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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第6章:記述主義者ともう失敗しない方法論。
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02 幼稚園~小学校

 え? 読むの? マジで?

 ああいや、歓迎するよ。ええー(困惑)。


 冗句はさておき。


 まず、前提からだね。私はどんな子供だったか?

 物心ついたばかり、4才前後の自分をを表現するなら、今でいう繊細さん(HSP)傾向の強い子供。ちょっとしたことで心がいっぱいいっぱいになってしまい、よく癇癪を起こしていた。

 集中力が高く、子供の割には考えが深かった。これはHSP傾向と繋がりが見えにくいかもしれないが、要するに周りを意識せずに何かに没頭する方が気が楽だった、ということだ。環境感受性に振り回され鍛えられた認知能力を1点に振り向けるのが好きになっていた。


 ただ、HSPらしからぬ個性もあった。

 人間への共感力がまるでなかったことだ。


 え? それはHSPではないのでは? むしろサイコパスを疑った方が、とも考えたくなる。ただ、不安感を感じやすい性質でもあった。

 不安を感じられないサイコパスとしての傾向はむしろ低い。他、自閉スペクトラム症なら検診で判明していてもおかしくないし、その症例を調べる限り、あまり一致するように思えない。


 共感しているものが、人間ではなかっただけだ。

 私はその場のルールに対して、ひどく共感していた。


 親が勉強しなさい、と言うから勉強する子供。

 先生がルールを守りなさい、と言うからルールを守る子供。


 一見、聞き分けの良い子供に見える。

 この場にはそういうルールがあって、それで上手くいっている。それでいいじゃないか。

 そう考えてしまう子供だった。


 ただ、ちょっと引いた視点で見ると、とても危うい。

 朱に交われば赤くなる、という言葉がある。

 親や先生が必ずしも良い人であるとは限らない。常に正しいなんてことは確率的にありえない。誰だって当たり前に間違うし、失敗する。

 幼さゆえに、自分らしさ、人間性なんてものは薄っぺらだ。まして、自覚なんてまるでできていない。自分の心にさえ共感力がまるでなかった。


 だから、独りでよく泣く子供だった。理由が分からなくて、ただ哀しかった。


   †


 幼稚園の時の失敗談。


 先生が弾くピアノ。曲名は「線路は続くよどこまでも」、園児のみんなで電車ごっこだ。

 いつも通りだったのだけど、その日は勝手が違っていた。

 開始前にトイレに行きたくなってしまい、先生に伝えてお手洗いへ。

 私が戻ってきた頃には、ほぼ決着がついていた。

「私ひとり」対「クラス他全員」の電車でじゃんけんである。

 ちな、私は勝った。私が先頭になって電車ごっこは終わった。いろいろな意味で。


 翌日から、特に男子の間で電車ごっこ前にトイレに駆け込むのが大流行した。

 そして後日、皆仲良く怒られた。それ以降電車ごっこをした記憶がない。


   †


 小学校2年生の時の失敗談。


 子供のアレルギーについて理解が深まった昨今では考えづらいが、当時はまだそういったトラブルが注目されていない時代だった。

 先生は給食を食べさせることに熱心で、ちゃんと食べるとシールが貰えるルールを作った。学期間ずっと完食だとちょっとした賞状が皆の前で渡される。

 給食を食べることに、評価と競争を持ち込んだわけだ。

 しかし、私は食べるのが遅く、一年の時は掃除が始まる時間までに食べきれないことが多かった。好き嫌いも多かったように思う。変わっていたのは、ニンジンやピーマンはむしろ好きで、嫌いな野菜はキャベツだった。味が薄いため、かえって青臭い香りを強く感じ取ってしまったからだ。

 そんな私はそのルールに対応するために、どんな行動をしたか?


 ご飯をハンカチに包んで、トイレに流した。

 数日でばれて大変怒られました。母親まで呼び出された次第です。


 本当に、全国のお米農家の皆様には申し訳ないことをしました。

 今ではすっかり反省し、茶碗の飯粒は1粒たりとも残さない人間に育ちました。ひょっとしたら見落としの数粒はあるかもしれませんが、自覚する限り、そういう習慣をずっと続けています。そんな程度で許される罪だとは到底思えませんが、食べ物を無駄にしないこと、命を頂く行為に感謝をすること、農家の皆様には頭が上がらないこと。

 ついでに、農家を蔑ろにする政党とかあったら絶対に票を入れません。食べ物を粗末にする作品は好きじゃありませんし、この告白を最後に、自分が書くつもりもありません。


 ただ、食育に関して言えることがあるとすれば。

 美味しく食べ物を頂けるということは、本当に幸せなことです。

 必要な栄養を、必要なだけ摂るということ。しっかり味わって食べるということ。

 味や香りの違いを精確に理解し、味覚、嗅覚、その感性を調律し続けること。

 そして、自分の身体にとって最適なものを口に入れたときの歓喜たるや素晴らしい!

 自分の身体や心を満たすということを、忘れてはいけない。

 食べるということを、つまらない作業にしてはならない。

 そして君と、みんなと一緒に分かち合う食事は本当に楽しいんだ、ということ。

 それを次の世代に伝えられたら幸いです。


   †


 小学校3年生の時の失敗談。

 ルールに対しての共感力が高い私にとって、最も高い適性を示した教科は数学だった。

 算数ではなく、もう数学をやっていた。つるかめ算などの特殊算を一通り学んだ後に、連立方程式や因数分解を普通にやっていて、小3のうちに中学3年生までの数学は一通り終えていました。次いで国語も中学レベルには届いていましたし、理科社会も1年は先行学習していたかと思います。

 今で言うギフテッド的な性質を発露していました。

 ただし、今のように動画サイトで数学チャンネルがあるような時代ではありません。というか、グーグル検索の日本語版さえまだ無い時代です。スマホどころかガラケーさえなく、ポケベルならあった程度の時代です。持ってはいませんでしたが。

 高校レベルの数学を教えられる人が身近に居なかったので、ここで頭打ちになりました。それに比べたら、SNSや動画サイトがある現代はチャンスは多いでしょう。もっとも、極端に偏った学習の結果、生きづらさに陥るリスクも多く一長一短ではあると思いますが。


 さて、そんな私が朝、学校に登校するときに級友に相談しました。

 学校では割り算を習ったばかり。


÷0(ゼロで割る)ということはどういうことだろう?」


 もちろん割ることはできない訳ですが、それは何故でしょうか?


「ゼロで割ったらゼロに決まってるじゃんか!」


 クラスメイトはそう言って、まともに取り合ってくれません。てか割れませんよ。説明しても全然分かってくれませんでした。


 誰かに相談するだけ無駄だ、と誤学習したこと。

 数学について、一人きりで研究するようになったこと。


   †


 小学校3年生の時の失敗談。ふたつめ。

 足の遅い私にとって、マラソン大会が近づくのは気が重い。

 でも先生は、朝の授業前や放課後の練習を奨励していた。

 プリントを配り、練習の記録をつける。200メートルトラックを1周したら1マス、色を塗っていく。日付毎に色を変えたりする。その辺はカラフルで自由だった。


 そして、半月ほど経った。プリントを提出する日がやってくる。

 私の記録を他の生徒に見咎められた。


「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」「うそつき」


 クラス中の皆から糾弾された、36の人間否定句が、私の心を滅多打ちにした。


 私の記録は、200周を超えていた。どう思う?

 クラスでも最下位を争う程度の足の遅いやつが、それだけ走っていると書いていたら?


 当時は、小学校でも土曜は半日授業をやっていて、半月もあれば登校日は12日ぐらいある。朝の時間は40分ほどあり、時速4キロで歩いたとしても13周。実際はもう少し早く、1日で15~20周ぐらいは走っていた。それを続ければ普通に200周は超えるわけだ。


 ただ、クラスの皆は誰もそこまで取り組んでいなかった。足の速い子が100周越えでちらほら居るかな? ぐらいだった。


 獣のような慟哭だった。私は大泣きし、当たり前の努力の証を、ぐしゃぐしゃに引き裂き、投げつけた。


 努力は報われない。そんな事は、知ってたよ! 知ってたに決まってるだろド畜生が。

 無駄な努力と嗤われるなら、耐えられたよ!

 なのに、なんで、なんでだよ!?

 何故なけなしの人間性まで否定されなきゃならない?

 そんなのって――あんまりだろ!?


 そのあと、クラスの先生がやってきて、仲裁した。

 先生はちゃんと生徒を見ていて、私が毎朝きちんと走っていることを知っていた。


 ただ。もう全てが遅すぎた。


 努力ってさ、心底くだらないよな。そう思ったこと。


   †


 小学校5年生の時の失敗談。


 バスケットボールの授業。体育館にて。

 授業の最後、シュート練習。

 5本入れたら終わりで、片付けて教室に戻るように。

 先生は次の授業のために、先に職員室へ。


 シュートして、外して、級友と交代。

 シュートして、外して、級友と交代。

 えんえん繰り返すうち、クラスメイトは全員教室に戻った。


 独り、淡々とシュートを打ち続けたこと。

 外し続けたこと、腕も疲れていて、そもそもリングに届かなくなってきたこと。

 それでも打ち続けたこと。

 次の授業時間が始まろうが、打ち続けたこと。

 さらに30分以上外し続け、他のクラスの先生に止められたこと。

 それでも打ち続けようとしたこと。

 その先生に強制的に止められたこと。


 哀しいとも、悔しいとも思っていなかったこと。

 心が疲れ切っていることに、気づいてもいなかったこと。


   †


 小学校5年生の時の失敗談。ふたつめ。


 習い事の珠算が嫌になっていたこと。

 検定を受けても結果が出せないのは初めてのことで、珠算3級に6回落ちたこと。


 塾に行く気力が出せなくて、ちゃんと行くふりをしてサボったこと。

 道ばたに隠れて、空を眺めていたこと。

 高架線を数時間眺め続けていたこと。

 半月ほどでバレて親に怒られたこと。


 7回目でようやく珠算3級に受かって、塾を辞めたこと。


 冷静に考えたら当たり前で、当時から私は手が大きかった。

 小さな算盤の珠を、隣の珠に触れずにひとつだけ弾くのは相当に困難であること。

 自分をまるで見ていなかったこと。


   †

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