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記述主義者がペンを捨てるまで。  作者: ほんの未来
第7章:記述主義者と努力嫌いのための努力論。
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79 人間関係をふわっと語ってみる3

 また、政治家や人気のテレビ芸能人のような、かねてより一対多を突き詰めた商売をされている方々もいる。現代ならSNSや動画サイトの流行によるインフルエンサーの登場、以前に比べ、その垣根はずいぶんと低くなった。

 分散した結果として、ますますインターネットコミュニティは発展し、また今後もその流れは変わらないだろう。しかし、その全体の発展の裏側で、分散された側、個々人は非常に心許ない境遇に置かれる。政治家なら政党が、芸能人なら芸能界の集まりやテレビ局などがサポートをすることができるんだろう。しかし、インフルエンサーであれば、そのようなフォローもなく自己責任論がまかり通る。対人ネットワークの(かなめ)である人、という意味で要人(ようじん)と言える。その要人の数が増えれば、1人当たりの守りはどうしても薄くなる。全体の繁栄と引き換えに、個々が切り捨てられるリスクを負うことになるわけだ。

 ある日突然バズってしまうこともあれば、炎上騒ぎになることもある。そんなリスクを負うインフルエンサー同士でもフォローし合う。ある種の共同戦線、多少無理筋なトラブルでも、首を突っ込んで助けようとする。すると、かえって多くの人を巻き込み、事態が悪化するなんてのもザラにある。


 いつも上手く立ち回れる聖人君子がそこら中にいてたまるか。要人が増えれば増えるほど、1人当たりの備えは減る。それは警備員のような暴力を防ぐものだけでなく、そもそも自衛のための知識の共有も足りない。それなのに、コミュニティの拡大は多様性をさらに複雑なものにし、必要な配慮、そのための知識はどんどん増えていく。

 このような形であればいずれどこかで限界を迎えるし、むしろ既に限界を超えているといってもさしたる驚きはないだろう。

 これは人間関係的な『余裕(スラック)』、リスクに対する備えが充分でないまま、知り合いの数だけ過剰になるパターンだね。

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