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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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396 「障害がある」を笑い飛ばす116

 たとえば、男女平等なんてどうだろう? 日本だと女性の参政権が認められたのは1945年。男女雇用機会均等法が1972年。国連の女性差別撤廃条約に日本も締結したのが1985年。男女共同参画社会基本法は1999年。

 いろいろとやってきたけれど、日本はいまだに男女平等とは言いがたい社会だ。特に経済面で平等でなく、政治面はほんのわずかにマシになったぐらい。平等にはほど遠いだろう。


 人間は不思議なもので、世界中のほぼ全ての民族において、男性優位の社会を築いてきた歴史がある。宗教や政治、経済において男性が主体であることがほとんどだった。

 どうしてこうなったかと言えば、私もあまりピンとはきていない。

 ただ、女性が家を守り、男性が外に出ていくように分かれた段階で、男性優位は決定づけられてしまったように思う。努力を積み上げることを考えたとき、家の中に積み上げられる量と外に積み上げられる量を比べたら、やがては後者が大きくなる。上限がほとんどないからね。

 男女間で競争をしてしまっていたと(とら)えれば、いったん男性が有利な状況ができ、世代をまたいでどんどん男性優位に(かたむ)いていき、やがてそれが固定されてしまったと考えることはできる。そして限られた教育の機会も、男性中心に割り振られてしまったというのも分かる。


 ただ、このように説明するならば、男性優位になったのはただの偶然だ。

 もし男性が家を守り、女性が外へ出ていたら立場は逆転していたはずである。

 ただ、この場合も女性優位の社会になるだけで男女平等にはならない。

 古代のメソポタミア文明や、日本だと縄文時代など。男女の性差があまり意識されていなかった社会もあった。ただ、宗教の教えや政治の仕組みによるものか、いったんどちらかが優位になってしまうと、その格差はえんえんと開いていってしまう。

 人間が先代からおおくの贈与(ギフト)を受け取る生き物であるかぎり、自然にどちらかが優位になりすぎてしまう。であるなら、あえて不自然に、意識的に、男女平等に近づけるよう調整していかなければ、男女平等なんて実現できない。

「分析採点JOYSOUND」(Android版)にて。


 ヨルシカさんの「詩書(しか)きとコーヒー」キー♯1にチャレンジ。音域はmid1E()~hiG()、E3~G5。

 98.810点。高音の調子悪い。ちょっと遠出した後だったので疲れが出ていたかも。


 今日はカンザキイオリさんの曲を歌いました。時間が取れなかったので1曲だけ。


「君の肺には宇宙が広がっている」97.725点→99.766点。キー±0。オクターブそのまま。(表記なし)


 音程と安定性で苦労したんですが、そっちを合わせきったらロングトーンと抑揚が欠けたorz


 履歴の100点は220曲(+0)、99点超えは435曲(+1)、虹色メダル(95点以上)794個(+0)、金色メダル(90点以上)4個(±0)。銀以下なし。

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