05 時期未明&補足
期間が長くていつだったかはっきりしない失敗談。
子供の頃から中耳炎になりやすく、耳鼻科によく通っていた。
毎回違う子と仲良く遊んでいるものだから、人と仲良くなるのが上手いと、親に思われていたらしい。
フリーターの頃、バイトの帰り道で独り、ようやくそれを思い出せたこと。
君の笑顔を見るのが好きだった。それだけのことを忘れていたこと。
晩秋の満月を見上げながら、泣いてしまったこと。
子供の頃、聴覚の認知に偏りがあったこと。
人の話を理解するのが苦手だったこと。
正確には、聞くことと理解することを同時にするのが苦手だったこと。
レコーダーのように正確に、人の話を抑揚から言い詰まったところまで完全に覚えていたこと。同じ時間をかけて頭の中で反復してようやく理解できたこと。
その理由は、他人に興味を持っていなかったからだということ。
話の流れを汲み取らず、相手の立場で考えず、状況も踏まえなかったこと。
会話を受け身で考えていて、いつも初見殺しの感覚で言葉を交わしていたら、そりゃあ難易度は狂気の沙汰だろうよ。反面、文字の理解には問題がなく、むしろ人より早く読めていたのだが。
あと、高校の時の記憶力低下を境に、丸暗記までは流石にできなくなった。まぁ今でも、細かな音を聞き分けるのは得意だと思うけれど。
小学校4年生の時の授業参観。
内容は自殺がテーマだった。教科をはっきり覚えていないが、たぶん道徳だろう。
死ぬ順番を守りなさい。親より先に死んでくれるなと教わった。
その明快なルールが、私の生きる理由だったこと。
それしか生きる理由がなかったこと。
そしてすぐ、抜け道を考えてしまったこと。
不慮の事故で殺してくれないかなと思ってしまったこと。
生きる理由を欲しながら、死ぬ言い訳を探していたこと。
破滅的な願望と自己嫌悪が、私を軋ませたこと。
恩師の言葉を、汚してしまったこと。
生きづらさの言い訳にしてしまったこと。
子供の頃から、将来の夢を抱けなかったこと。
未来に希望を抱いていなかったこと。
自分が得意なことは、パソコンと同じだった。
勝てるわけがないだろう。そう思っていた。
どうせ取って代わられる。そう思っていた。
自分に価値をカケラも見出していなかったこと。
自分の意味がどこにあるのか、分からなかったこと。
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最後にちょっとした補足。
これは失敗談ではないが、失敗談の合間の穴埋めとして。
大学生1年目の時にサンホラを知ったこと。
カラオケで先輩達が男女デュエットで「朝と夜の物語」「雷神の系譜」を歌っていたこと。衝撃を受けたこと。
そのアーティストのアルバムは凄まじかった。
類を見ない物語性の強さ、その物語に寄り添う適確で魅力的なメロディー、歌詞カードは暗号が仕込まれていて、アルバムケースを分解すると見つかるWebアドレスに答えを入力すると隠しトラックがダウンロードできる。しかも解答がアナグラムになっていて、実は答えが2つある。隠しトラックも2つある。
まぁ、レーベル移籍でそのWebサイトの方はもう閉鎖されてしまっているが。
そんな作品であれば、どうせゴテゴテした不出来のものになるのが普通だ。しかし、その完成度は極めて高く、ひとつの作品として調和していた。むしろ集大成的なアルバムだった。様々な立場に置かれた人たちが、必死に生きた群像劇。
昏さと輝きに満ちた、人間讃歌に憧れた。
足し算に美学があるということを、初めて知った。
足し算の意味も知らずに、小手先で数学をしていた自分を恥じた。
ようやく、空っぽのままの自分では世界に向き合えないことに気づいた。
小説を書きたいと思うようになったのは、彼の作品を聴いたからだった。
これも大学1年目の時。ガラケーでWeb小説を読んだこと。
タイトルはソードアート・オンライン。まだ作者は電撃文庫デビューをしておらず、Web掲載されていた頃のものだ。アリシゼーション編まで夢中で読んだ。
MMORPGに興味を持った。パソコンは持っていたので、やってみた。
今から思えば、2000年代のMMORPG全盛期である。
もちろんプレイしたのは有名どころのラグナロクオンライン、などではなく。まぁ本当にひねくれていると思うが、『政治・経済が学べるMMORPG』が売り文句の、君主Onlineというゲームだった。当時まだ10代だというのに渋い趣味である。
これはとても私の性に合った。
計算でできている世界だ。ボイスチャットの無い時代、他人との会話は全て文字で行われる仮想世界。私にとって、障碍が何もないのだ。
そして、奇妙に思えるかもしれないが、実社会を学ぶのにも適度な課題だった。現実社会は、あまりに巨大すぎる。同時接続数1000人規模で、それぞれのプレーヤーが自由に狩りをしたり製造したり、集まってイベントをしたりという流動的な様子をイメージして欲しい。そして、人々が入り乱れ、立場を変え、争ったり協力したりするんだ。
学校も規模は似ているが、クラスやクラブ、部活動で分かれてしまってグループを違えた交流がない。小組織間の調整を先生が担ってしまう。集団生活は学べるが、社会生活は学べない仕組みになっている。学校で社会生活を学べる人は、そもそもある程度の社交性を有する人だけだ。
現実社会は日本だけでも1億人規模で、世界だと何十億人という単位だ。文化、宗教、人種、歴史、思想諸々、大きすぎて全体像が掴めない。ルールも分からないのに、放り出されても正直困る。訳の分からない理不尽が目の前に迫ってきて、実践と経験と気合いと根性でなんとか乗り越えろ? 失敗しようものならSNSで吊し上げ? どんなクソゲーだよそれは。それを上手く初見でクリアできる人間は、よほど運の良い人間だけだ。
だから、なんとか理解できる、ほどほどの規模で、社会の模擬体験がしたかった。ルールに共感する私にとって、この遊びは手頃だったのだ。
面白かったのは、合理的なだけではダメだと知れたことだ。
狩り収益の期待値計算や、武器・防具の最適化、資本規模の集中を、リスクの分散を、効率を、もっと効率を! 追求して追求して、それでも一線級には届かないのである。
必要なのは幸運だろうか? アップデートの傾向から今後の仕様変更を予想し、先んじて有用な資源を押さえておく? 全財産を投じた大博打で勝てば勝者になれる?
それが、全く違ったんだ。
いわゆる、名物プレーヤーの存在である。
その人の周りに人が集まってくる。
高効率な狩り場の奪い合いに参加しなくとも、必要な素材が集まってくる。交換、融通、ちょっとした貸し借り。当たり前にトラブルも起こるのだが、そいつがちょっと謝ればなんか不思議と解決しちゃうのである。
そういう人と競争すると、持久戦で必ず負ける。小手先の論理や奇策の類ではまるで揺らがない精神性。賢しらなやり方なんて、名物プレーヤー達を前に通用しなかったんだ。
ゲームタイトル通り、君主という最高権力者(実際は割と名誉職)を決める選挙システムがあり、立候補したんですが、普通に負けてましたね。
新しい仕組みを提案する構想力はあったものの、人の心を動かすことはできませんでした。粘り強さというか、厚顔無恥さ加減で立候補し続けるうち、たまたま名物級の人が他に出ていなくて初当選できたこと。就任式で機材トラブル起こしてログインできなくなり、パソコン画面も私の顔も真っ青になったこと。ここは明らかに失敗談だな……。
「結局のところ、いちばん面白いのは人間なんだよ」
そんな世界で、ある人からこんな言葉を貰いました。
今でもそれは響いている。私の心に、響いている。
あとがきとかでよく出てくる友人さんですね。
現在でもペンフレンド的な関係を続けています。
まぁ、そんなこんなでサービスは16年近く続き、2022年の3月9日にサービス終了しました。結構な時間を消費した割に、今でも後悔はないですね。不思議なものです。
なんだかんだで、貴重な経験したからですかね? 社会人になって、世の中や政府の在り方について知っていけば、なんで政府は赤字国債刷ってまで金融緩和するの? 馬鹿なの? って考えたりすると思うんですよ。
まさか、MMORPGで金融緩和の判断をする立場を体験できるとは思わなかった。
不況のまま全員が不幸になるか、金を刷って一部だけでも救うかの2択。どっちの最悪がマシかという政治的判断。どうやればそんな状況に追い詰められずに済むのか。マイナンバーカード普及に政府がこだわる理由とか、およそ共感できてしまうのは、こんな経験をしたからだ。
あとは……数学にこだわった理由とかも最後に触れておきましょうか。
中学1年生の時、確か少し肌寒い11月だったかな。
私は独り、中庭を歩いていて、背後から強い風がざっと吹いてきて。
校舎のL字型の角の部分に風が集まり、枯れ葉がふわりと舞い上がる光景を見た。
そのときになんか直感しちゃったんですよ。
世界の全てが、XやYやZ、グラフで表現できるような気がしちゃったんです。
世界構造が透けて見えてしまったような、錯覚を抱いた。
ちょっと早い中二病だったんじゃないでしょうか?
数学をやるために、数学をやる理由さえ捨てるような愚か者が、それでも数学にこだわったのは、そういう理由です。そんな檻に、囚われたんです。
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