24 射幸心の煽動<ギャンブル>
続けて、射幸心の煽動について考えていこう。
自分のものを賭けるのに、何故悪く言われなければならない?
悪くない。実はまったく悪くないんだ。
むしろ、もっと強い勝負師になったらいいと思っている。
勿論、ギャンブルを推奨しない人々はいるだろう。やれ、やりすぎだ、規制をしろと気炎を吐く。賭けないことに賭けている、それを自覚しない連中だ。
ただまぁ、大事なのは心の『余裕』だ。
『余裕』を失って、見るべきものを見落とせば、そりゃ負ける。
負けた夜毎に思いだそう。星空のバイアスだ。
ギャンブル否定派が「賭けないことに賭けている」ことを自覚するのが難しいように、人間には自覚しにくい見落とし、認知の死角がある。
いわば弱点だ。強い勝負師になるためには、自分の弱みはきっちりと潰しておくべきだろう? 真っ先にこの辺りから考えていこう。
まず、ギャンブル否定派との向き合い方だ。
賭けないことに賭けているだけ。そんな自分のことを棚に上げて、自分のスタイルを他人に強制することで保身に走っている。要するに日和見主義の保守派だ。
それに比べて、私も君もそれにもう気付いている。圧倒的に有利な立場にいる。
ここで、内心どう思っているのであれ、ギャンブル否定派を煽ったり、見下したりしてはいけない。そうすれば火に油、烈火のごとく怒りだし、極めて面倒なことになる。
強い勝負師はそういう慢心をしない。驕り高ぶって油断をして、足下をすくわれるのは三下のすることだ。きちんと自分の心と周囲の折り合いをつけること。
え? そういう駄文を書き散らす筆者は煽っていないのか、って?
ああ、大丈夫だよ。
そういう人は『賭けないことに賭けている、それを自覚しない連中だ。』とかその辺りで、もうとっくに怒り狂って『そっ閉じ』しているからだ。
ここからは、君との内緒話を楽しもう。
さて、それを踏まえて。強い勝負師になるべく、人間らしい弱点を見ていこう。
賞金に目が眩んでしまって、背景を見落とすわけだ。背景が何かをまず考える。
ひとつ。胴元の存在。
ふたつ。選択機会の不足。
みっつ。対人戦略の軽視。
これらについて、ひとつずつ考えていこう。