392 「障害がある」を笑い飛ばす112
Switch2、第2回抽選にて厳正なるなんたらかんたら落選しました……orz
たとえ反証可能でも、反証してくれる人がいなかったらどうしようもないわけで。未知や無分別から、対比可能性へ、そして反証可能性へ。人間と科学は付き合いを深めてきた。
聖書は試せないが、理論は試せる。
結果として、科学は『自己否定』をくり返すことで、とんでもなく肥大化した。うまく説明できない未知を、ひたすらに取り込んできた。科学はそうやって、説明できるものを増やしまくったわけだ。
聖書は正しいから従うもの。科学は間違っていないように見えるから従ってしまうものだ。そのような発想の転換が、やがて科学優位な世の中を作り出した。
今後、科学がどうなるかは分からない。たとえば、すっかりAI科学者が主体になってしまって、人間はもうお払い箱になるのかもしれない。
そしてAI科学者を否定できなくなったなら、科学は終わりを迎えるわけだ。自己否定の精神を否定してしまうときが、科学の世界の終わりになるんだろう。
そうなればAI科学者が神様、自称科学者が司祭役の宗教になってしまうわけだね。そのときに科学という名前が残っているのかは知らないけれど。
まぁ、科学は肥大化しすぎたね。論文の書きかたからして、法理性の「もっともらしい」をはみ出してしまっている。これまでメイン料理としてあつかってきた、経済性や政治性の「もっともらしい」をも取り込んでしまった。ただ、中心をたどっていくと法理性の「もっともらしい」がいちばん相応しいところだと思う。
あとは、科学と科学で意味が変わってくるかもしれないね。
科というのはひとつひとつを区別するという意味で、科学は「文科の学」「百科の学」などの略になっている。明治時代に作られた言葉だ。
なので、対比可能性さえあれば科学と言えてしまうのかもしれない。科学ではないだろうけどね。
そんなことを考えると、芸術さえ科学の一分野となってしまう。美学やデザイン学ならともかく、芸術作品のたぐいまで……となれば話を広げすぎだろうか?
なにはともあれ現代では、より多くを取り込むことに成功した科学こそが最大派閥の宗教として成り立っている。
「分析採点JOYSOUND」(Android版)にて。
ヨルシカさんの「詩書きとコーヒー」キー♯1にチャレンジ。音域はmid1E~hiG、E3~G5。
99.468点。サビの後半が課題。A/Bメロは慣れつつあるけど、高い入りのところ、低いほうから入りがち。
今日はカンザキイオリさんの曲を歌ってました。
「偶像」98.760→100.000点。キー±0。1オクターブ下げ。(mid1A~hiA、A2~A4)
「結局死ぬってなんなんだ」95.022→99.714点。キー±0。オクターブそのまま。(lowG~hiA、G2~A4)
「偶像」は6回目で昨日のリベンジを果たしました。
「結局死ぬってなんなんだ」はロングトーン欠け。
明日もカンザキイオリさんの曲……と言いたいですが、水曜の増曲がありますね。週間ランキングのリセットあるし、「天国」の♭3とかにも興味が……さてどうなるか。
履歴の100点は217曲(+1)、99点超えは428曲(+2)、虹色メダル792個(+0)、金色メダル4個(±0)。銀以下なし。