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ELYSION  作者: 秋風スノン
第4章 正義の境界
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第55話『無力さの罪』

 やがて夜がやって来た。

 荷車が森に差し掛かった頃合いを見て、五人は干し草の中から出て荷車を降り、夜の闇に紛れ込んだ。


 憔悴し俯くジークに肩を貸し、慣れた様子で森の中を進むハツが、「ここは、西のミラナ領の中でも亜人の住む土地との境にある森なのさ」と言う。


 生い茂る枝葉を押しやり、人が通れないような狭い道を無理やり進めば、獣のきつい臭いが強くなってきた。

 

 疲れた体を引きずりながら奥へと進み、斜面を登る。

 やっと辿り着いた丘の上で今日は休むことになった。


 月の出ていない曇り空の下、丘の上からざわめく木々を見下ろせば、一面の影の森。

 それと、遥か遠くの空が明るく、ガリアンルースの位置を示していた。


「ここまで来れば、ひとまず安心さな」


 ハツはそう言うと、荷車の中からもらって来たオレンジを一つずつ仲間に投げて寄越す。

 ジークは手渡されたオレンジを受け取らず、いらないと首を振る。

 

「お前、一般民のわりには、この森について詳しいんだな」


 レイズは、オレンジを食べる気になれず手のひらの中で遊ばせ、どこか様子を探るように焔眼を細める。


「まぁな。ふるさとってやつさ」


 目を合わせず薄く笑ったハツは、皮ごとオレンジにかぶりついた。

 

 エリュシオン傭兵団に追われることとなり、明かりをつけるわけにもいかず、暗闇の中で互いの気配だけがわかる中、しんと静まり返った頃に誰かの喉から絞り出したような声が聞こえ始めた。


「うぅ……」


「……?」


 不思議に思ったリズが辺りを見渡すが、他の人間や獣の気配はなかった。

 だが、声でわかる。心が擦り切れてしまいそうになっているジークだ。


「なんで……」


 両目に浮かんだ涙を必死にこらえるジークは、背負っていた相棒のフィアを強く握りしめ声を上げる。


「なんで亜人が、亜人だけがあんなに辛い思いをしなくちゃいけないんだっ! どうしてあんなにも命を軽く扱う⁉ 何でだよ! おかしいだろっ! 何も出来なかった……なのに、皆を巻き込んで……!」


 息継ぎもせず、一気に言い切ったジークは、地面に頭を叩きつけ、どうしても消化出来ないやるせなさをぶつけた。


 逃げる途中、亜人区画の中に囚われていたのは、まだ大人に守られているはずの小さな子供たちだった。

 皆、不安そうにこちらを見つめていたのを覚えている。


 やせ細り、希望のない明日を待つ彼らの横を通り過ぎ、ここまで逃げて来た。


 ジークは、自分を責めているのだ。

 軽はずみな事をしてしまい、事態を悪化させてしまった。

 無謀な正義感だけで動いてしまい、彼らの身の危険も考えず、助けようとした亜人に拒まれてしまった。

 

 なによりも、ずっと心のどこかで何とか出来ると思い込んでいた浅はかな自分が許せなかった。

 レイズにあれだけ注意をされていたのに、楽観視して振り切った結果がこれだ。


「俺のせいだ! 全部、俺のせいだ……」

 

 金色の前髪は乱れて汚れ、額が切れて血が滲む。それでも、ジークは狂ったように地面に頭を打ち続ける。


「俺が、力もないくせに出て行ったから……! 俺のせいであの人達が殺される……俺のせいだ……!」

 

 ジークの光を失った瞳は輝かず、ひたすらに自分の罪を繰り返し嘆く姿は、普段の明るい姿からは信じられないほど弱々しいものだった。


「クソ野郎が……」

「ジーク……頭、痛くなる……」


 レイズはそんな痛々しい姿を見ていられなくて目を逸らし、リズもどうしたらいいのかわからずにいる。


 初めて見る、ジークの取り乱した姿にかける言葉が見つからない。

 辛さや哀しみと怒りが入り()じり、心が壊れかけているのは、誰の目にも明らかだ。

 

 その時、土と泥で汚れ引きつった頬に、桃色の彼女の白い手が触れる。

 大鎌から姿を現した少女、フィアはジーク以外には見えない。


「……ジーク、可哀想……自分の弱さにとても傷ついたのね?」


 甘い桃色の髪を揺らし、ジークを後ろから抱きしめた彼女は、愛おしそうに息を吐き出し、乱れた相方の髪を撫でる。


「俺のやろうとしている事が、人を傷つける……」


 ジークは蹲り、荒い呼吸を繰り返す。今はきっと彼女の声すらも届いていない。

 フィアは口元を緩める。

 

「ジークは目的の為に頑張ったじゃない。だから、あなたのせいだとしても……」


 そう言いかけたフィアは、こちらを見る射殺すような眼に気付き、ハッと顔を上げた。


「……違うヨ」


 視線の先、静かに話し始めたのはシャオロンだ。

 シャオロンは、丸く大きなブラウンの瞳でまっすぐにフィアを見つめ、感情のない声で淡々と告げる。


「亜人が人間の奴隷になったのは、亜人戦争で負けた彼らを守る存在がいなかったカラだヨ」

 

 彼女の姿はジーク以外には見えない。そうなっている。

 だから、これは偶然だろう。


「亜人の王は、女神エリュシオンの加護を()た人間に破れ、大地の底に落とされタ。けれど、それは人間が語る伝承の話、もし亜人の王が生きていたとしたラ……」


 そこで話を止めたシャオロンは、右手を突き出し、グッと拳を固く握りしめた。


「罪を(あがな)うのは、亜人の王ダ。キミじゃない」

 

「……!」 

 

 嵐を司る龍の絶対的な威圧感。

 フィアは驚いたように目を見開き、ジークから離れると逃げるように姿を消した。

 彼女の宿る大鎌は、微かに光を帯びていた。

 

「ダカラ、僕はキミを恨んでなんかないヨ。あれは、亜人の王の罪だ。それにネ?」


 シャオロンはそう言うとジークに歩み寄り、力の抜けた彼の腕を掴んで強引に起こした。

 そうして、悔しさで顔をくしゃくしゃにしたジークへ向けて、自分を嘲るように微笑んだ。

 

「何も出来なかったのは、僕も同じダヨ。もう(みじ)めで死んじゃいたいくらいネ!」


 あはっと困った顔で笑うシャオロンに、ジークは目に涙を溜めたまま口をへの字に曲げた。

 

「しっ……! それはダメだ!」

「冗談だヨ。ナニ泣いてるノ……気持ち悪いネ」


 渾身の力で首を振るジーク。シャオロンはいつものように、揶揄(からか)うようにニヨリと笑っていた。

 さらりと毒を吐くシャオロンだが、ジークに気を使っている事は見ていてわかる。


「シャオロン……」


 ジークは泣くまいと顔を強張らせ、一言ずつゆっくりと言葉に出していく。


「俺は、君や君の仲間を助けたかった。でも、一人じゃどうにもできないのに突っ走って、捕まっている人も危険にさらした……無力さの罪は俺にあるんだよ……!」

 

 とっくに自分が悪かった事はわかっている。ただ、勇気が出せず言えなかった事を伝える。


「本当に……ごめん……。みんなも巻き込んでごめん……」


 はっきりとそう言い、付いてきてくれたレイズやリズ、ハツにも頭を下げた。

 この場の誰よりも傷ついているシャオロンがわざわざ話すきっかけを作ってくれたのだ。

 無駄にはしたくない。


「ナンで謝るノ? 亜人の為に戦ったキミを非難する者はいないヨ」

 

 深く頭を下げるジークに視線を合わせたシャオロンは、芝居がかった様子で不思議そうに首を傾げる。

 荒れて、ひび割れた風を包み込む柔らかな優しさは、彼にしか出来ないものだ。


「俺は別に。どのみち、フューリーのクソ野郎をぶん殴りたかったからな。遅いか早いか、だ」

 

 口が悪く、素直じゃないレイズは眼鏡を外し、暗闇の中でレンズを丁寧に磨いているが、汚れが取れているのかも見えていない。照れ隠しなのは明らかだ。

 

「リズは、仲間を守るためなら戦う。だから付いていく!」


 そう言って、顔の横で両手の拳を握るリズは、フンスッと荒い息を吐き出した。

 無表情ながら、あどけなく素直だ。


「みんな……」


 ジークは、胸の奥からじんわりと熱が戻って来るのを感じ、こぼれそうになった涙を引っ込めようと顔を伏せた。そこに、ハツの腕が伸びる。


「うわっ!」

 

「世界は簡単には変わらん……けど、立ち上がらないとなんも変わらんさ!」

 

 そう言って豪快に笑うハツは、持っていたオレンジの最後の一口を食べきると、ジークの肩に自身の右腕を回した。


「ハツ……その、今はちょっと……」

 

 はずみで涙が落ちそうになったジークは、歯を食いしばって耐える。

 耐えすぎて全身に力が入り、半端なく顔が引きつっていてなんだか怖い。


「ほん? なんさ、泣いてるんさか?」


 グッと肩を震わせているジークの顔を下から覗き込んだハツは、意地悪な笑みを浮かべると大きな手でジークの頭を二回、ポンポンと優しく撫でた。


 そうして、いつもとは違う穏やかな声色で言う。

 

「泣きな。泣かないと、いつか本当に泣き方を忘れるさ」


 ひとこと。たった一言だ。

 

 その言葉を聞いたジークは、今まで我慢していたモノが溢れ出ていくような感覚になった。胸に灯った炎が燃え上がり、我慢できなかった感情が押し流されていく。


 ――ぽたり。

 ――――ぽた、ぽた……。

 

「あ……あれ?」


 気付けば、両目からは大粒の涙が零れ落ちていた。

 頬を暖かく濡らしていく涙は、擦り切れてしまいそうな心を癒す薬だ。


「あれ、あれあれ……? なんでだい、止まらないんだぞ? はは……は……」

 

 焦ったジークが手で拭い、止めようとしても止まらない。

 戸惑いの声はやがて嗚咽(おえつ)に変わり、胸から溢れて止まらない気持ちを受け止めたジーク・リトルヴィレッジは我慢することをやめ、小さな子供のように泣きじゃくった。


 昔の記憶がないジークにとって、初めて流す挫折(ざせつ)と希望の涙だ。

 

 四人の気のいい仲間は、どれだけの時間がかかろうとも、ジークが泣き止むのを静かに待ってあげた。

 何も言わなくても、それぞれ挫折を味わっている。だから、気持ちがわかるのだ。

 

 やがて、森の中に心地のいい風が吹き抜け、花や草木、落ち葉を巻き上げていく。

 再び森を包む風が吹き始めた頃に、ジークは顔を上げた。

 

 暗い森を見下ろしながら、ジークはポツリと零し始めた。


「……俺は、無力だ。この問題は一人じゃどうにも出来ないってやっとわかったよ……」


 これは、どんな時でも前を向いているジークの本当の弱音だった。


「諦めるんさか?」

 

 ハツが問いただす。

 

「……本音を言うと、少しそう思ったりもした……」

 

 ジークはそう言うと仲間達に向き直り、へらりと真剣な表情を崩す。

 いつものように屈託のない笑顔を浮かべて続けた。


「でもダメなんだ。諦められないし、諦めたくもない! だから今度はちゃんと手順を踏む。まずは人間側で協力者を探して、きっと人間と亜人が手を取り合える世界を作るんだ!」


「後悔はないさ?」

 

 ハツはニヤリと笑うと、わかりきっている答えを訊ねた。


「ない!」


 ジークは即答し頷く。あの時、船の上で会った時と同じように固い意志は揺るがない。

 まだ目は赤いけれど、真っ直ぐに空を見据える眼は強く輝いていた。

 

「ジーク……ウン、一緒に頑張ろウ! そうこなくっちゃネ!」

「リズも賛成する。亜人は好きだ」


 シャオロンは本当に嬉しそうに頷き、リズとハイタッチを交わしている。

 この二人は本当に仲がいいのだ。

 

「自分のしでかした事を悔やんで泣く事は恥ずかしい事じゃない。それに、無力さは罪でもねぇ……もう折れるなよ」


 小さな炎を召喚したレイズは、ふわふわと浮かぶ炎を操り仏頂面で言う。


「シャオロン、リズ……レイズもありがとう!」


 散々な自分もさらけ出したジークは、太陽のような顔で笑う。

 もう二度と希望を無くしたくない心は強く、怖いものはない。


「よお! やっといつものオメェに戻ったさな!」

 

 お互いの顔がぼんやり見える程度の明かりの中、ハツはもう一度ジークにオレンジを投げて寄越した。


「ああ、なんだか頭の中がスッキリしたんだぞ!」


 ジークはそう言って、今度こそ受け取ったオレンジを皮ごとかぶりついたが、あまりの渋さにホリの深いオッサンのような顔になった。


「アッス! シブッ!」

 

 それでも、久しぶりに食べたオレンジは瑞々(みずみず)しくて美味しかった。


「そういや、昔は人間側でも亜人奴隷に反対する動きがあったらしいぜ」


 自分の両足をマッサージをしながらレイズが言う。彼は窮屈なのか制服の上着を脱いでいた。


「そうなのかい?」


 パッと顔を明るくするジークだが、レイズの表情は浮かないままだ。

 

「ネクラーノン家がそうだな。レオンドールとミラナに圧力をかけられて潰れちまったよ」


「……そう、なんだな……」


 ネクラーノン家といえば、リズが偽名として使っていた家の名前だ。

 まさか、そういった事情で没落していたとは思ってもみなかった。


 それでも、人間側に亜人の味方をしてくれた存在が居た事実だけでも救われる気分だ。


「……ソッカ……」


 シャオロンは肩を落とし、小さくため息を吐き出した。

 そんな中ハツは、また俯いてしまったシャオロンを励ますように背中を叩く。


「けど、亜人はオメェらが思っているよりも弱くねぇ。知ってるさろ? それに、あそこの亜人は連れて来られたばかりですぐには殺されたりはしないさ」

 

 彼の口から出てくる言葉は力強く、時々おどけたりもしながら仲間の心をそっと持ち上げる。

 

「亜人は王を失い、何百年も経った今じゃ何族が王だったかなんて覚えてるヤツはいねぇさ。戦うのなら今さよ!」


 そう言い切り、明かりに照らされた仲間を見回したハツは、フンと胸を張って見せる。


「ハツ、君はどうしてこんなに助けてくれるんだい?」


 ジークはそう問いかけた。ガリアンルースの亜人区画で、真っ先に退路を開いてくれたのはハツだ。

 この森に入ろうと言い、案内してくれたのも彼だ。

 

 ハツは、もともと他人に興味がないと宣言していた。

 だから、どうしてここまでしてくれるんだろうという疑問が湧いていた。


 するとハツは、「ふむ……」と少し悩んだあとに答える。

 

「ジークのバカさ加減に負けたのもあるさが……貴族をぶっ潰すなんて、こんな面白れぇコト、見逃してられんさからな」

 

「それだけか?」


 訝しげに見ているレイズ。ハツは当然さ、と頷いた。

 


「あとはそうさなー……そもそも俺様、亜人さからな」

 


 顎に手をあてたハツは、モッサモサの髪を両手で持ち上げ、何でもない事のようにサラリとそう言ってのけた。


 

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