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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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18 宣伝と広告<コマーシャル>

 まずは大量の宣伝と広告(コマーシャル)

 それらをひとつひとつ、個別に見れば、君のためを思っているんだ。

 格好いい服装? 美味しいご飯? 健康的な生活? もっと文化的なもの、教育的なもの、娯楽、エンターテイメント。

 それぞれ、とても素晴らしい!

 が、それら全てが一気に押し寄せた場合、意味が変わってしまう。

 君は理想的な生活(?)を手に入れるべきとテンプレートを押しつけられ、その支払いは全て君持ちだ。実際、広告にあるものを全て揃えるなんて世界を買うぐらい無謀で、理想的な生活なんてそもそも存在しない。誰もそんなことはしていない。ただ自分の人生してるだけなんだ。

 そんなことのために、君が奴隷のごとく働かされて、それでもなお足りぬと広告で鞭打たれるなんて冗談じゃないだろ?

 ただ、広告が多い時代に生まれてしまっただけだ。

 だから、スルーしよう。

 広告に反応するから、広告が価値を持ってしまい、広告が世界にあふれるんだ。

 皆で広告スルーしまくれば、自ずと広告は減っていく。

 実際、広告は「掴みの一言しかない小説」「小説のプロローグだけ試し読み」のようなもの。基本的に不完全か、不公平なコンテンツだ。食事は最初の一口が一番おいしい、なんてよく言われること。見かけ倒しも多く、最初から最後まで素晴らしい内容であることは稀だ。完全でもなければ、公平でもない。それが広告だ。


 さて、大量のチラシはそのまま精神衛生的にゴミ箱へ。

 新聞と広告の蜜月は、多くの人に教養をもたらした。だが、いつしか癒着となり、公共放送や電子化と広汎(こうはん)にわたった結果、目的(新聞)手段(広告)が入れ替わるなんて本末転倒だ。

 しかし、世捨て人になりたいわけでもないだろう。

 理想的な生活なんて願ってしまうのはそもそもなんで?

 というわけで、SNS(羨望と妬みの集積地)について考えてみよう。

 人は『余裕(スラック)』を見せびらかすのに必死だ。息をするように自慢をし、それを止めたら死んじまうと思っている。

 もちろん、息を荒げるなんて品のないことだ。呼吸はさりげなく、でも深く。

 映えを求めてスマホを掲げ、短文投稿&写真をアップ。他人(ひと)の不幸と悪戯(いたずら)も添えて。

 誰かの火葬で暖を取る。そんな呪術も、凍えた心には丁度いい?

 凍えてなんかない? そうだね、ホントは良く()けているのかも。

 網膜が妬けるのは、憧憬(ひかり)が強すぎるからだ。そりゃ勝てないよな。

 心に遮光板(やみ)を。自分の心に真っ当な『余裕(スラック)』を。

余裕(スラック)』を分類、『ゆとり』と『あそび』。『余裕(スラック)』に振り回されるようじゃ『ゆとり』の段階だね。距離を取る。適切な距離を決める。その決定権は君自身にある。


   †

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