69 必要不可欠な仕事<エッセンシャル・ワーク>
さて、やりがいについて何となく掴めたところで、必要不可欠な仕事について考えてみよう。
社会に必須とされる仕事でありながら、その多くは社会的評価が低く、低収入、または異様に長い労働時間になりがちだ。当たり前に必要なことほど、感謝は背景に融けてしまい、人は簡単に忘れてしまう。問題が表面化してようやく、場当たりな感謝をひねり出せればマシな部類、ちょっとした不手際に怒り狂ったりする。原因は従事者ではなく、それまで無視してた自分たちの側にあるのに、理不尽なことだね。
だが、感謝ができたとしても、それはそれでやりがい搾取に加担してしまっていないかと不安になる。非常にたちの悪い、仕事をする側される側、行き詰まった印象を受ける。
現状の世の中は、過剰を突き詰めることによる解決を狙っているように思う。というのは、人工知能などの先進技術、何らかのイノベーションによって現状を打破しようとしている。
ただ、なかなかに難しいだろう。現状の生成AIの得意分野は、テキストや画像、動画が絡む分野……情報通信技術が根付いた分野に限られる。AIにとって親和性が高いからだ。続いて社会的評価が高い、特に給料が高い仕事だ。コロナ禍ではAIドクターがいっとき注目を浴びていたね。高い人件費が掛かる仕事ほど、AIの開発にかかる莫大な費用をカバーしやすい。投資が集まるわけだ。とはいえ、AIドクターが応急処置や手術などの実務的な医療行為を代わってくれるわけではない。現状軽い診断ができる程度のものだ。
まぁ、医療従事者、医者も必要不可欠な従事者ではあるが、例外的に給与は高い傾向にある。この例外でさえ、完全に代替されるようなことにはなっていない。
では、給与があまり高くない、一次産業や運輸業や生活インフラ、介護事業に関わる人たちはどうか? 果たして彼らのために、投資が集まると期待できるだろうか?
いずれは集まるだろう。けれど、後回しにされることは確実とも思う。AIによる仕事の代替が進み、コストダウンが実現してようやく、だ。それは一体いつになるんだ?