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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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405 「障害がある」を笑い飛ばす125

 さて、それじゃ、社会性の――「「「(うま)い! おかわり!」」」――やっぱ騒がしいな!?


 えー、こほん。それじゃ、改めて。

 社会性(しゃかいせい)の「もっともらしい」について考えてみようか。


 まず、ここまでのメイン料理、「もっともらしい」を振り返ってみよう。


 経済性(パフォーマンス)政治性(せいじせい)法理性(ほうりせい)、3つの「もっともらしい」

 今一時(いまいっとき)将来性(これから)普遍性(これまで)、なんて言い換えたりもしていたね。


 時系列に並べて考えるなら、現在と、未来と過去だ。


 空間的な広がりでも考えてみよう。


 経済性(パフォーマンス)は近くの目的地に向かうものだ。ごく近くの、「じぶん」の心や感情にしたがうところから始まって、少しずつ離れた目的地にいけるようになる。


 とはいえ、長い目で、広い目で見れば、同じところをぐるぐる回ってしまったり、暴走したりということも考えられるね。

 そこで、政治性(せいじせい)では話し合うことで遠くの目的地を目指すことができる。

 早く行きたければ、ひとりで進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め。

 出典不明だけどアフリカのことわざらしいよ。なんて以前もちょろっと書いた気がするけれど。経済性(パフォーマンス)政治性(せいじせい)はまさにこの違いだね。


 さて、法理性(ほうりせい)では目的地という考えかたをしない。だって、主張がないからね。

 ちいさな村の(おきて)から始まって、国の法律、神話に宗教に科学(サイエンス)ときて、もはや宇宙全域、森羅万象を取り扱おうとするほどに拡大した。目的地をもたない代わりに、範囲はものすごく広いわけだね。

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