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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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61 あまりにも人間的な余裕<スラック>~5軸コンプリート2

 さて、空理空論(スラックマネジメント)と題して『余裕(スラック)』という形のないものを扱ってきた。肩の力を抜いて、ゆるく考えてくれていい。こうでなければならない、私がこう思うから君もそうしろ、なんて本末転倒、そんなことを言う気はないから。そんな気軽さが君の『余裕(スラック)』、君だけの「あそび」になっていく。私はそう信じている。

 ただ恐らくは、私にとっても、君にとっても、共通する『余裕(スラック)』のルールみたいなものはあるんじゃないだろうか?

 ひとつ。多すぎると腐る。

 ふたつ。少なすぎると困る。

 みっつ。たまに変なふうに(こじ)れる。

 よっつ。ある程度まとまった『余裕(スラック)』でないと効き目が分かりづらい。

 様々な種類の『余裕(スラック)』があって、どれもあれば嬉しい……が、慣れないうちからあちらこちらと手を出すと、管理(マネジメント)できなくなる。「あそび」が「ゆとり」になってしまう。だから、多すぎる『余裕(スラック)』を間引いて、興味のある別の『余裕(スラック)』をひとつだけ選んで、置き換えていく。あくまでもひとつずつだ。いきなり分散しすぎないこと。着実に『余裕(スラック)』を「あそび」に()えていく。結果的に分散はする。けれど、不慣れなうちに得た、分散した『余裕(スラック)』は「ゆとり」に過ぎない。ひょんなことから「ゆとり」を失ったとき、対処できない……どころか、何故失ったのかさえ分からず、困惑する、怒りを撒き散らす。あっという間に『余裕(スラック)』を失うんだ。

 筆者(わたし)はゆとり世代の中では最高齢に当たるので、ゆとり教育をテーマにしようかな。『余裕(スラック)』の観点から、ゆとり教育の弊害について考えてみる。ゆとり教育を受けている間は、別にそれでいい。けれど、いずれ学校を卒業し、社会に出る。すると、突然「ゆとり」を失うわけだ。上手くいっていたことが、上手くいかなくなる。原因は分からない。「なにもない」がないということに、なかなか気付くことができない。前向きで好奇心旺盛で、鮮烈(ヴィヴィッド)な実社会に目を奪われた人ほど、思いっきり挫折をするだろう。その衝撃を受け止めるだけの『余裕(スラック)』なんてありはしない。五月病ならかわいいもので、精神失調、(うつ)病などになることもあるだろう。

 もちろん、ゆとり世代が全員失敗ってことはない。ゆとり世代らしい、競争意識が低く積極性を欠いていれば、大きな問題は起きないかもしれない。不発弾を抱え込むような危うさはあるにせよ、だ。まぁ、誤解しがちだが、平均人なんて実在しない。てか、性格の平均とかもう意味が分からない。ゆとり世代らしいゆとり世代なんて、実際のところなかなか(まれ)であるし、THEゆとり世代に見えても本当の内面性がどうだかは分からない。見る側の確証バイアス、レッテルを押しつけてるだけの可能性が高い。

 また、ゆとり世代の大成功パターンも考えられるね。たまたま、一途(いちず)禁欲的(ストイック)な行動を取った人は、期せずして「ゆとり」を「あそび」に換えている。最初は、なんとなく上手くいく。だからそれっぽい感じで継続する。それが習慣になり、他世代よりも恵まれた「ゆとり」を大量に「あそび」へと交換する。前例がないほどの大成功を収める。しかし、根っこを手繰っていくと、「あそび」の手に入れ方は、幼い頃から続くよく分からないクセ頼みになっている。そんな結果だけは立派な、ふわっとしたよく分からない成功体験だ。それを自分らしさだとか、自分に酔ったような()(ごと)で覆い尽くして吹聴する。それを聴いた周りの人たちはいい感じに真似しようとする。自分らしさが大事、ってね。押し売りされた成功体験がなぜ自分らしさなのかも疑問に思わないままに、違う環境、違う人生で似たような行動を取る。これで上手くいくとすれば、よほど運が良い場合だけだ。成功を再現できるのは精々数パーセントあればいいところではないだろうか? まして成功を続けるともなれば奇跡といって差し支えない。そのやり方じゃ失敗して当然なのに、それは自分に才能がなかったからだなんとか言って嘆く。アイツが成功したのは、アイツに特別な才能があったからだ。それに加えて運が良かったからだ。そして世を(うら)み、人生を(はかな)み、アイツもいずれ年老いて死ぬことだけが救いになる。切ないよな。しょっぱすぎる現実を受け()れたって、虚脱に(おちい)るだけだもんな。でも、そんな被害者面して君と話したって仕方がない。きちんとした『余裕(スラック)』を、「あそび」を心得ておきたい。

 ゆとり教育から学べることは、この形ないもの、『余裕(スラック)』を「ゆとり」としてなんとなく扱うべきではない、ということだ。環境や周りの人たちの変化に振り回され、自分の人生に主体的に取り組めなくなってしまう。そして恐らく、この実験的実体験は世代を問わず役立つものと信じたい。

 君は他者(ダレカ)ではない。他者(ダレカ)なんかと一緒にされてたまるか。それは面白くない。ひとつずつ、確実に、『余裕(スラック)』を自分のものにしていこう。「あそび」を人生に取り込もう。

 おすすめは2軸組み合わせの初歩的なものから。4軸みたいな応用はゆっくり時間を掛けて取り組んでいく。焦らず、『余裕(スラック)』をもって取りかかる。

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