415 「障害がある」を笑い飛ばす135
でも、そうして綺麗に並べたつもりでも、まだ違和感を感じることがある。
たとえば、小説における誤字脱字なんてどうだろう?
本を読んでいて、思わず心震えるようなセリフを主人公が叫ぶのだが、そこで誤字脱字が混じっていたら悪夢だろう? あきらかに噛んでるのに、素知らぬ顔で話を続けていかないでくれ! ってなことになると思わないか?
どんなコンテンツであれ、誤字脱字や文字化け、ノイズなどが混じってしまえば、その作品に没入することができなくなる。結果、共感や追体験の機会は失われてしまう。
抜け漏れや間違いがあれば、それがどんなにちょっとしたことでも違和感をあたえてしまうね。
たとえば、さっきの雑に話した桃太郎のあらすじだけど、旅立ちのときにおばあさんからきびだんごを受け取った話を書いていなかった。話を略しすぎた結果、なんでイヌ・サル・キジが仲間になったの? と違和感を持つかもしれない。
もちろん、桃太郎の話をすでに知っていれば、認知的完結欲求でかってに脳内補正しちゃう可能性が高いだろう。けれど、もし桃太郎を知らない人だったら? たぶん、おかしいと思うんじゃないかな?
さて、軽く振り返る。
社会性の「もっともらしい」の基本的なところについて。
まず、「順番どおりに並んでいる」こと、そして「抜け漏れや間違いがない」ことだ。
このふたつには関連があるね。
たとえば、全50巻からなるシリーズ物の漫画本を考えてみよう。
じつは第23巻だけ抜けている。
けれど、これが7巻、9巻、22巻、4巻、……というように滅茶苦茶な順番で本棚に入っていたら、巻抜けに気付くことはまずできない。
だけど、もし1巻から順に並んでいたら? わりとすぐに23巻がないことに気付くはずだ。もしも1冊だけ抜かれていて、あからさまな隙間があったら秒で分かる。
つまり、「順番どおりに並んでいる」からこそ抜け漏れや間違いがあれば目立つ。
そして、「抜け漏れや間違いがない」からこそ、整然としていて心地よく、受け入れやすくなる。
これで、共感や追体験のための下準備がととのったわけだ。
よく寝た。
「分析採点JOYSOUND」(Android版)にて。
ヨルシカさんの「詩書きとコーヒー」キー♯1にチャレンジ。音域はmid1E~hiG、E3~G5。
98.925点。昨日よりは良かった。ただ、サビ高音の上下がうまくきかなかった。
優里さんの「うぉ」97.829点。キー±0。オクターブそのまま。(mid1D#~hiB、D#3~B4)
優里さんの「レオ」100.000点。キー±0。オクターブそのまま。(mid1C~hiC、C3~C5)
水野あつさんの「無理に笑わなくて良いよ」99.597点。キー±0。オクターブそのまま。(mid1F#~hiB、F#3~B4)
明日から社員旅行のため、明日のあとがき更新はできそうにないです。明後日も怪しい。
大阪万博みてきますね。はてさて、自由行動時間で入れるパビリオンなんて予約できるんだろうか? スイッチ2でさえ4次選考に進むほどだというのに。
いつもより、1時間はやく起きねば。荷物(酒とつまみ。あとついでに着替えとか)も忘れないようにしないとね!
寝まーすzzZ
履歴の100点は239曲(+1)、99点超えは475曲(+2)、虹色メダル833個(+3)、金色メダル4個(±0)。銀以下なし。