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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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472 「障害がある」を笑い飛ばす192

 さて、話を現代に戻して。

 たとえばそんな科学(サイエンス)2.0の時代がやってくるまで、私たちは物語2.0の時代を生きていかなきゃいけない。

 はたして、物語の語り手(ストーリーテラー)はいかにして王へと成り上がるのか?

 そんな、最強の物語の語り手(ストーリーテラー)はどのような人間か、考えてみるとしよう。


 まず、その物語は、英語か中国語で語られる。

 単純に、話者の数が飛び抜けておおいからだ。どちらも15億人ぐらい。3位と4位がヒンディー語とスペイン語でどちらも5億人ぐらいなので、英語と中国語がどれだけ一般的か分かるだろう?

 むしろ英語と中国語については、使われる範囲の広さから、方言がむしろ壁になっているかもしれないね。

 また、AI翻訳も発達してきている。今後、ほぼリアルタイムでの翻訳もできるようになるかもしれない。個人的感情論では、他の言語、たとえば日本語などにも可能性はあると言いたい。

 しかし、おそらくは英語や中国語を他の言語に翻訳するのが主流になってしまい、強者をより強くするだけで終わるだろう。新自由主義やグローバリズムの現実をみるに、格差を広げるだけになると予想できる。

 とくに、物語の語り手(ストーリーテラー)と母語がおなじであるというのは、仲間意識を高め、より違和感を感じにくくする作用があるだろう。翻訳の一瞬のラグさえ、違和感になる可能性がある。追体験や共感の繊細な性質を(かんが)みるに、母語の話者がおおいというのは、それだけで武器になる。

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