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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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33 中毒と依存症<ドラッグ>7

  最後にとどめとして、思想についての依存を考えてみよう。

 人は、自分自身にさえ依存する。

 そして、自分の信じるモノを理由(言い訳)に、他者(ダレカ)を殺せる生き物だ。

 それは神だったり国家だったりと、私たちは争いの絶えない歴史を刻んできた。

 私たちは、このどうしようもなさを抱え込んで、生きている。

 その根底を心の内に探っていくなら、真善美だろうか?


 真実を前にし、間違うことは許されないか?

 善なる道理に、揺らぐ心は弱さゆえなのか?

 美に圧倒され、屈する他にないのだろうか?


 今日も世界は狂っているのか、狂っているのは私なのか?

 半狂乱の平均台に恐る恐る歩を進める。降りるだけなら簡単なのに、踏み外せば普通に転んでしまうんだ。前へ前へと、引き返すことも意識から消え失せる。

 考えて考えて、また新たな言い訳を思いつく。


 例えば功利主義。全体の利益になれば、どんな格差も許されるだろうか?

 例えば自由主義。自己責任を振りかざせば、嘆きに耳を傾けるのは弱さなのか?

 例えば合理主義。無駄が何ひとつないのなら、人間性は屈しても構わない?


 依存症になりやすいのは、元から内面性に問題を抱えている人ではない。

 むしろ、真面目で責任感が強い人の場合が多いんだ。

 君はどうだろう? ちゃんと『無責任』カードは隠し持ってるかな?


 依存症についてはこんなところでしょうか。

 酒(以下略)離れから世捨て人になる必要性があると思ったら、今度は自分にも酔っ払えるという話でした。

 そういえば、いつもの友人さんが自己肯定感が低いのでは? とお悩みらしいので、ちょっと関係のない追記をば。


 本音を申せば、自己肯定感や自己有能感なんて大抵ただの勘違いで、後から振り返ると恥ずかしくて死にたくなる類のものなのだから気にしすぎても仕方がない。バタフライナイフを持ったやんちゃな生徒だって、私から見るに自己肯定感は高かったですよ。

 根拠のない自己肯定が欲しい。それは、いわば「あの春を返して」という話なんじゃないだろうか?


 だから、青春に(なら)おう。

 それでも真っ当な自己肯定感が欲しいのなら、稚気(ちき)を愛するのが効果的だ。

 格好(カッコ)つけて、大きな問題を抱え込もうとか考えなくていい。厄介で入り組んだ問題ほど、たくさんの手軽な問題へと分解する。ちょっとした問題をひとつ解いたってだけで、それは前に進めたってことだろ? それは、すっげー嬉しいことじゃないか?


 ケラケラ笑って生きてやろう。ちいさな愉快を両手いっぱい抱えた私や君の方が、よっぽど上等に人生してるさ。大丈夫!

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