13 認知的背理法、またの名は……
では、この星空のバイアスに抗う方法について考えてみよう。
とはいえ、主観という縛めはとても強固だ。流石神さんじゃないのだから、完全に解くのは無理だろう。だけど、ちょっと緩めるぐらいなら、方法はある。
強固なものには、強力な道具で対抗しようと思う。
背理法という、数学で使う超便利な証明ツールを魔改造しちゃおう。
認知的背理法、と名付けておく。
あ、堅苦しいかな?
認知的背理法、とルビを振っておくことにしよう。
親しみが湧いたかな?
じゃあ、まずは実演だ。
「私は君のことが気になっているのかな?」
「き、君のことなんて全然気にならないんだからねっ!」
「ああ、君のことが気になってしょうがないんだ」
という感じだね。ご、ごっこ遊びなんだからねっ!
疑問に対し、仮に否定をしてみたら上手くいかず、逆に深い確信を得る、というアプローチ。
この方法の利点は、失敗しても構わないこと。失敗例をやってみようか。
「私は君以外のことが気になっているのかな?」
「だ、君以外のことなんて全然気にならない――あ、本当に気にならないな」
「ああ、君以外のことなんてホントどうでも良かったんだ」
疑問に対し、仮に否定したら否定できちゃって、もう悩まなくて良くなる。すると、心の『余裕』が手に入る。安堵という感情が伴う『あそび』だね。おそらくは問題への意識が薄れ、周囲へと視野が広がる。
認知的背理法は上手くいってもいかなくてもメリットがある、実に都合のいい方法なんだ。なんでこんなに都合がいいんだろう? その辺りも探っておこう。
「私は正しく物事を見ることができない(星空のバイアスを自認する)」
「私は君のことをちゃんと見ているのかな?(不安と疑問が浮かぶ)」
「君ではないもの、君以外を見てみよう(背理を考える)」
「君以外以外は、君自身に他ならないはずだ(論理的には正しい)」
「んー……。んんー? ああ(認知のズレに気付き、修正する)」
「私は以前よりも君のことをちゃんと見ていると思う(成長した自分)」
数学的な背理法は、厳密に定義された命題にしか使うことができない。
だけれども、命題ではないものに対して認知的背理法を用いることによって、自覚しにくい認知のズレに気付くことができる。
数学的な背理法が命題ではないものに上手く使えない理由は何か、と突き詰めていくと認知のズレに行き着く。
だったら、ズレをあぶり出すのに使ってしまおう、というのが認知的背理法だ。
普通は、現実に慣れきってしまい、自分の焦点がズレていることに気づけない。
そんな時は、現実発非現実行きの往復券を手に入れることで、自力でのピント合わせができるようになる。
だから、認知的背理法が成功しようが失敗しようが、結果的に利益になる。それは、ズレていたピントを直すことができているからだ。
まぁ、そもそも『余裕』という考え方自体、過剰社会に対する認知的背理法なのだから、何をいまさら、という話だね。
†
前話の前書きを受けて、いつもの友人さんが「あの春を返して」を聴いてくれたらしい……。
歌詞に体言止め(主に名詞で言葉を切るアレ)が上手く使われていて、『余裕』のない精神状態が切々と伝わってくる。犬猫のくだり周辺やラーメンの辺りは特に秀逸。←体言止め、こういう表現ね。
筆者も体言止めは語感優先で割と使っているので、学びにもなって最近よく聴いています。
なお、歌詞に転生ネタの軽いいじりがあるんですが、これで怒りを覚えたら『余裕』が足りていない可能性があります。
認知的背理法と思ってみても面白いかもしれない。というオチ。また明日!