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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第5章:記述主義者と自殺の論理。
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06 納得

 さて、最後に4つめ。『自分に納得がいって』自殺するパターン。

 本当にこれは激レアなやつです。実際これができる人はそうそう居ない。

 どんなに満足しても、口では「もう死んでも良い!」と言ったとしても、本当に実行するとは思えないでしょう?

 なので、ほとんど考慮する必要はありません。

 というか、周りもまさかそんな人が自殺するなんて信じないでしょうから、止める手立てがありません。どうしましょうね?


 そもそも、そんな人が実在するのか? そんな疑問もごもっとも。


 実在します。超有名人で、どっかで聞いたことあるんじゃないでしょうか?


 ソクラテス、という古代ギリシャの哲学者が、2400年以上前にやっちゃいました。


 彼は理不尽な死刑判決を受けました。そして牢に入れられます。

 ちなみに鍵は普通に開いていて、逃げることができます。逃亡・亡命を勧めてくれる、できた友人もいます。それでも彼は自ら毒杯をあおり、言葉を遺します。


 ――『悪法もまた法なり』


 なんて、時代が古すぎて文献も定かではなく、本当にそう言ったのかは分からないのですが。それぐらい古い言葉が、彼の行動と結びついて今に語られています。


 すごいとしか言いようがありません。

 普通、自分が死ぬってことは、この世の終わりのように感じられませんか? 自分にとっての、何かしらの結論のように思いませんか?


 しかし、彼の死は世界に疑問を投げかけた。答えではなく、問いを示した。

 悪法を法と認めて本当にいいのか? それで果たして納得できるのか?


 現代においては、憲法という、法律を縛る法律がある。多くの国々が憲法を採用していて、悪法ができるのを防いでいる。日本にも、日本国憲法がある。

 彼の自殺が、今も世界に生きているということ。不思議な感じがしませんか?


 死ぬというのは、ただの動詞に過ぎない。

 世界構造に()けゆく行為でしかない。

 死んで終わりなどということはないし、世界はそれでも続いていく。


 こんな至高の自殺を止めようなんて、無粋でしかないのかもしれない。

 ただ、敢えて言うならソクラテスの二番煎じだから止めておけ、というぐらいだ。


 私たちは、生きて、もがいて、あがいて、生き抜いて。

 死に方を選ぶこと。

 生き方を探すこと。

 この2つが、同じ意味だと言うのなら。

 それらが重なる最果てで、君と健闘を称え合いたい。

 どうか喝采を、もっと光を、愛した音楽を、ありふれた感謝が集まる場所で、また逢えますように。


 追伸。親愛なる友人へ。

 君の夢は必ず叶う。

 私たちは皆、死にゆく自殺者に過ぎない。

 救い甲斐のある自殺者たちだ。救いたいだけ救ったら良いんだよ。

 世界の全てをひっくり返せと、ただ心の(おもむ)くままに、ね。


   †

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