08 空理空論<スラックマネジメント>
『余裕』は自然界ではとても珍しい。
食料や生活領域に『余裕』があれば、あっという間に繁殖して『余裕』を消費し尽くすからだ。自然界に『余裕』はないし、あってもすぐ埋まってしまう。
『余裕』は希少性があり、しかもその時々で消費しないとすぐ消えてしまう!
それをあろうことか人間は、『余裕』を余剰に換え、物々交換を経ることで『余裕』を擬似的に保存する方法を見つけてしまったのだ。だからこそ、人間は人間に成れた!
余談ではあるが、こうして考えてみると、黄金が「何千年と続く人類史上最長のバブル」なんて揶揄される理由も分かってくる。
必要最低限満たされていれば、どうしても『余裕』が必要ってわけじゃない。だけど悔しいほどに魅力的で希少なもの。でもこの『余裕』ってやつは、とても脆く儚い。
金貨とは、『余裕』の代替品だ。壊れやすく喪われやすい『余裕』を、希少なだけで役に立たない、必要はないが、しかし永続性のある金塊に置き換えた。それは役立たずだけど長持ちする余剰として最適だったからだ。
不換紙幣だってそうだろう。もはや黄金ですらないけれど、『余裕』を数値化することで代替品にしたのだ。価値の裏付けなんて『なにもない』のに?
『なにもない』が確かにあるのだ――この『余裕』こそが価値の根源だ!
例えば、帝国が奴隷制で『余裕』を掻き集めて栄華を誇った時代があった。
例えば、海を渡り、植民地を拡大し、『余裕』を掠っていく時代があった。
例えば、集めすぎた『余裕』が腐敗を生み、革命へと至った時代があった。
例えば、市民や労働者、農民や女性が『余裕』に手を伸ばす時代があった。
『余裕』で私たちの世界を作った。それに知恵と名を付けた。
『余裕』で私たちの住処を作った。それに自由と名を付けた。
『余裕』で私たちの武器を作った。それに権利と名を付けた。
『余裕』を譲り合い、育み、殖やし、奪い、奪われては取り返してきた。
文明も、文化も、人間性も、『余裕』から生まれたものだ。
私たちと、私たちが作り上げてきた全ては『余裕』からできている。
で、あるのなら。
『余裕』をもっと直接的に、手品の種や仕掛けにしてしまえばどうか?
虚空からどんなものでも取り出す……には技量が足りないけれど。
でも、その技量さえ『余裕』の産物なのだから、問題はないね。
なにもない、と向き合ってみるとしよう。
それぐらい、「なんでもない」ことなんだから。
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