60 あまりにも人間的な余裕<スラック>~5軸コンプリート
それでは最後に、人間×存在×評価×時間×空間軸。
あまりにも人間的な『余裕』について考えていこう。
ただ、せっかく最後なので、これまでのように「適切なら」「過剰であれば」「不足すると」「拗らせると」ってのは固定の流れで語るのは止めて、自由に書こうと思います。なんだかんだ無粋だろうし。
ここまで、様々な『余裕』について考えてきました。突っ込みどころも多数あったと思います。人間×評価軸の拗れで対人マウント? 人間×空間軸で距離の『余裕』が不足してるからじゃ? だとか、歴史に評価軸が含まれていないのは何故? とかね。
元々、5つの次元の考え方は、私が分析ツールとして作ったものです。展開した話を分析するのではなく、分析ツールの検査項目を分かった上で話を展開している。逆手順になっているので、大きな抜け漏れは防げているかもしれませんが、確実とはとても言えません。どうしても雑な部分が混じってると思います。
また、4軸で扱った経済成長・グローバル化・思想・歴史のように、話の枠を広げれば広げるほど、基本的に5軸全てが絡んでくるはずです。確りした物事ほど、5軸全てをバランス良く含むはずだ、というのが5つの次元の基礎になっているので。むしろ、ある1軸を完全に含まずに他4軸だけ含むなんて例を探す方が難しかった。割と直感的にこういう傾向があるかなぁ、ぐらいのゆるーい考えでそれぞれのテーマを決めました。
また、『過ぎたるはなお、及ばざるがごとし』なんて言葉があります。
本来は、度が過ぎることは足りないことと同じぐらい良くないことだ、という意味です。しかし、過剰社会においては、奇妙な意味合いが付け加わってくる。
それは、「過ぎたる」と「及ばざる」の区別が付かないということ。
何言ってるんだという感じですね。私もそう思う。けれど、自信は持てない。
例えば、「こんな言いたいことも言えないような世の中」なのか、「言いたい放題言っているからこんな世の中」なのか。区別できますか? 日々、我慢を重ねている方は前者だと思うでしょう。でも、SNSが普及した世の中のことを思えば、後者のようにも思えます。正しいのはどちらなのかを問えば、人によって違う正解がある。そして、本人もひょっとしたら勘違いしているのかもしれない。実際にやってみて、生きづらさが解消されてようやく、そちらが自分のとって正しかったのだ、と結果的に分かるだけだ。
何が言いたいかというと、「過剰であれば」「不足すると」が逆じゃないのかと思ったら、そちらが君にとって正しいということ。まぁ、その正しささえ幻想かもしれないね。愛と恋の区別が難しいようなものだ。折り合いをつけながら上手いことやっていくしかない。上手くやる、その役に立てたなら幸いだ。