記述主義者が生まれた日。
2022年9月13日初掲載。まえがき・あとがきも当時のまま掲載します。あらすじもリンク先以外はまえがき文頭に含める形で。
記述主義者ってなんぞ?
いつもの悪い冗談……かどうかは、ご想像にお任せします。
お楽しみ頂ければ幸いです。
「書かなきゃ、前に進めないんだな」
掲載したばかりの短編小説を読み返しながら、そう呟いた。
2022年8月6日(土)、その日は、奇しくも私の誕生日でもある。
記述主義者が生まれた日だ。
短編小説のタイトルは『最悪のオークションへようこそ!』。
最悪の魔王、カネガス=ヴェーテが主催するオークションで、とあるいわくつきのアクセサリが販売される。君(読者)を含む観客たちに、購入を呼びかけるという筋書きだ。
結末が謎めいている、いわゆるリドルストーリー。
正直に告白すると、この短編は自分で読み返して、何度頭を抱えたか分からない。
ゼロ除算を命じられたコンピュータのようにエラーを吐く。
話のオチもあれな小説ではあるが、登場キャラクターや出品されたアクセサリとその出品に至る経緯、思わせぶりな表現が多い。
観客のひとりからの突っ込みは本気なのか、からかいなのか?
魔王の強烈な売り文句も本音なのか、ただの演技なのか?
出品者はどのような人物像で、高名な宝飾師は何を思いアクセサリを完成させた?
そして何故、私は、このような自分でも不可解な小説をスムーズに書くことができたんだ?
それ以前に長編も1作書いていて、更新は絶賛停止中。
長編小説のタイトルは『ライツ・イン・ワールドエンド~第三次世界大戦は終わったのか?~』。
舞台は、働く必要がなくなった未来社会。主人公の少年、佐藤信一は、定期収入を得る手段であるライツを持っていなかった。賭博か投資でしか金を稼ぐ手段がない中で、様々な境遇の人と出会いながら仲間を増やし、終わったはずの三次大戦に挑む、そんな経済SFだ。
1話目の掲載からもうすぐ3年、頭の中にしかないプロットは、全然当初からぶれてなくて、最終話のオチまできちんと決まっていて、キャラクターたちの言葉も、振る舞いもイメージできていて。
時折思い出したように書いては消し、書いては消し、そして手が止まることの繰り返し。書きたいことがあるはずなのに、表現のところで上手くいかない。
自作品を読み直し、伏線を確認し、問題は無く。
それでも、違和感が、脳裡から離れなくて。
技量不足は百も承知、それでも書くしかない、それで上手くなっていくしかない。
そんなことは分かってて、それでも書き進められないのは何故だ?
疲れと忙しさを言い訳に、両手指先の筋肉痛と潰れた小っちゃいマメを言い訳に、逃げ出しそうになりつつも、みっともなく文章にしがみついてしまうのは何故なんだ?
以前長編を書いていた時に気付かなかったことが、先日から短編を書くようになって、ようやく分かるようになった。
結局のところ、私は1人称の小説や、3人称の小説を書くのが苦手なんだ。
私には『君』に語ることが何よりも大事で、さらっと書けるのは2人称小説なんだってことに、何年も掛けてようやく気付く。
失礼、気取ったことを書いた。小説フォルダに残る最初のファイルは、2009年7月17日に作成したワードファイルだ。正直に告白すると、13年以上掛かっている。馬鹿か。
心理描写はともかく、情景描写は本当に苦しい。そりゃそうだ、君に話しかけるのに、会話文や心の内面に焦点を当てる必要はあっても、風景について延々語るのはいくらなんでも不自然だ。わざわざ手間掛けて、君の居場所、解釈の余地を潰しにいく動機がない。心の裡や今後の展開を暗喩する情景ならまだしも、ね。
ただ、作者と読者の小説を作りたい。くだらない悩みや、バカげた構想、ありふれた日常や、ちょっとした非日常。大通りを1本外れた、浪漫あふれる隠れ家的喫茶店みたいな場所。たまたま居合わせた君との、ちょっとした会話を楽しみたい。
自分自身。たったそれだけのことから目を背ければ、小説はかくも書きにくい。
そんな自分に対する、小さな気付き。
書かなければ、言葉を文字にして足場を固めなければ、その次を書き進めることなんてできない。まぁそりゃ、できる人も世の中にはいるかもしれないけど、私はそうじゃないってことが、ようやく理解できた。
書かないでいれば、結局は同じことをぐるぐると考え続けてしまって、どこにも進めなくなってしまうみたいだ。それがようやく腑に落ちた。それがつい先日のことだ。
書くために、書き続けるためにできる、唯一のこと。
自分を書くことだ。素直に書いて、納得できるよう書いて、理解して書くことだ。
願わくば、君に伝わるように。過ぎたることも、及ばざることもないように、過不足なく、丁度いいところを探りながら書くことだ。それが私にとっての文章力だ。
そんな在り方を忘れないために、私はそれを『記述主義者』と名付けることにした。
元々、記述主義は言語学の用語だ。
いわゆる「正しい日本語」を扱う規範主義の対義語で、「今使われている日本語」を扱うのが記述主義だ。
私はこれに、新しい意味を付け加えようと思う。
『記述主義者』は、世界のすべてを尊重する。
世界とはすべてのこと。実在と非実在、感覚界と知性界、実存と本質、形而の上下、一切を含むものとする。例外はない。世界に含まれない要素はない。なぜなら、そんな要素が見つかった時点で、それもまた世界に含まれるからだ。
当たり前に目にする現実は言わずもがな。
たとえば君の書いた小説の登場人物。
あるいはまだ頭の中にしかない、小説のプロットのような何か。
何か分からないけど、痺れて仕方ない、でもどうすればそこまで辿り着けるか見当がまるで付かないような、でも君自身の心打ってしょうがない名シーン。
そんなあやふやなものであっても、例外なくすべてを世界と認め、尊重する。
それらを書き連ね、文字にする。
世界をより明確で確固たるものにする。
分からないものには名前をつけ、輪郭を捉え、世界に加えていく。
そうして、世界をどんどん広げていく。
それが、『記述主義者』だ。
――とまぁ、書いてはみたけれど、『記述主義者』になるのは難しい。
たとえば、私はヒトラーが嫌いだ。
世界史上、最も嫌いな人間を1人述べろと言われたら、迷わずアドルフ=ヒトラーを挙げる程度には、大嫌いだ。優生学や人種主義、全体主義、人類史上最大の「やらかし」をした男だ。それだけでも大概だが、挙げ句の果てに自殺したという。自ら手を下すぐらいなら、せめて良識あるドイツ人に殺されれば良かったのに、ぐらいは普通に思っている。
だが、『記述主義者』である以上、彼の物語も尊重せねばならない。
――ほら、本当にきついでしょう?
たとえば、広島・長崎に原爆を落とした航空機のパイロットはどうだろう? 当時はまだ弾道ミサイルができたばかりで、それもナチスドイツが技術を独占してたので核ミサイルなんて作りようがなかった。当時の飛行機で、原子爆弾を落とす。それがどういうことかと言えば、パイロット自身も爆風の影響を受ける可能性があったってことだ。放射線の影響を鑑みて、今後子供ができなくなるかもだけど了承しますか、そんな契約書にサインした気持ちを、その物語を尊重せねばならない。
たとえば、2001年の9・11、アメリカ同時多発テロ事件。4機の旅客機をジャックしたテロの実行犯はどうだろう? 死者行方不明者約3000人、負傷者も2万5千人を超える史上最悪のテロ事件。自爆テロで死んでいるため、衝突の間際に何を思ったか、もはや確認する術はない。そんな彼らの物語を、尊重せねばならない。
――ねぇ、正気の沙汰とは思えないでしょう?
歴史を絡めると、話が壮大になりすぎるね。
もっと身近な話でもいい。
嫌いな奴ぐらい、誰だっている。
学生の頃は、生徒にも先生にも、ソリの合わない嫌な奴がいただろう?
就職してからだって、無茶振り上司と安請け合い営業に泣かされる。
なんだったらついこないだ、道ばたでワケ分からん言いがかりで絡んでくる男が居て、爽快な朝の気分を台無しにされた。仕事で使ってる車から降りてまでイチャモンつける奴があるか。そっちの会社の看板背負ってるって自覚あんのか。ああもう大嫌いだ。
金にもならないことを、と嘲笑う奴が嫌いだ。
伝えたいことをただ分かりやすく、たとえ話にしたり、言い回しの工夫や、語呂や語感を意識したり、誤字脱字チェックで再三どころか十回の精読も珍しくない、そんな当たり前の創意工夫を、ろくに読みもせずに作り話だ嘘っぱちだと言う奴が嫌いだ。
なによりも。
自分自身で決めて、自分自身に課したルールひとつ守れない自分は、本当に1番大嫌いだ。
そんな自分さえ尊重して、書かなきゃいけない。
それが、『記述主義者』だ。
そして、どんな悲劇も、絶望も尊重した上で。
今を生きる、私や君が書きあげた物語の方が、ずっとずっと面白い。
そう、しゃんと背筋を伸ばして、思いっきり書いてやらなきゃ気が済まない。
これは、そんな生き様の名前だ。
†
私は、記述主義者なんだ。
君もどうだい? ちょっと世界を書いてみないか?
好きな哲学者はヴィトゲンシュタイン。
次回、『現実発、ファンタジー行き。切符はこちらです。』近日更新、と言いたいんですが10月末まで残業祭り。前に進むため、頑張ります><;;
あとがき下のところから、評価を頂けると作者のテンションが爆上がります。よろしくね!^^