166 「若さがない」を笑い飛ばす2
でも、ついそんな当然のことも忘れちゃって、言い換えの魔法を失敗する。
老いゆえの落ち着きを、老害と言い換えて指差して嘲笑う。
若さゆえの振る舞いを、幼稚と言い換えて指差して嘲笑う。
そのふたつに共通するのは、指差して嘲笑いたくてしょうがないということ。
それは『自己否定』、そんな気持ちがちょっと拗れてしまっただけだ。
また言い換えの魔法を試してみよう。
「老害」を「老獪」、「老獪」を「戦略的」、「戦略的」を「したたかさ」。
こんな具合でどうだろう? いろいろと老いを拗らせていたものだね。だけど、それはつまるところ「したたかである」という意味だ。
「幼稚」を「幼い」、「幼い」を「稚気」。
これはもう慣れたものだね。「子供っぽい」を経由しなければ、好ましいニュアンスだけ切り取れる。
さて、戦略的に「したたか」で、「稚気」を兼ねそろえていればいい。
このふたつをまとめると……まぁ、いまさらかな?
これまでもたびたび出てきた「稚気を愛する」となるわけだ。
そもそも、自分自身があらゆる面で子供だとしたら。
それは子供そのものであり、「稚気を愛する」ことなんて、できやしない。
自身に大人な一面があるからこそ、「稚気を愛する」ことができる。




