06 納得
さて、最後に4つめ。『自分に納得がいって』自殺するパターン。
本当にこれは激レアなやつです。実際これができる人はそうそう居ない。
どんなに満足しても、口では「もう死んでも良い!」と言ったとしても、本当に実行するとは思えないでしょう?
なので、ほとんど考慮する必要はありません。
というか、周りもまさかそんな人が自殺するなんて信じないでしょうから、止める手立てがありません。どうしましょうね?
そもそも、そんな人が実在するのか? そんな疑問もごもっとも。
実在します。超有名人で、どっかで聞いたことあるんじゃないでしょうか?
ソクラテス、という古代ギリシャの哲学者が、2400年以上前にやっちゃいました。
彼は理不尽な死刑判決を受けました。そして牢に入れられます。
ちなみに鍵は普通に開いていて、逃げることができます。逃亡・亡命を勧めてくれる、できた友人もいます。それでも彼は自ら毒杯をあおり、言葉を遺します。
――『悪法もまた法なり』
なんて、時代が古すぎて文献も定かではなく、本当にそう言ったのかは分からないのですが。それぐらい古い言葉が、彼の行動と結びついて今に語られています。
すごいとしか言いようがありません。
普通、自分が死ぬってことは、この世の終わりのように感じられませんか? 自分にとっての、何かしらの結論のように思いませんか?
しかし、彼の死は世界に疑問を投げかけた。答えではなく、問いを示した。
悪法を法と認めて本当にいいのか? それで果たして納得できるのか?
現代においては、憲法という、法律を縛る法律がある。多くの国々が憲法を採用していて、悪法ができるのを防いでいる。日本にも、日本国憲法がある。
彼の自殺が、今も世界に生きているということ。不思議な感じがしませんか?
死ぬというのは、ただの動詞に過ぎない。
世界構造に解けゆく行為でしかない。
死んで終わりなどということはないし、世界はそれでも続いていく。
こんな至高の自殺を止めようなんて、無粋でしかないのかもしれない。
ただ、敢えて言うならソクラテスの二番煎じだから止めておけ、というぐらいだ。
私たちは、生きて、もがいて、あがいて、生き抜いて。
死に方を選ぶこと。
生き方を探すこと。
この2つが、同じ意味だと言うのなら。
それらが重なる最果てで、君と健闘を称え合いたい。
どうか喝采を、もっと光を、愛した音楽を、ありふれた感謝が集まる場所で、また逢えますように。
追伸。親愛なる友人へ。
君の夢は必ず叶う。
私たちは皆、死にゆく自殺者に過ぎない。
救い甲斐のある自殺者たちだ。救いたいだけ救ったら良いんだよ。
世界の全てをひっくり返せと、ただ心の赴くままに、ね。
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