第61話 掃除
「こんにちはー」
昼間はひょっとして起きていないかもしれないと、夕方にリギルの家を訪れた。
扉の前で声をかけてからしばらくして、「入っていいわよ」と中から返事が聞こえた。
「お邪魔します」
そっと扉を開けると、雑然とした部屋のテーブルで頭を掻きながら紙に何かを書きつけているリギルがいた。
考え込んでいるようだったので、取り敢えずお茶を沸かそうと床に転がった木の箱や服を跨ぎながらキッチンに行くと、キッチンには汚れた食器や鍋などが山になっていた。
まさかと振り返ると、汚れた布類や衣類が山積みになっている。
これはいけないと、井戸を往復して空っぽの水瓶に水を溜めた。そしてまずは一番大きな鍋を洗ってお湯を沸かしはじめる。その間に食器類を洗い、自分の持っていた綺麗な布で今使うカップとお皿だけ拭いて、避難させておいた。
そうしているうちにお湯が沸いたようで、お茶を淹れる分を鍋からポットに取り分けた。そして、今から布類全ては洗えそうにないので、たらいの水にお湯を足して、先に布巾などを洗い、続けて下着を数枚だけ洗って干しておく。
まだお湯があるなと思いリギルに近づくと、しばらく体を洗っていない臭いが漂っていた。
桶に水とお湯を足して、少し熱いくらいの温度にして声をかける。
「リギル、お湯があるから体を洗いましょう」
「え? お湯あるの? 洗う洗う」
水で洗うのが嫌だったのか、お湯と聞いて嬉しそうに湯気の立つ桶を私から受け取った。そしていそいそと体を洗う場所に消えていく。
果たして体を拭く布や着替えはあるのか……。
家の中を見渡したけど、何がどこにあるのかわからない状態なのですぐに諦めて、お茶をいれておにぎりを食べる準備をした。
体を洗ったリギルは、さっぱりしたわと何処からか引っ張り出した服を着て、綺麗そうな布で髪を拭いていた。
それを見てとりあえずよかったと思い、テーブルの僅かに空いているスペースにおにぎりを置いた。
「これ、良かったら食べてください。お米を炊いて握ったものです」
「お米は食べたことあるけど、これは初めて見る形ね。ありがとう。いただくわ」
リギルはいつから食事をしていなかったのか、少し多めにと持ってきたおにぎりをあっという間に食べてしまった。そして、お茶を飲んで一息つくと
「今まで食べた中で一番美味しい食べ物だったわ」
そう言って、リギルは空っぽになったお皿を見つめた。
「それは空腹だったからですよ。最後に食べたのはいつですか?」
うーんと首を傾げてから
「思い出せないわ。でも本当に美味しかったのよ。ありがとうエルライ」
そう笑顔で感謝をされた。
私はその様子を見て、誕生の家でハマルに濡れた髪を拭いてもらっていたアクベンスを思い出した。
研究者ってこういうタイプの人が多いんだろうか?
機会があったら統計をとってみたいものだと思いながら空になった食器を片付けた。
「論文は順調ですか?」
「情報が足りないのよね。もう少し調べたいことがあるのだけど、取り敢えず現時点の成果を提出した方がいいか悩みどころね」
「何処かに定期的に報告しているんですか?」
「北の大都市に提出はしているけど、頻度は決められていないわ。ただ、心待ちにしている人たちがいると思うと、中途半端でも一度提出した方がいいような気もしていつも悩むのよね」
「確かに途中経過でもいいから知りたい人は沢山いそうですよね。私も知りたいですし」
「そうよね。エルライには遺跡に向かう道すがら話すから安心してね」
「楽しみにしています」
ただ部屋の状況を見渡して、私はリギルの論文も楽しみだが、それよりも無事に出発できるかが心配になってきた。
出発予定日まで二週間を切っているので私の家は大体片づけを終えている。しかしリギルは研究成果をまとめることに全力を傾けているので、旅の準備まで手が回っていないのがわかった。
それなら時間のある私が手伝おうと、ぶつぶつと呟きながら再びテーブルで書き物をはじめたリギルを見て私は宣言した。
「リギル、明日から私はここの片付けをします」
その言葉にリギルは顔をあげて
「え? いいの?」
と私をまじまじ見た。
「はい」
「とても助かるわ」
「朝から勝手に入ってもいいですか?」
「もちろん」
私の申し出にリギルは嬉しそうに頷いていた。
翌朝は溜まっていた洗濯物を片っ端から洗っては干して、床が見えるように荷物をまとめていった。
資料は基本的には木の板と紙なので、内容を確認しては何となく分類して、使っていない木箱を本棚のようにしてまとめていった。
床が見えてきたらほうきで掃き清め、何かをこぼした跡が何ヶ所もあったので、水拭きをしてきれいにしていった。
小さな部屋なのにそれだけで半日は経っていて、お腹が空いたので昼食を買って戻ると、リギルが起きてきた。
「おはよう。エルライ。朝からありがとう」
「いいえ、ちょっと気になったので掃除させてもらいました。昼食をこれから食べますが、一緒に食べますか?」
「そうね、じゃあスープを少し貰おうかしら」
念のため二人分買ってきた食事を、まだ資料で埋もれているテーブルの隅に置いて食べ始めた。
「床が綺麗になっているわ。あ、あの資料、うちにあったのね。何処にいったんだろうと探していたのよ」
「あれは汚れた服の下にありましたよ。しかも積まれていた資料の一番下にあったので、かなり湿気っていました。今、干しているんです」
「そうだったの。どうりで見つからないわけね」
スープを啜りながら、少しだけ床が綺麗になった部屋を見回して感心していた。
「こうして見ると、この部屋も広いのね」
「テーブルの上も片付けると、もっと広くなりますよ」
「それは無理よ。多分出発までこの状態よ」
「そうですよね……。じゃあ持っていく資料だけでも、分かるようにこの箱に詰めておいて貰えませんか?」
そう空いている木箱を差し出した。
「わかったわ。じゃあこれに入れていくわね」
「それにしてもこの家には空いている木箱が沢山ありますよね」
「ああ、それは家に籠る前に大量の携帯食を買い込んだからよ。それを食べながら研究内容をまとめていたの」
食事にこだわりがないと、こういうことになるんだなと思い、一緒にいる時はできるだけ温かい食事を用意しようと心に決めた。




