48 時間的余裕<スラック>~人間×時間軸
それではお次は人間×時間軸で。
ひとつ。当面的『余裕』。まずは、さしあたっての時間から。
適度なら、自由があります。自主性、主体性と発展していきます。誰かに急き立てられていないため、疲れているなら休めばいいし、興味が向いたら動いてみてもいい。どうしてもやりたいことがあったら、迷わずやることができる。それが時間があるということ。
過剰であれば、暇で死にます。怠惰に染まりきって、何もする気力が起きなくなるため、さらに当面的『余裕』が増えまくります。他の『余裕』に切り替えるなら第一候補ですね。
不足すると、自由がなく、主体性を喪失します。状況に対し後手後手に回って場当たり戦術、失敗を重ね、それを取り返すのに更に時間が必要になります。恥と無能を晒し、自己肯定感がガリガリ削れていきます。『無責任』カードを切るべき時機ですね。一応、時間に『余裕』がなくても有能さを発揮できる人もいます。しかし、それはあくまで知的・体力的・金銭的・社会関係的『余裕』などなどを切り売りして当面的『余裕』を確保しているだけです。どんなに有能に見える人でも限度はあるし、最終的には『無責任』カードを切ることになります。
拗らせると、黒歴史を紡ぎ、炎上したり娑婆とおさらばしたりして、後悔と反省の日々を送るようになります。
ふたつ。経験的『余裕』。過去について。
適度なら、学びを活かし、失敗さえ教訓にできる。過去を背に、前を向いて生きることができます。
過剰であれば、悩みや後悔、トラウマやPTSDなどに苦しむでしょう。過去に起きた事実らしきものについて、噛み砕き、呑み込み、血肉にできていない状態です。記憶の消化不良ですね。強烈な経験に基づくフラッシュバックも辛いですが、悩みを抱え込むのもじわじわ来る。後ろ向きに日々を生きて、目の前に集中できていない。だから失敗が増え、さらに悩む原因になる無限ループ。これも星空のバイアスで、問題は過去にあるのではなく、悩み苦しんでいる今一時の自分であることに、自分では気付きにくい。主観的なタイムリープ系のトラブルなので、脱出の鍵さえ気付けば、あっさり解決する。私なら書き出して、綴じて、記述主義者シリーズの第3章にでもしてしまう。ここはもう第7章。いつの話をしてるんだとケラケラ笑ってしまおうか。どうか自分を許せますように。
不足すると、自身の至らなさに藻掻くことになります。基本的に子供は皆そうですし、大人だって新しい環境に置かれれば誰でもそうなります。学びのある人生、できなかったことができるようになっていく人生は、なかなかに楽しい。しかし、経験という教師は最良と言われながらも、授業料が馬鹿高いことで有名です。学生ローンで困らないための冴えたやり方が必要だ。ただ、それについて語るのは空理空論の一悶着が一段落ついてからにします。現時点で、元最長短編・現第6章の3.5倍の文章量を超えました。空理空論って努力論の前座なんだけどな……どうしてこうなった。これが至らなさに藻掻くってことか。
拗らせると、と語りたいところですが、経験は人それぞれ、拗らせ方も人それぞれです。あえて挙げるなら、経験マウントでしょうか? 不幸自慢や、懐古趣味や、エセ武勇伝のような、自己満足の自分語りに終始してしまう。話が次の章に進まなくなってしまう。筆者自身はもう第8章以降を生きている。現7章を記述するのは、8章以降を確かなものにするためだ。何でもないことを拗らせてないで、さっさと次を書こう。
みっつ。期待的『余裕』。未来について。
適度なら、しばらくの予定や、今後の計画、将来の目標と向き合うことができる。
過剰であれば、楽観主義だね。よく言えば夢や希望にあふれている。悪く言えば、現実を上手く直視できていない。そうなってしまう理由は、未来に対して大きな『余裕』を持っているが、「あそび」ではなく「ゆとり」になってしまっている。自分でコントロールできていないものを自分のものだと錯覚してしまうのは、やはりズレと言えるだろう。
不足すると、悲観主義だね。夢も希望もない。現在を直視しているが、未来の不確定さ無視している。予想される平均的な、期待値的な未来をゼロと評価しているので、これはこれでズレている。
拗らせると、自身の躁鬱に振り回される。私か。希望に期待を重ねて妄想に取り憑かれたり、絶望に悲嘆を重ねて涙を流すわけだ。私かよ。
時間軸を掛け合わせてみました。
ほんの未来なんて筆名を騙ってるだけあって、私事が多かった気がしますね。反省しつつ次へいきましょう。
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