたわ。死刑だなんて酷い……」


「まったくさ。何だか、とんでもない事になったなって思うよ」


 先に口を開いたのはフィアで、悲しそうな彼女にジークは肩をすくめて答える。


「これ以上、あなたが不幸になるのを見たくないの」


 そう言ったフィアは、いつものように屈託なく笑うジークを真剣に見つめると、涙で濡れた目を見開いて言う。


「お願い。もう、あの亜人に関わるのはやめて!」

「え……?」


 突然の彼女の言葉に驚いたジークは眉を(ひそ)める。

 フィアは明らかに戸惑っているジークを無視し、口を挟む間も与えず次々と言葉を並べていく。


「だって、あの人達に関わったからジークは死刑になったんでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「私は、ジークが死ぬところなんて見たくない」

「待ってフィア、聞いて……」

「世界を巻き込んだ種族の問題なんて、ただの人間のあなたにはどうしようもないの……だから!」


 想いを我慢できず、最後の一言で声を荒げてしまった彼女は目を細め、涙を零しながら契約者であるジークの両手をギュッと握りしめた。


「もう、逃げましょう? あの亜人も、ロディオールも……貴族の子達も、何もかも捨てて逃げるの。ジークだけなら私の力で助けられるわ」


「フィア……」


 指先に伝わる彼女の温もりに、ジークは驚きと戸惑いを混ぜた顔をしていた。


「……ごめん」

 

 けれど、すぐに彼女の手を握り返すと、ダメだと首を横に振った。


「俺は逃げない。ここで仲間を見捨てたら、この先、胸を張って生きていく事なんて出来ない。バチクソポンポンイ・タイ……!」


「バチ……? 何それ…………」


 聞き慣れないおかしな言葉とジークの真剣な表情とのギャップに、怪訝な顔をするフィアは涙を拭う。

 

「シャオロンに教わった『とても苦しいが乗り切ってみせる』という亜人の言葉だよ。とてもいい響きだと思わないかい?」


 ジークはそんな彼女に、得意げなウインクを飛ばして教えてあげた。

 

「それに、もう何があっても折れないって約束したからね。簡単に諦めたりしないんだ……!」

 

 そうだ、ジーク・リトルヴィレッジは諦めない。苦しければ苦しいほど彼の意志は強く輝くのだ。


「ジーク……」

 

 こんな状況になっても明るく笑うジークを見つめていたフィアは、俯いて少し考え事をすると柔らかい花の蕾のような唇を解き、申し訳なさそうに力なく笑う。


「本当はね? あなたならそう言う気がしてた。ごめんなさい、酷い事を言ってしまったわ……」

 

「そんな事ない。君がここに居てくれて心強いんだぞ! ……っと」


 また力強く笑ったジークは、思わず大きな声を出してしまい咄嗟に手で口を塞いだ。

 

 フィアはジーク以外には見えないが、さすがに喋りすぎたかもしれない、と心配になりながら見張りの兵士の様子を見ようと格子に顔を押し付ける。


 見張りの兵士のジロリ、と睨む目がこちらを見ていた。

 真顔のジークと目が合ってしまったが、すぐに逸らされてしまう。

 きっと、死刑を前にして気がふれてしまったと思われているのだろう。


「何とかここから出て、みんなを助けに行きたいんだぞ……」

「任せて」


 ボソボソと呟きながら、脱獄の手段を考えているジークの肩をフィアが軽く叩く。


「私に考えがあるの。少しの間、体を貸してくれないかしら?」


 そう言って自信ありげな笑みを浮かべるフィア。

 ジークは何の疑いもなく彼女を信じ、頷いたのだった。


 

 レオンドール城の地下牢には、兵士の間で恐ろしい噂が広まっていた。

 その噂とは、夜中になると死刑になった罪人の霊が出るというものだ。

 その女の霊は昔、無実の罪で投獄されてしまい、怨念となった魂が今も彷徨っているのだという。


 反逆者であるジーク・リトルヴィレッジの牢の見張りを担当していた二人の青年は、今年から牢屋の見張りに配置されたばかりのコール部隊の新人で、その噂を信じていた。


 そして今日、彼らは死刑判決を受けたジークが、何やら一人で会話をしていたのを見ていた。

 死刑が確定した罪人の様子がおかしくなるのはよくある事だ。


 だが、今は先ほどまでの独り言は止み、暗闇の奥は不気味なほど静まり返っていた。


「……」 


 彼らは静かになった牢の方へ視線をやると、異常がない事を確認し安堵の息をついた。

 ――その時、格子の外に伸びた腕が手招きしているのが見えた。


 ひらひらと上品に揺れる指は妙に艶っぽく、おしとやかな女性が呼ぶかのように。


 ぼんやりとした明かりの中で手招きする怪しい腕を見た瞬間、彼らの頭の中に例の噂が駆け巡った。


「ひぃ……!」


 いやいや! と青年らは首を振る。あそこに投獄されているのは男だ。

 それも自分達と歳があまりかわらない男だ。そう自分に言い聞かせていると、年相応の太い男の声が彼らを呼んだ。

 


「うっふ~ん、ちょっとこっちに来てくださらないかしら? そ・こ・の・お兄さん? アタシと遊びましょ?」

 


 ジークに憑依したフィアは、語尾にハートマークをつける勢いで、持てる限りの可能性にかけて色仕掛けをしていた。

 

 だが、彼女は大事なことを忘れている。

 

 そう、どんなにフィア自身が最高の演技をしようとも見た目はジーク。

 ごく普通の程よく筋肉がついた体、前髪がショッカク虫のような、どこからどうみても間違いなく男のジークなのだ。


「ひっ……で、出た……!」


 見張りの兵士は顔を引きつらせると、震えながら背中を向けてしまった。

 女の霊が()りついたのかと怯えているのだ。


 一方で、そうとは知らないジーク(フィア)は、格子を握ったまま内股で座り、困ったと眉を下げた。


「……どうして? おかしいわ。こうすれば注意を引けると思ったのだけれど……」


 女の霊の噂を知らないフィアは、うっかり噂を本当にしてしまっていた。

 そもそもなぜ、ジークを使っての色仕掛けが通じると思ったのだろうか……。


 彼女の作戦としては、油断して近付いてきた見張りの兵士を殴って気絶させ、鍵を奪って逃げようというシンプルなものだった。


「どうしよう……何とかしないと…………!」


 次第に焦りが増して唇を震わせていた彼女は、気を取り直して指先に意識を集中させ、汚れた床に転がっている割れた石壁の破片を動かした。


 フィアは実体がない幽霊だが、意識を集中させれば物を動かせる事は出来る。


 指を振ってフワフワと石の破片を持ち上げ、狙いを定め『ポイッ』と投げ捨てるように飛ばす。

 

 すると、軽い勢いで飛んで行った石は見張りの一人の頭に当たり、恐怖で顔を引きつらせた二人の兵士はゆっくりと近付いてきた。


「かっ、からかうのもいい加減にしろっ!」


 それぞれに槍を手にし、牢の中にいるジーク(フィア)に突きつける。


「やだっ、怖い……!」

 

 言葉とは裏腹に内心冷静なフィアは、座り込んだまま奴らの腰のベルトに下げられた鍵束を目で追う。


 ただし、か弱い女の子のリアクションをしているのはジークである。


 もう少し近付けば、鍵が手に入る――。

 緊張で喉を鳴らしたジーク(フィア)は、またもう一度石を飛ばそうと両手をに力を込めた。


 今度は石で気絶させようとしたその時、急に体の力が抜けて反応が遅れてしまい手を下ろした。


「なっ……⁉ しまった……!」

 

 何か、気力と体力を奪われていく感覚で気分が悪くなり、集中が途切れてしまう。

 反射的に憑依を解いてしまった事により、フィアの意識はジークから離れてしまった。

 

 そして、憑依していたフィアが抜けた事で、ジークの中には本来の人格が戻り目に光が宿る。

 

「……あれ? 俺、何をしてたんだっけ?」


 目を覚ましたジークは、体を貸していた間の数分の記憶がなく、座り込んだままワタワタと忙しく辺りを見渡していると、目の前には槍の先端がすぐ近くまで迫っていた。


「ホアーッ!」


 狭い牢屋の中を高速で後ずさり、変な悲鳴を上げてしまう。

 格子の間から槍を突っ込んでいた兵士は、ジークの様子がいきなり変わった事に怪訝な顔をしていた。


 ジークからしてみれば、わけがわからないままのピンチだ。

 

「あ、あはは~……あはは~ん?」


 思いっきり顔を引きつらせ、とりあえず笑って誤魔化そうとしていたジークは、ふと兵士のベルトに鍵束がついている事に気付く。


 何とか奪えないかと考えていたその時、兵士の背後に白い煙が広がっていくのが見えた。

 ツンとした薬品の臭いが鼻をつき、思わずマフラーで口と鼻を覆う。


 何だか頭の中がふわふわとした感覚になり、眠ってしまいそうになりながらも必死に耐えた。

 幸い、ジークのいる牢屋の中にはガスはあまり来なかったようだ。

 

「この状況で脱走か?」


「その声……!」

 

 やがて、白い煙の中から聞き覚えのある落ち着いた低い声が降って来て、ジークは弾かれたように顔を上げた。

 

 彼の大きな手が煙を散らし、薬品を撒くために使った透明な糸を指に巻きつけ、綺麗にまとめる。

 次にナイフを抜くと、薬を吸って眠ってしまった見張りの兵士のベルトを切って鍵束を奪い取った。

 

 笑っているのか、小刻みに肩が動くたび、彼のモサモサの金髪が揺れていた。


 頭全体を覆う防煙マスクのデザインは、相変わらず実用性を極めすぎて不気味だが、彼が振りまいた催眠ガスは静かに消えていき、白く霞んでいた空間が徐々に開けていく。


「まぁでも、おめぇならやると思ってたわな」

 

 落ち着いた口調の彼はゆっくりと防煙マスクを外すと、目を丸くしたままフリーズしているジークをジト目で見て言う。

 

「まったく。色仕掛けをするなら、まず自分の顔を見ろさ」


 そう言って、からかうようにくしゃりと笑っていたのはハツだった。


「なっ……!」

「イマジナリー彼女は元気さか?」


 酷く疲れた顔は汚れてしまっているが、ハツはいつものように軽口を返す。


「ハ……ハツ! 色仕掛けって何のこと……っていうか、君に聞きたい事がいっぱいあるんだぞ!」


 ジークは、パッと顔を明るくすると格子に張り付き、ハツに聞きたかった事を訊ねようとした。

 どうしてシャオロンを抱えて去っていたのか……いいや、違う。もっと深く。


「ハツ、どうして君は亜人でありながらレオンドールの側にいるんだい……? 俺、頭がわけわかんなくなって……」

 

 とにかく本当の事が知りたいジークは、焦る気持ちを抑えながら息継ぎをするのも忘れてハツに問いかけ続ける。


「いやわかってるぞ! 君、俺達を騙したフリをしてレオンドールを倒そうっていうつもりなんだろう? 敵を騙すには味方っていうし、そうなんだろう? なぁ!」


「本当に、おめぇはバカさな……」


 次第に興奮して声が大きくなるジークを見つめるハツは、ぼそりと呟くと自身の首元の紋章を見せつけた。


「そ、それ……」 

 

 金に輝く悪趣味な紋章を見た瞬間、ジークは言葉を失う。


「俺様は、レオンドールに買われた亜人奴隷なんさ」


 口の端を吊り上げて笑うハツは自分を皮肉り、驚愕のあまり顔が引きつっているジークに「それだけさ」と続けると、持っていた鍵束のうちから一本取り出して牢の扉を開けてあげた。


「ど、奴隷……? 君が、レオンドールの……? どうして? 君は、亜人解放組織のリーダーじゃ……」


 ジークは信じられないとハツを問い詰める。


「奴隷さ」 

 

 短く答えたハツは表情を変えず俯き、唇を固く引き結んだ。


「ハツ……!」

「いいさか? 時間がねぇから、一回しか言わねぇ」


 ジークは彼に言葉をかけようとしたが、上から重ねられてしまった。

 

「ここを右に曲がると地下の隠し通路へ続く階段がある。そこに流れている水路を使えば外に出られるさ。入り口のカギはこの中のどれかさな」


 有無を言わせない勢いの言葉だった。


「あ……じゃあ、君も一緒に行こう! 君が亜人奴隷だなんて関係ない!」


 牢の外に出たジークは、すぐにハツに手を差し出すが、伸ばされた手が結ばれることはない。


「俺様は行けねぇ。おめぇを裏切った。自分の願いを叶える為に利用した。自分だけがよければ、あとはどうでもいいってのはいけねぇよなァ……」


 いつもの彼らしく淡々とそう言ったハツは、今までのふざけて笑う表情を消すと、全ての感情が枯れた瞳の中に鈍い輝きを灯していた。


「ジーク、この先何があってもお前は変わるなさ」

 

 そう言ったハツの中に、明日への希望はない。あるのはただ、闇に溶けるどす黒い復讐心だ。

 ジークは、ハツが何かを隠していると気付いて声を上げる。


「なんで……何でそんな事を言うんだい? 一緒に逃げればいいだろ⁉ 奴隷のいない世界を作るんだろ! 君はレオンドールに無理やり従わされてるんだろ? なぁ……ハーヴェン!」


 ジークは必死に叫び、背を向ける仲間を止めようと腕を掴んだ。


「遅いんだよ。もう戻れねぇんさ……」


 ハツは振り向かないまま目を閉じた。

 脳裏によぎったのは、両親の顔とこの数か月間の思い出……そのひとつひとつに蓋をしたハツは、思い残す事はないと目を開く。


 そして、一瞬の躊躇いもなくジークの手を振り払い、眼を狙って鍵束を投げつけた。


「うっ……!」


 怯んだジークが鍵束を受け取り顔を上げた時には、もうハツの姿はなかった。

 

 

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