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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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507 「障害がある」を笑い飛ばす227

 私の考える戦略の定義は、次のようなものだ。

 ひとつ。個人や組織を行動の主体とする。

 ふたつ。時間による移り変わりが熟慮されている。過去から現在、未来にいたるまで。とくに未来については、行動主体の寿命の1割以上、できれば生涯にわたって通用することが望ましい。

 みっつ。2つ以上の戦略を立てることができて、なおかつ、それらを実行する前の時点で戦略の良し悪しを比べることができる。


 ひとつ目は、個人や組織の話ですよ、と言ってるだけなので、深い意味はない。


 ふたつ目は、個人にせよ、組織にせよ、寿命がある。その寿命を基準にして、ある程度の長い期間通用する必要がありますよ、という話だ。人間基準の時間的な定義だね。

 現実社会の戦略なら人間の寿命の1割以上、5~10年以上という感覚だろうか。

 もしこれが限定されたルールのなかの話、たとえば将棋の戦略であったとしよう。その場合は、行動主体の寿命は平均で110手ぐらいなのだから、最低でも11手ぐらいは先を見据(みす)えてないと戦略とは言えない。

 また、宗教的な話を持ち出して、何百億年とつづく神様の戦略などと主張したら、人間の考える戦略なんてのはすべて場当たり戦術にすぎなくなる。あくまでも、人間が基準だ。


 みっつ目は、そもそもの戦略の存在意義を示したものだ。

 戦略は、行動主体の判断を助け、決断を求めるものでなくてはならない。

 たとえば、いくら5年先、10年先をきちんと見据(みす)えていたとしても、「どうするでもないし、このままかな」という放置戦略は、まったく役に立たない。それ単体で戦略と呼ぶ意味がない。

 ただし、放置戦略とはべつの新戦略を用意できたのなら、話は変わってくる。

 放置戦略と新戦略を比べてみることで、マシな結果になりそうなら良い戦略だし、かえって(ひど)くなりそうなら悪い戦略と言える。

 比較対象として、放置「戦略」と呼ぶ意味が生まれるわけだ。

 もっとも、放置戦略だけでなく、新戦略A、新戦略B、新戦略C、……と戦略を次々に生み出し、比べることで最高の戦略を選べたなら素晴らしいね。


 ――とまぁ、こんなところか。

 私が望むのは、未来を選ぶための道具としての「戦略」だ。

 このように考えているからこそ、復讐劇という個人的動機に基づいた物語であっても、戦略たりうると信じる。

 万人を納得させられるものかは分からないが、ひとまず、こんな考えのもとで復讐劇について思索をめぐらせるとしよう。

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