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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。

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166 「若さがない」を笑い飛ばす2

 でも、ついそんな当然のことも忘れちゃって、言い換えの魔法を失敗する。

 老いゆえの落ち着きを、老害と言い換えて指差して嘲笑(あざわら)う。

 若さゆえの振る舞いを、幼稚と言い換えて指差して嘲笑う。

 そのふたつに共通するのは、指差して嘲笑いたくてしょうがないということ。

 それは『自己否定(このままで居られない)』、そんな気持ちがちょっと(こじ)れてしまっただけだ。


 また言い換えの魔法を試してみよう。

「老害」を「老獪(ろうかい)」、「老獪」を「戦略的」、「戦略的」を「したたかさ」。

 こんな具合でどうだろう? いろいろと老いを(こじ)らせていたものだね。だけど、それはつまるところ「したたかである」という意味だ。

「幼稚」を「幼い」、「幼い」を「稚気(ちき)」。

 これはもう慣れたものだね。「子供っぽい」を経由しなければ、好ましいニュアンスだけ切り取れる。

 さて、戦略的に「したたか」で、「稚気(ちき)」を兼ねそろえていればいい。

 このふたつをまとめると……まぁ、いまさらかな?

 これまでもたびたび出てきた「稚気(ちき)を愛する」となるわけだ。


 そもそも、自分自身があらゆる面で子供だとしたら。

 それは子供そのものであり、「稚気(ちき)を愛する」ことなんて、できやしない。

 自身に大人な一面があるからこそ、「稚気(ちき)を愛する」ことができる。

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