56 経済成長的余裕<スラック>~人間×存在×評価×時間軸
それでは、人間×存在×評価×時間軸。
経済成長について考えてみたい。
経済成長的『余裕』。
適切なら、実体経済に基づいた、とかなんとか書いたところでそれっぽいことを並べただけになるな。現代の経済は複雑に過ぎるので、実体に寄り添っているか判断するのがそもそも難しい。例えば、国際的な分業を推し進めた結果、農業が衰退したり、製造業で産業の空洞化を招いたり。自前で暮らせる前提で、『余裕』を交換している……という段階はとうに過ぎてしまっています。平和なうちは良いのですが、情勢が移り変わると何かしら問題が起きて、それが政治問題に発展し、高関税だ輸出規制だと政治のカードに替えてしまう。すると原材料価格が乱高下したり、そもそも手に入らなくなって庶民の生活が成り立たなくなってくる。日本は特に、自国で賄えている資源に乏しい面があるので、果たして健全と言えるのかは疑問が残る。改善を考えるなら、物質・エネルギー資源だけでなく、国際的な信頼も一種の資源と見做すことだろうか。養殖のように、国際的な信頼を育てていく、持続可能なものにするという視点を持つのが大事なのかもしれませんね。
過剰であれば、虚経済や格差社会ですね。国家基盤が固まっていない状態で、皆が周囲を出し抜こうと投機的な行動に走ります。すると、一部の勝者と大量の敗者を生み、社会格差の広がりから社会的分断を招きます。セーフティネットなどの制度がしっかりしていればまだ引き返せるのですが、さらに中毒と依存症が蔓延するようになって収拾がつかなくなります。すると国家基盤が弱くなるので……で無限ループ。超格差社会が生まれます。未来のための投資と、現在のための投機。違いをきちんと認識したいものですね。
不足すると、少子高齢化になります。日本の場合だと、1971~74年頃の第2次ベビーブーム以降、子供の数はおよそ減り続けています。2024年現在、第2次ベビーブームで生まれた人は50歳以上になります。仮に50歳~64歳の人を後期労働者と呼ぶとして、この後期労働者と高齢者の人口を合わせると、そろそろ5割を超えているはずです。これが非常に怖い。多数決型民主主義という戦場で、言葉という公平な武器を用いて論破合戦を始めたとしましょう。少子高齢化がもう少し進んだ状況で「後期労働者と高齢者」が「前中期労働者と若年者」がバトり始めたとします。人数比は6対4ですが、戦力比はその2乗で6×6対4×4、つまり36対16になります。人数比なら1.5倍の差しかないのに、戦力比は2.25倍と、差が広がります。これをランチェスターの第2法則と言います。なので「後期労働者と高齢者」と「前中期労働者と若年層」がそれぞれ保身に走って予算獲得をした場合、「後期労働者と高齢者」側が大勝ちします。結果、少子高齢化に歯止めが掛からなくなります。若年層を15歳未満とするならば、12%弱、8人に1人もいない。別に若年層に全額賭けろという話ではなく、4割の人に4割の投資、12%の人に12%の投資が保証されるよう、話し合いや仕組み作りが必要となることが分かります。
拗らせると、ハゲタカ経済になります。投資への過剰と不足が入り交じった形ですね。投資先を見つけ、投資しすぎて儲からなくなったら次、という行動を皆で繰り返します。誰も適度な投資を受けることができないので、健全な経済成長などとても望めません。むしろ投資を募るために詐欺的な見栄っ張り競争を始めてしまい、成長どころではなくなります。
人間×存在×評価×時間軸として、経済成長について考えてみました。
丁度いいところを探っていきましょう。
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