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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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68 やりがい

 さて、離れがたい人間関係その2として、仕事について考えてみよう。


 現代において、仕事はなかなかに離れがたい。

 日々の糧を得るために、人々との繋がりのために、御客様(きみ)の笑顔のために。

 理由は数あれど、気軽に仕事を辞められたら苦労はしない。


 そして、仕事は数あれど、特に困った仕事がふたつある。


 ひとつ。必要不可欠な(エッセンシャル・)仕事(ワーク)。やりがい搾取を受ける仕事だ。

 ふたつ。クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)。やりがいがまるでない仕事だ。


 おや? そういえば、この「やりがい」というのも形のない……心理的『余裕(スラック)』と言えそうだぞ?

 やりがいって何だろう? 例えば、私にとってこの駄文を並べ立てることに、果たしてやりがいなんてあるんだろうか?


 まず、個人的なやりがいだ。

余裕(スラック)』、こんな何でもないことを2ヶ月以上、えんえん書き続けるような奴はそうそういないだろう? こんなことをわざわざ、私が書かなきゃ誰が書くんだ? という自我(エゴイズム)が書く動機になっているね。


 続いて、関係性によるやりがいだ。

 こんな馬鹿げた話を真面目に書くことにより、君が笑ってくれることを期待している。それは(あざけ)りを含んだものかもしれないし、(あき)れ混じりかもしれないし、もっと肩の力の抜けた自然な笑みかもしれないね。まぁ、どれでもいい。贅沢が言えるほどの文章力、表現力があるだなんて思っていない。でも、ただ書くだけではない、上手く書こうと思えるのは君が理由だ。


 最後に、社会的なやりがいだ。

 何かにつけて、過剰な世の中だと思う。特に、結果・結論。需要も供給も多すぎて、その価値はあまりに不安定だ。反面、それに至るまでの経緯、努力や動機づけ、方法論、なぜそんな考えに至ったのかなどは、背景(やみ)()けてしまって、スキップされがちだ。

 だからこそ、過剰社会に対する認知的背理法(ツンデレごっこ)として、努力論に至る空理空論(スラックマネジメント)には社会的な意義があると思うんだ。この疑問が背景(やみ)()けてしまう前に、書き留めておきたい。これもまた、書く理由になっている。



 そして、『余裕(スラック)』であるからには、適切以外にも過剰・不足・(こじ)らせも考えておきたいね。

 過剰であれば、義務感から書くようになるだろう。すると、恐らく視野が狭まってしまい、ネタが枯渇する。書こうと思うのに書けない。でも義務感で(かす)んでしまって、原因が自分では分からない。

 不足すると、そもそも書く動機がないわけだから、書けなくなるね。

 (こじ)らせると、たぶん、押しつけがましいものを書いてしまうんじゃないかな? 良かれと思って「ゆとり」を押し売りし、君の笑顔を曇らせて本末転倒。そうなれば、「そっ閉じ」推奨だね。

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