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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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77 人間関係をふわっと語ってみる

 さて、もうひとつ考えておこう。

 よく分からない人間関係について。ぼやっと抽象的な話をしてみよう。


 社会的動物である人間にとって、人間関係は最もありふれた、そして最大の課題だろう。

 個人主義の広まった現代において、誰もが自分の人生を想っている。誰もが自分の人生構造を最高のものに――というのは現実的な制約があるにせよ、納得できる程度のものにはしたいと考えている。

 だが、果たして筆者(わたし)という個人は実在するのだろうか? 骨が肉と皮を(まと)うだけか。心や精神が身体を(あやつ)っているのか? 学んできた全ての知識の寄せ集めか? それとも、矛盾だらけの雁字(がんじ)がらめ、そんな思想の成れ果てか?

 そも、私個人はこの身のうちに潜むものが全てだろうか?

 この小説は筆者(わたし)ではないのだろうか? 私と君の繋がりは、私を含んでいないのか? 声や言葉、歌、手を伸ばした先や、視線の向かう先は私ではないのだろうか?

 私という現象、その構造は、関係性によって意味を持つ。自分の中にある構造、自分の外にある構造、自分と重なりのある構造。内々の関係性もあれば、内外の関係性もある。

「構造は関係性によって意味を持つ」――これを関係性原理と呼ぶことにしよう。

 いつも通りだね。名前がないと不便だからだ。

 実存同士が関係性を持つのなら、関係性は実存が繋いでいる。実存とは関係性の関係性のことだ――なんて、言葉にしてしまえば取り扱いが楽になる。本題と関係がないのでこの辺でやめておくけれど。

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