第5話『エリュシオン傭兵団の入団試験②』
幸い、穴の底には何も仕掛けられていなかったので単純に落ちただけだったのだが、ジークが落ちた重さで木の上に仕掛けられていた土が落ちてきてしまい、見事に首だけ地面から出てしまったというわけだ。
「いや、うん……」
こんな事ってあるんだ、とジークは真顔で呟いた。
辺りを見渡すも、罠を仕掛けた相手は近くにいないようで、襲われる心配はなさそうだが身動きが取れない。
しっかりと流れ落ちた土は魔法がかけられて湿っており、人間が一人入るサイズの穴では腕も動かせないでいる。
無理に動こうとすれば、体がもっと深くに沈んでいく感覚がした。
もしかして、一生このままなのだろうか……。
ジークがこの世の終わりのような顔で目の前を跳ねていく虫を眺めていると、誰かの影が落ちた。影は明るい声で話しかけてきた。
「……さらし首カナ?」
「いや、生きてるんだぞ!」
『誰か』は反射的に叫んだジークの側に落ちていた仮面を拾うと、口元を隠しながらハハッと明るく笑った。
「首だけナンて、バチクソキモチ悪いネ!」
「ばちくそ!?」
まさかの声の明るさと内容がマッチしていないので、ジークは混乱とショックで白目をむく。
初対面にも関わらず、どんな絡まれ方をしているというのだろうか。
そんなジークを置いて、えらく距離感が近すぎる彼は、ハニーブラウンの髪をふわふわと揺らし笑う。少し慣れない話し方をするヒトだった。
「僕はリーデルっていうンダ! ヨロシクネ?」
背丈はジークよりも低く、がっしりした体系をしているが、同じ年頃にしては幼さが残る顔立ちをしていた。
「よ、よろしく! ジークだ」
まるで、周りを明るく照らすような笑顔につられジークも挨拶を返すが、地面から首だけ出ているのは、さすがにシュールである。
リーデルはそんな事などお構いなしに話を続けていく。
「ジツは僕、仲間といたんだけど皆やられちゃって一人になったんだヨネ」
そう言って困ったなー、とこぼすと上着のポケットからコインを三枚見せてきた。
彼もまたどこかで戦い、逃げ延びたのだろう。
「そうなんだな、俺も一人なんだよ」
「知ってるヨー、キミ目立ってたシ! すごい前髪ダネ!」
「地毛なんだぞ!」
こんな他愛のない話をしているが、そんな事よりジークは穴から出して欲しい。
リーデルは地面に膝をつけるとコインをしまい、持っていた仮面でジークの周りの土を掘り起こすと、声のトーンを落として話す。
「もし良かったらダケド、組まなイ? 僕、ガード希望なんだヨ」
最初に聞いた説明では、生き残った一つのチームが合格すると言っていたけれど、負けたもの同士が組んではいけないというルールはない。
だが、これは双方の信頼がなければ成立せず、ましてや今さっき会ったばかりの相手に対して快く受けるわけもない話しだ。
なんなら、リーデルはさっきからジークの都合を一切気にせず話を進めている。
「どうカナ?」
ジークは自由になった首回りを動かし、頷いた。
「もちろんさ! 俺はどれに就くなんて希望はないけど、一緒に頑張ろう!」
ジークは迷わず受けた。
「そんな、ちょっとは迷おうヨ!」
これにリーデルは驚いたように目を丸くすると、また声を上げて笑った。
通常は断るか、迷うかだろうに、ジークはまるで昔からの友達の誘いを受けるように即答したのだ。
「ホント、変な人ダネ」
リーデルは大きなブラウンの瞳を細めてまた笑う。
彼のジークの事を知っているような口ぶりはどこか不自然ではあるが、もしかしたら元々こういう人なのかもしれない。
「いや、助けてもらったのはこっちなんだぞ。俺、普通に生き埋めだし」
ジークは、あのまま見つけてもらえなかった時の事を想像して背筋が冷たくなった。
リーデルは気にしないで、と言う。
「んーん、助けてもらったのはコッチの方だからネ。あの時もネ、これも役に立ってヨカッタヨ」
「あの時?」
「ナンデモない! さ、大丈夫だヨ!」
重い土をものともせずジークを掘り出したリーデルは、汚れてぼろぼろになってしまった白狼の仮面をその辺に捨ててしまった。
ジークは服に付いた土を払い落しながら、鞄の中からコインが入った袋を出した。
「じゃあ、俺の持ってるコインは君に預けるといいかい?」
「ハイ、あげル」
リーデルは何の躊躇いもなく、ズイッと自分が持っていたコインを差し出し、ジークに渡す。
会ったばかりだというのに、自分を信用して二つ返事で仲間になってくれたジークに対する彼なりの信頼の証なのだろうか?
「これ、俺が持ってていいのかい?」
迷わず手を組んだのはいいけれど、彼がどんな性格をしているのかもわからない。もしかしたら後ろから殺されてしまうかもしれないという疑問も浮かぶ。
「この顔、嫌いだからキミに持ってて欲しいンダ」
リーデルはそう言うと、レオンドールの彫られたコインをジークの手に置いた。
彼はジークに対して異様にフレンドリーで、何か裏があるのかもしれない。
それでも、そんな事よりもジークは、こんな状況でも明るいリーデルと仲間になれた事が本当に嬉しかった。
だから、コインを受け取り、自分の分と合わせて持つことにした。
「サテ、今の時点でどれくらい生き残ってると思ウ?」
歩き出したリーデルは振り返らずに聞く。
「正直、半分は減っていると思う。さっきから悲鳴も聞こえなくなってきているし」
そう答えたジークが空を見上げれば、日が沈みかけていた。
もう試験が始まって半日以上経っていたのだ。
「夜が来る前に休むトコロを探さないとネ」
前を歩くリーデルは、そう言って目の前に生い茂る木の枝を押しやりながら進む。
確かに、夜の森は昼間よりも遥かに危険だし、夜襲を受ける事だって十分考えられる。
太陽が沈み切る前に寝床を探さないといけない。
森の奥に進めば進むほど、戦いの跡が残っている。
木々が割れて倒れ、魔法で荒らされた地面が崩れかけている所もある。
亡くなってしまった遺体を運んでいる試験官を横目に、ジーク達は遺跡の方へ向かう。
おそらく遺跡には、自分達の他にも向かうチームが多いのはわかっている。
だが夜の暗闇の中、身を隠すものが何もない森で野宿をするより少しはマシだと思いたい。
夜は、人間を襲う魔物が現れる時間だ。
人ではない異形の姿は、何の因果か亜人を襲わず人間だけに向けられる憎悪の塊でもある。
陽が沈むにつれ、地面に映る影はより濃く、長く伸びていく。
ここで襲われたとして、一体や二体の魔物なら何とか出来ても、囲まれたら手に負えない。
「はぁ、はぁ……!」
ジークは息を切らせて走った。疲れのせいで足はもつれて転びそうになる。
「ジーク、ダイジョウブ?」
先を走り、道を開いてくれるリーデルは息ひとつ切れていないが、足場の悪さもあって焦っているようだ。
「大丈夫、だと思う……」
ジークが強引に前を塞ぐ木をへし折っていると、すぐ近くで悲鳴が上がった。
「なんだ!? ちょっと待ってくれ!」
声の方へ振り返ったジークは足を止め、素早く辺りを見渡せば、魔物に襲われている五人の受験者を見つけた。
何が起きようとしているのかわかったジークは、驚きで目を見開く。
植物の形をした魔物は、次々に獲物である人間達の体に絡みつき養分を吸い取ろうと、獲物の柔らかい肉に根を突き刺していく。
あまりの痛みに人は悲鳴を上げ、なんとか逃れようと身をよじるが、余計に深く刺さってしまう。
ジークの傍まで戻ってきた彼は、見物がてらのんびりとした口調で話す。
「はー、アレに捕まるのッテ運がないネェ……」
やれやれ大変だネー、と口だけで同情するリーデル。
その横を、金色の触覚頭が駆け抜けて行った。
一切迷わない、ジークだ。
ジークは考える前に鞄を投げ捨て、ナイフを持って魔物に向かっていった。
勢いに任せ人の足に絡みつく根をナイフで切り落し、本体から引き剝がす。
魔物はけたたましく叫び、獲物を離すまいと伸ばした蔓を踏んだ。
一度は動きを止めた蔓だが、すぐにジークの足に絡みついて転ばせる。
「この……っ」
すぐに起き上がり、蔓にナイフを突き刺し、地面に縫い留めた。
反撃を食らっても諦めずに食って掛かるジークに、リーデルは困惑したように首を傾げた。
「……なにやってるノ? 放っておけば人数が減って楽に勝ち残レルヨ?」
彼はそう言うと、ジークを疑うように目を細める。
「何って、助けるんだよ!」
ジークは、彼の方を見ず魔物に飛びつき動きを止めた。
「ジークは勝ち残りたいんジャないノ?」
深く芯をついてくるようなリーデルの言葉に、ジークは声を荒げた。
「残りたいさ! 残りたいよ!」
けど! とジークは大きく息を吸い込んで体を反らせ、勢いをつけた一撃の覚悟を決める。
逃げるのは簡単だ。でも、そうしないのは自分のためだ。
「俺は、助けられる命を見捨てる卑怯者でいたくない!」
そう腹の底から声を張り上げ、植物の魔物の顔面に強烈な頭突きを食らわせた。
「いったっ……!」
ジークは、あまりの痛みに顔を歪める。目の前を星が飛んでいるようだ。
頭突きのついでに目の上を切って血が出てしまったが、かまわない。
そんなジークを前に、リーデルは冷めた表情でぽつりと呟く。
「……ソレは、この人タチが人間ダカラ?」
ジークは、腕に絡みついていた魔物の根を剥がし、気味の悪い顔面にナイフを突き立て声を荒げた。
「違うッ!」
助けを求めている声を無視して自分だけ助かりたいのなら、そもそもこんな生き方はしていないのだ。
だから、自分を鼓舞するように叫ぶ。
「命は、平等だ! 人間も亜人も変わらない! 絶対に、絶対だ!」
「……亜人も……?」
強く、意志が籠った言葉に、リーデルの退屈そうに曇っていた目が見開かれる。
――何かが、変わろうとしていた。
「亜人もだ! 俺は誰も諦めたりしない! 助けるんだぞ!」
ジークはそう叫び、囚われていたヒトの手を取り救い出した。
これで二体の魔物を倒したが、まだ三体残っている。
正直、今の頭突きで結構なダメージを受けてしまったので全員を助けられるのか微妙なところではある。
今の間にも魔物に寄生され、恐怖と痛みに襲われている女の子の顔から生気が消えていく。
獲物を飲み込もうと魔物は大きく口を開ける。
「やめろーっ!」
ジークは、目の傷を押さえながら助けようと手を伸ばした。
「……ッ!」
――間に合わない。
女の子は諦めたように手足を投げ出した。
魔物の根が大きく鼓動した次の瞬間、悲鳴が上がった。
――ギャァァア!
魔物は汚い鳴き声を上げながら真っ二つに裂けた断面から液体を散らし、痙攣しながら崩れ落ちていた。
引きちぎられた半身を掴んでいたのは、傍観を決め込んでいたはずのリーデルだった。
彼は目を輝かせて嬉しそうに笑いながら、二体の魔物を引きちぎり乱雑に投げ捨てるとジークへ駆け寄ってきた。
「人の為に自分を投げうって戦うの、かっこいいネ!」
そう言って、すれ違いざま最後の一体の頭を掴み、流れるような動作で握り潰した。
まるで腐った果物のような悪臭が立ち込め、声を上げる間もなく魔物が絶命したのだとわかる。
「リ、リーデル……」
ジークは驚いて言葉を失っていた。
植物の形をした魔物は数ある魔物の中でもかなり厄介なもので、下手に手を出せば群らがって寄生されて終わる。
それをあんなに簡単に倒してしまえるなんて……。
「あ……えっと、僕は……」
リーデルはジークの視線に気付くと、先を話すのを躊躇うように俯いた。
魔物の頭を投げ捨て、気まずさを誤魔化すように、汚れた手を服で拭う。
数秒の後、先に口を開いたのはジークだ。
「ありがとう! また助けられたんだぞ!」
「エッ!」
思わぬ言葉にリーデルは驚いて反応に困っていたが、ジークはお構い無しに、言葉を続ける。
「そんなに筋肉があるようには見えないけど、君って、すごい怪力だな!」
そう言って屈託なく笑えば、リーデルは顔を引きつらせて笑い返した。
「……か、怪力? あんなこと言ったのに怒ってナイ? 僕が変だって思わないノ?」
「なにも? 変なこと聞いてくるからびっくりしたけど、君も俺と一緒じゃないか!」
頭の傷を押さえながら、ジークはそう言って白い歯を見せた。
不安げにジークを見ていたリーデルは、思わず吹き出してしまう。
「は、ははっ! そっか、そう? そうかもネ!」
「? そうだぞ!」
つられてジークも吹き出した。互いに顔を見合わせて笑えば、もう仲間だ。
「あ! こうしちゃいられないんだぞ!」
ジークは、思い出したように助け出した人達に駆け寄っていく。
怪我はしているものの、寄生される前に助けられたので全員気絶しているだけのようだ。
ジークは安心してその場にへたり込んだ。
「い、生きててよかった……」
自分でも無理をしたと思っていたけれど、全員生きていた事は奇跡だ。
もっとも、リーデルがいなければジーク自身も養分にされていたのだが。
無謀で無茶な事を平然と、ためらい無くしでかすのがジークだ。
「改めて君のおかげだよ。助けてくれてありがとうな!」
何の疑いもなく礼を言うジークに、リーデルはゆるゆると首を振って口を開いた。
「ううん……人間の中にもマダ、君ミタイな人もいるのにずっと失礼な態度でゴメンナサイ」
俯いたリーデルは両手を固く握った。
失礼な自覚はあったのか。
「いいって! そんなの気にしないんだぞ」
そう言って笑うジーク。細かい事は気にしない。
リーデルは……いや、リーデルと名乗っていた彼は顔を上げ、丸いナッツのような瞳を輝かせ、ジークの前に右手を差し出してこう言った。
「僕は、シャオロン! シャオロン・リーデルハオラロディオール。以前、船で助けてクレタ事も含めて、人間の貴方に感謝シマス!」
妙に発音が違うが、言葉は丁寧だ。
やたら長い名前だが、彼があまりにも屈託なく笑うので、ジークもつられて頬を引きつらせて笑ってしまう。
「へ、君の名前ってシャオロンなのかい? ていうか、もしかしてあの時の船で一緒に飛び込んだ人かい!?」
彼はあの嵐の海にジークと飛び込んだ人物だった。
「そう、リーデルは偽名。キミがどういうヒトなのか知りたかったカラ、試すようなことをしちゃったんだヨ」
ゴメンネ、と言うも全く悪びれていないシャオロン。
おそらく、もともとこういう性格なのだろう。
「いや、こんな所でまた会えるなんて思わなかったよ。人を試すなんて性格悪いんだぞ……」
ジークは口ではそう言いながら伸ばされた手を取って立ち上がり、緩んでいたマフラーを巻き直してニッと笑って見せた。
「ジーク・リトルヴィレッジだよ。改めてよろしく、シャオロン!」
そう、ジーク・リトルヴィレッジは細かいことを気にしないのだ。
それから二人は気絶している五人を安全な所に運んであげ、出来る限りの事をしてあげた。
ジークの目の上の傷は思っていたよりも浅く、目を覚ましたトリート見習いに手当てをしてもらえたので一安心だ。
彼らと別れて遺跡に辿り着いた時にはもう夜になっていたので、ジークとシャオロンの二人は遺跡の入口にある石像の陰に隠れて休むことにした。
木々がざわめき、虫の鳴く声が聞こえる。
辺りに人の気配はしないのを確認して横になると、ジークはすぐに寝入ってしまった。
警戒心もなく大の字になって眠るジークの近くでは、シャオロンも膝を抱えて眠っている。
ジークの腹の上に広げられた上着を、細く白い指がそっと手繰り寄せてかけなおしてあげる。
月の光に照らされた横顔はジークが港の街で出会った少女、フィアだった。
フィアは無防備に寝息をたてているジークの頬に触れると微笑み、木々の間から差し込む優しい光と同化するように消えていった。