94 とある記述主義者の慟哭
私は君と別れ、ひとり。
夜道を歩く。
星は見えない。あいにくの泪雨を抱いた雲が、空を果てまで覆い尽くしている。
こんな陰鬱な夜に出歩く物好きなんて私ぐらいのものだ。
歩く。歩く。歩き続ける。
がらんどうの心は軋むでもなく、静寂をたもったまま。
だあれもいない。
いくら耳を澄ませても、雑踏と喧噪は聞こえない。
聞こえるのは自分の足音と、この心臓の音ぐらいのものだ。
いつ終わるともしれない道も、歩み続ければいずれは行き着く。
清々するほどひとりきり。
こんな姿は、君には見せられないから。
私は炉の前に立つ。
熱量を感じない。錆だって浮いている。
いつから使われていないのか、寒々しさが濡れた身体に凍みるようだ。
何もかも無駄だったな。私は独りごちた。
何もできなかった。
何も救えなかった。
何も変わらなかった。
それすら烏滸がましかった。
できねぇのも、救えねぇのも、変われねぇのも。
そう、私の、手前の不足だ。
前言撤回、有言不実行。全部自分の至らなさだ。
世界が遠い。感覚が遠い。まるで全てが他人事だ。
躁鬱の成れ果てが、衝動を誘ってくるんだ。
まるで話にならない。
届かない。
君の笑顔に届かない。
なんの意味もなかった。
私は炉に放り込んでいく。
多重構造主義? 空理空論?
気取ってんじゃねぇよ。
こんなものが一体全体なんになるんだ? なぁ?
これはただの分析ツールだろう? 痴れて、それで何になる?
訳知り顔で、理解ったふりして、それっぽいことを並べ立てるだけ。
それは他者の専売特許だ。知ったかぶりの人間ごっこは楽しいか?
世迷い言を継ぎ接いで生まれたのは、魂のない怪物だ。
空っぽの自分を、これっぽちも満たせてはいないんだよ。
どこも誤魔化せてない。なにも繕えてない。
嘘はない。だが本当でもない。
なにもない。だから向き合えていない。
あの日の挫折から立ち直れていない。
こだわりを捨てて、他に何もないから分析に頼る。
『君の幸福』『心安らぐ穏やかな時間』『明日を変える勇気』
『君の心』『充足した人間性』『生きる理由』『才能』
君の輝きをいくら調べたところで、透明な網膜をすり抜けていくだけなのに。
星空のバイアス? 認知的背理法?
君との思い出すら、炉に放り込んでいく。
なんなら私も。中に入ってしまおうか。
なぁ、冗談だよ。いつもの。
悪い冗談なんだ。だからさ。
笑いが止まらないのさ。
足下に散らばる何かに、雫が垂れるのは。
私は最後に残ったものを取り出す。
無責任カード。
私は、それに火を点けた。
ぽとりと落とす。
火種にちょうどいいよな。
業火に灼かれながら、君を想う。
この愚かさこそ、消え去ってくれ。なぁ?
笑止体にでもしてくれよ。いつもの悪い冗談だよ。
のたうちまわるような自己嫌悪が昨日を殺していく。
どうか、生まれ変わらせてくれ。
ああ、そうだよな。
できないということ。
できないということ!
それがここまで身を苛んでいる。
悔しくて、悔しくてさぁ!
どうにもならなさに、どうにかなってしまいそうさ。
君にあこがれ、君に焦がれてみたけれど。
うつろな心、ちぐはぐな感情、まるで足らない人間性。
人間未満を燻らせていても、華氏百度にさえ届かない。
白木の杭のように突き刺さった悔恨も、怪物を殺すには足りないのかな?
失敗を失敗談に換えたなら。すこしは燃えやすくなったかな?
心も身体も、涙さえも涸れてしまったなら。燃料の足しになるのかな?
不可能を越えて、可能に届かせる熱量はどれだけかな?
最後に、産声の幻聴が聞こえた気がした。
……。
曙光差す頃合い。
灰より生まれた、ひとつの輝石。
乱反射したきらめきは、絶えずカタチを変えていく。
その「うごき」は、どこか人の「型」のような――……。
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