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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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521 「障害がある」を笑い飛ばす241

 無敵の人が無差別な殺傷事件を起こしたとして、復讐劇としてはどうだろうか?

 標的(ターゲット)は、正直ぼやけているね。あと、無差別と言いつつ、狙いやすい相手を選んでいるはずだ。たとえば、どっかでアメフト部員でもやってそうなガタイのいい男が目についたとして、その男を無差別に襲おうとするだろうか? と考えてみると、おそらく弱そうな相手を好んで標的(ターゲット)にしちゃうだろうね。意識するしないは別として。

 手段も微妙だね。労力(コスト)はあまり掛かっていないだろう。世の人々の不意を突くだろうから、そこそこ成功率も高いとは思う。ただ、手段の妥当性がない。

 おそらく標的(ターゲット)は社会そのものとか、理不尽な状況とか、そういう巨大なものだ。まず、弱そうな相手を狙ってしまうくだりですでに失敗が見られる。

 ある集団のなかでは、平均以下に甘んじる人間は過半数を占めることがほとんどだ。奇妙な感じもするが、ごく一部のトップ層が平均をおおきく引き上げてしまっているからね。異様に高い平均値を前に、大衆は膝を折る。

 弱い人は、たくさんいるんだ。そのなかの数人? を通り魔的に襲ったとて、それが社会なり状況なりの致命的(クリティカル)心臓部(コア)になっている可能性? ほぼありえない。候補がそんな多くちゃダメである。

 そして、事を終えたあとの『余裕(スラック)』はほとんどない。殺傷の程度・人数によっては、死刑にもなりかねない。とても『余裕(スラック)』があるとは言えないね。


 というわけで、無敵の人について考えてみた。

 不意を突いていて、成功率がそこそこ高いだろうことは良い点だね。ただそれ以外には、復讐劇として評価できる点は見当たらなかった。

 根本的に、弱い人を狙ってしまうであろうことを踏まえるに、「強くなりたい」という一心がない。普通はやれない無茶をやることで、「強くみせかけたい」にだけになってしまっている。この点がじつに()しまれる。すさまじい行動力があるだけに、なおのことそう思うわけだ。

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