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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第5章:記述主義者と自殺の論理。

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03 苦痛

 まずは『苦痛に耐えかねて』自殺するパターン。

 一番イメージしやすい自殺かもしれない。

 ここで大事なのは、苦痛のあまり死んでしまったのではなく、自殺を選んでいる点だ。

 苦痛と自殺の合間に、何らかの判断をしている。それはどういうものか?


 ――『生の苦痛(生きてるのが辛いなら)()死の苦痛(死んだ方がマシなはず)


 およそ、こんな考えだろう。

 功利主義の負の側面か、ときに人はこんな哀しい計算をしてしまう。


 極めて個人的な死生観になってしまうけれど、恐らくこの計算は正しくない。

 なぜかと言うと、『現時点の私』から『死んだ状態の私』に移り変わる。

 いつどのように死んだとしても、苦痛(エントロピー)の変化は同じだろうからだ。

 つまり、私は『生の苦痛=死の苦痛』という恒等式を信じている。

 ただ、仮に私のこの主張が正しかったとしても、正しさでは人を救えやしない。


 目前のこの苦痛こそが、死を選ぶ理由になる人にとって、正しさなんてクソくらえだ。

 家庭内暴力や、超過労働、エスカレートするイジメ問題や、あらゆる差別、身体や精神の訴える苦痛を前にして、理想は無力だ。


 このような状況で、耐え続けるか、自殺するか。

 それ以外にも、まだふたつの選択肢があることを思い起こそう。

 ()られる前に()るか、逃げるかだ。

 そして恐らく、そんな状況で自殺を選びそうになっている人は、つらい環境に比べて弱い人か、並外れて優しい人だと思う。

 相対的な弱さを抱えている人は、その弱さを武器に替えよう。弱さを認め寄り添える、優れた感性を持っている、今はそれを誇れずとも、ただ認めよう。優しさの芽生えを自覚しよう。

 そして、その身に宿るかけがえない優しさに気づいた人には、逃げるという選択肢をおすすめしたい。


 そして、逃げた先で助けを求めること。助けに応えてくれる人が居ないようなら、もっと逃げてしまえば良い。そしてまた助けを呼ぼう。

 もうひとつ、苦痛に苦しんでいるのが自分だけではない場合。家族、同僚・仕事仲間、イジメられる友人、被差別の同胞。大切な人がいるかもしれない。

 構わず逃げよう。遠慮してはならない。

 何故ならば、お互い遠慮しあった結果、誰も逃げ出せない状況、膠着状態(デッドロック)に陥っているからだ。

 自らが模範となるべく、率先して逃げよう。真っ先に、距離を味方につけよう。

 案ずることはない。正当防衛と緊急避難は、不当な苦痛から逃れるために誰しもが持つ権利である。まずは逃げる。今後の話はそれからだ。


 また、一生逃げ続けるわけではない。苦痛に対しては、まずは応急処置として安全を確保し休息を取ること。落ち着いて冷静さを取り戻したら根治の方法を考えること。

 当たり前と言えば当たり前なんだけど、苦痛の最中ではその当たり前を思い出すのは難しいはずだ。繰り返そう。まずは逃げる。今後の話はそれからにしよう。


 さて、ここまで原因の分かりやすい苦痛について考えてきた。

 まったくもって不当な苦痛からは、逃げて当然。そして遠巻きに安全圏から対処すべきだ。


 だけど、もし不当な苦痛ではなかったらどうだろうか?

 正当な苦痛などあるべきではないが、不当ではなく、当たり前の苦痛というのも考えられるのではないだろうか? もしくは、原因不明の苦痛にはどうすれば良い?


 もしそれが、先天的な……生まれついて、物心ついた頃からずっと続く生きづらさ。しかもそれがイジメや差別などではない場合。自身の内側から沸き起こるどうしようもない不快感、居心地の悪さ。そういうものであったらどうか?

 この場合も、戦略的撤退を考えよう。ただし、大きく遠くに逃げる必要はない。むしろ小さく、色々と逃げてみよう。今とは違う環境や状況に身を置いてみよう。

 楽になっただろうか? かえって辛くなっただろうか? 自分にとってよりマシなのはどんな場合だろうか? それは何故だろうか?

 もしもそれで苦痛が和らぐのなら、という条件付きだが、小説や漫画、アニメやドラマや映画、動画サイト、ゲームなどにのめり込むのもおすすめである。

 真剣にエンタメやアートと向き合っている制作者には失礼な話かもしれない。それでも逃避場所として理想的であれば、緊急避難だし仕方ないと思って頂こう。しゃーなし。

 大切なのは、冷静に自分と向き合う時間、そしてさまざまな知識に触れることだ。

 何故こうも生きるのが苦しいのか、その原因を探り続けること。


 また、医者にかかるのも方法のひとつだ。

 ただし、1人の医者に期待しすぎないこと。問題が見当たらない、気にしすぎだ等々の診断が出るのが普通である。なぜなら、自分自身にさえ不可解な『原因』というのはかなり珍しい症例であるからだ。医者はそういう症例に詳しいが、それでも全ての症例を知っている人間なんて存在しない。数当たろう。ヤブ医者とやたら高額な治療を勧める医者でなければ、色んなお医者さんに話を聞くのが良い。


 考えられる理由としては、色覚異常、視野狭窄、難聴、聴覚過敏などの五感にまつわるもの、何らかの過敏症、食品アレルギー以外でも金属アレルギーや日光アレルギーなんてのもある。他にもダウン症や境界知能、ギフテッドなど知能にまつわるもの。

 他にも繊細さん(HSP)性的少数者(LGBTQIA+)、精神に関わるものは多様性に富んでいる。

 平均値や中央値、最頻値から外れている何かに気づくこと。まぁ、平均通りの人なんて実在しないので誰もが何かしら外れているものだけど、外れ方は人それぞれである。

 必要なのは、気づくこと。そのために色々やってみるのが良いと思われる。


 先天的な話は大体尽くしたと思うので、後天的な生きづらさについて。


 まず、怪我や病気なら素直に医者に頼ろう。万難を排してでも、頼りに行こう。


 そして、身体のみならず、心にも気を配ること。

 進級や進学、就職や転職、退職などのやむを得ない環境の変化、ストレスの影響を甘く見ないこと。

 身体と心は人生の両輪、どちらも軽んじては走り出せない。

 また、日常に溶け込んでいるが故に気づきにくいのが、食事と睡眠の大切さ、あとは休息と休養も。

 慢性的な栄養不足や睡眠不足は体調も判断も狂わせる。人間の集中力は何時間も続くようにはできていない。多忙も続けば、精神的な視野を狭める。

 学校なら休もう。職場なら有給を申請する。道理が分からない相手なら知ったことではない、遠慮なく逃げ出そう。

 日本人にありがちな睡眠不足なら、しっかり寝よう。爆睡だ。目覚まし時計やアプリは全て止めてしまおう。13時間ぐらいならいけるいける。その翌日も13時間余裕。翌々日ぐらいからは13時間も寝てられなくなって、自己ベストな睡眠時間に近づいてくるだろう、たぶん。後のことは、健康で明晰な自分を取り戻してから考えよう。まずは人生最高の自分に会いに行くことだ。

 どれだけ量を求めても、1日は24時間しかない。しかし、人生の質はいくらでも高めることができるのだから。


   †

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