420 「障害がある」を笑い飛ばす140
さて、感想文のかたちを踏まえて、ヘーゲルの弁証法とはどんな違いがあるか?
ヘーゲルの弁証法は、とても理性的だ。ある種の方法論、このような考えかたをすれば上手くいく。こんな手続きをとることで、人間的成長ができる。そのように主張する。
正(一般的な正論)-反(見つかった矛盾や反論)-合(あらたな合意)。
これを繰り返し、正-反-合-反-合-反-合……と反論・合意をえんえんと続けていけば、いくらでも人間的成長ができるはず、なんて話になるわけだ。
しかし感想文の場合は、考えかたが異なる。
まず、体験を時系列で追いかける。追体験だね。ヘーゲルの弁証法での一般論と同じく、そこには主張がない。体験にただ寄り添う。
そして、心に残ったところを挙げる。ここでは、その体験と自分の心のあいだで、どのような衝突が起きたのか述べるわけだ。これは心情の描写であると同時に、中立で客観的な心の分析でもある。ヘーゲルの弁証法と違い、べつに体験に対して矛盾点や反論をしているわけではないんだ。あくまでもぶつかった事実について語っている。
最後に、その結果として心の変化を述べる。これはべつに、人間的成長と呼べるものではないかもしれない。ほんとうにそれでいいのか?
それでいい、と考えるわけだ。
なぜかというと、人生は主観的な時間、すなわち経験でできているからだ。
ひとつひとつの体験についてきちんと感想を抱き、経験として血肉に変えるんだ。
水底の澱のようにゆっくりと降り積もり、それがやがて地層をなすように。
ひとつひとつの澱はなんら特別なものではないかもしれないが、それを積み重ねてできるものは、人間性を支える地盤になる。
生きていくうえで、変化は起こる。入学や卒業、入社や出世、引っ越し、結婚することもあれば、人の親になることもありうる。
生活は変わるし、役割も変わるし、立場も変わる。良いこともあれば、悪いこともある。日照りのときもあれば、寒さの夏もあるだろう。
しかしいずれの場合でも、地盤さえしっかりしていれば、人間性という建造物を乗せることができる。それも、地盤が頑丈なほど、おおきな建造物を造ることもできれば、役割や立場に応じたさまざまな建物を作ることができるかもしれないね。
さて、これはあきらかに、ヘーゲルの言う「螺旋的発展」から得られる「人間的成長」とは考えかたが異なっている。
この感想文による心の変化、社会性の「もっともらしい」においては、「精神修養」と呼んで区別することにしよう。人間は経験を重ねることで、社会性を獲得するんだ。
「分析採点JOYSOUND」(Android版)にて。
ヨルシカさんの「詩書きとコーヒー」キー♯1にチャレンジ。音域はmid1E~hiG、E3~G5。
99.520点。高音サビが全滅に近い。聞いてる音をうまく再現できてない感じ……もうちょっと声量落としてみるか……?
井上あずみさんの「となりのトトロ」100.000点。キー±0。オクターブそのまま。(mid2C~hiD#、C4~D#5)
Sound Horizonさんの「星屑の革紐」98.290点→99.718点。キー♯4。オクターブそのまま。(mid1D~hiA#、D3~A#4)
「星屑の革紐」は井上あずみさん歌唱の曲。登録が1オクターブ下になっていて、語りの音程が一律になってるのかな? 音域に違和感。
基本的には♯4の1オクターブ下げ、♭8で歌った。ただ、元から低いところはオクターブそのままで。
履歴の100点は242曲(+1)、99点超えは482曲(+2)、虹色メダル841個(+1)、金色メダル4個(±0)。銀以下なし。