09 実践編~4番目の正義
さて、最後に「4番目の正義」という話をして締めたいと思う。
これまでの考え方を踏まえておけば、大抵の失敗はもう気にならない。
小さな失敗? いや、これはさまざまな試行錯誤、未来の成功のための布石だよ。空間を理解しているよ。
大きな失敗? 教訓として受け止めるよ。長い目でみればきちっと取り戻せるさ。時間で解決することが分かってる。
学びのない失敗? そんなものはない。5つの次元を考えれば、見落としにはちゃんと気づけるよ。
人間社会の5つの次元を押さえることで、しっかりと考えられる。
慣れてくれば、未然に防ぐことだってできるだろう。
それで、何の問題があるんだろう?
いや、まだ残っている。
考えられない失敗。
今、私や君がしている何気ない無意識の行動が、忘れた頃になって責め立てられる。
皆やってる、いつもやってる。私もやってる。君もやってる。
それだけの事を、後出しじゃんけんで、誰かに責め立てられる。
この理不尽なる失敗に対して、私たちは何ができるだろうか。
多重構造主義の観点から、考えてみよう。
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まず、自由競争、という構造について考えよう。
ありふれていて、なんか知らんが根強い人気があり、なんか行き詰まったときにこうすりゃ上手くいくんじゃないかなぁと自暴自棄にも似た無根拠な期待を集める構造だ。
そして大抵の場合、ろくなことにならない。
受験競争を考えてみよう。成績順に並べられ、自由に競争させられる。考えたことはないだろうか? いつも100点を取ってるアイツに勉強の仕方を聞いても大丈夫だろうか? 教えることで理解が深まるとか言っても、100点を超えられるわけではない。自分の偏差値をわざわざ下げるようなことを教えるだろうか? むしろ騙して間違った勉強法を話したりするのでは?
価格競争もありふれているね。大量生産や生産方法の工夫で、より安く商品を提供する。でもその裏側では、人件費の削り合いで人間を蔑ろにし、原材料をケチったため質の落ちた製品は使い捨てられて無駄なゴミが増え、値段が下がり世間の評価もだだ下がり、検品時間を惜しむほどの時間短縮、労働環境や保管場所は最悪な空間となる。5つの次元を持ち出すまでもなく持続可能性はない。
差別化戦略ならどうか? 付加価値を上げるなら、良いのでは?
悪くないけれど、そもそもそれは自由競争ではない。
特許や実用新案権、意匠権、商標権、著作権、回路配置権、種苗法に地理表示法、不正競争防止法や会社法によってガチガチに守られているからこそ成り立つ。
そうでなければ、パクリ、海賊版、産業スパイ諸々で結局陳腐化し、価格競争の波に飲み込まれる。
じゃあ、社会主義ならどうだろうか?
これもひどいね。ひとつの政党内で政治的な自由競争が始まる。密告、足の引っ張り合い、虚偽申告が横行する。なんなら暗闘や暗殺、粛正まであり得る。恐らくあらゆる政治システムの中で、もっとも腐敗しやすいものになるだろう。まぁ、貴族制だろうが絶対王政だろうが自由民主主義だろうが、多少マシといった程度の話だけれど。
私たちはどうやら、自由競争するとろくなことをしない性質を持っているようだ。
だけれど、ひとりひとりをきちんと見てみよう。
世の中を背負って立つ人間は、理想に燃え、現実を見据え、今を必死に生きている。言うほど悪人ばっかりでもないだろう? それでは何故、自由競争は上手くいかないのか?
それは、ずるの上手さを競っているからである。
自由競争の世界で生き残りやすいものはなんだろうか?
違法薬物をはじめとした、依存性・中毒性のあるもの?
銃火器などの戦争の道具って、売れれば売れるほど、よく売れるようになるよね?
詐欺的な広告や営業、相手の立場や無知につけこんだ不公正な契約はどうか?
マッチポンプ、ネズミ講やマルチ商法。
リスクの高い金融商品がさも安全そうに市場にあふれる。
そもそも、法律で規制されるまでに稼げるだけ稼いで勝ち逃げしようという考え方が、卑劣極まりないという自覚があるか?
自分は関係ない、偉い人が勝手にやりました。本当に知らなかった? 心当たりもなかったの? それとも考えようともせず他人任せ? それもチートじゃないの?
――卑怯か死か。君はどちらを選ぶんだい?
私たちは、このくだらない問題ごと、蹴飛ばさなければならない。
前提を疑わなくてはならない。
まず、自由競争とは「適者生存」という構造になっている。
特に、ずるに適応することが要求されている。
それに抗うための構造とはなんだろうか?
野生動物は持っておらず、人間だけが持っている構造とはなんだろうか?
人間性だけが持つ、卑怯に抗う道具とは?
言わずと知れた、それこそが「正義」である。
しかし、正義と言ってもだ。
この世に悪なんてない。100人居れば100の正義があるだけだ。
そんな言い回しをどこかで聞いたことがあるんじゃないか?
でも、アメリカのとある名物教授の本や、日本でもビジネス書や自己啓発本の類を見れば載ってるような話では、その正義は3パターンに大別できるらしい。
ひとつ。公平の正義。
ふたつ。名誉の正義。
みっつ。自由の正義。
以上だ。
それぞれ、チャンスは平等ですよ、不当に馬鹿にしちゃダメですよ、理由もなく束縛したりしませんよ、という正義である。
ざっくりとした説明だし、本によって言い回しは異なる。ただ、大体3パターンで語られるようだ。なぜ? 本当に「4番目の正義」は存在しないのだろうか?
正義の構造を考えてみよう。それぞれの正義を言い換えてみる。
公平の正義=全体を尊重している。
名誉の正義=部分を尊重している。
自由の正義=個人を尊重している。
一般に語られる正義は、集合論と同じ構造をしている。
全集合や、部分集合、要素からなる数学と同じ。詳しくは「集合論」でググればOK。
つまり、正義はこの3パターンで全て語り尽くすことができる。尊重の集合論だ。
よし、それではまた、前提を疑ってみよう。
そもそも集合論に欠陥はないのだろうか? 本当に見落としはないのだろうか?
ここで多重構造主義、人間社会の5つの次元を思い返そう。
人間、存在、評価、時間、空間。
人間を大事にしている。評価を大切にしている。全体から個人まで、空間の広がりを理解している。
……あれ? 存在と時間をまるっきり無視していないか?
ということは、正義っていうのは薄っぺらな絵空事に過ぎないってことだ。
ちょっと待ってくれ、これは困る。正義は、もっと強固で、頼り甲斐がなければ。
こんな頼りない武器で、どうやって世にあふれるずるに抗えば良いんだ?
つまり、存在と時間を尊重する「4番目の正義」が必要というわけだ。
それはどんな正義だろう?
これまで語られた正義は、どこまで言っても綺麗事だ。それは贅沢品だ。
そして、その贅沢品を手に入れたいと言うのであれば、余裕が必要だ。
貧しいままではいけない。心に、生活に、人生に、余裕がどうしても必要だ。
そのためには、モノが必要だ。
そして、正義はピン留めされた標本であってならない。変化が感じられる柔軟な正義が必要だ。時間を忘れることは許されない。
モノを生み出し、かつダイナミックな行為とはなんだろう?
それを踏まえて「4番目の正義」をこう名付けよう。
『協働の正義』
人間は、協力して働くことによって、ここまで発展してきた。
独りでは、何もできなかった。
私と君で、素晴らしい世界を作れたら良い。
いつまでも一緒に笑っていられたら、それで良い。
いつか喧嘩する日が来ても、許し合って、また手を取り合いたい。
こんな確かな正義を胸に、お互い尊重し合って、学び合えたなら、最高の明日がやってくると思うんだ。
ずるなんて、もう必要ない。
だって、もったいないよ。
君はすでに、世界にひとつだけのずるを持っているじゃないか。
君が君であること。
誰にも真似できない、とっておき。
本当にずるいよ。私がどんなに手を伸ばしても、君はこの手を振り払える。
私がどんなに言葉を書き連ねても、君はいつだって、そっと閉じることができるなんて。
そんな唯一無二の君を傷つける、ありふれたずるなんて要らない。
なあんて、ね。
これが私の基本思想。構造の奴隷は願い下げだ。
失敗だらけで生きてきた私の、もう失敗しない方法論。
君の参考になれば幸いです。
前回短編、いつもの友人に「なんで、そんなに理路整然とした文章を書けるんですかw」とか突っ込まれて、気づいたら自己分析短編を実質3日で書き上げていた……だと……。友人の奴隷のように生きてきた……。
こ、今度こそ長編を再開……(がくっ
あとがき下のところから、評価を頂けると作者のテンションが爆上がります。よろしくね!^^