第49話 研究者
学校に通い始めて数ヶ月が過ぎたある日の夕方、夕飯の準備をしていると、アルドラがバーンとドアを開け放して帰ってきた。
「おかえりー」
玄関を振り返ると、走って帰ってきたのかアルドラは息荒く立っていたので、コップに水を入れて渡した。
「何かあったの?」
「え、ええ……」
アルドラはコップの水を飲み干して一息つくと、紅潮した頬で一度ギュッと目を閉じてから、キラキラ瞳を輝かせて私を見た。
「わたし、あの人の……、あの服を作ってる人のところに弟子入りすることが決まったの……!」
「え? あ、もしかして、あのアルドラがたくさん持ってる服の?」
「そう! そうなのよ!」
服屋で仕事を始めたアルドラは、そこで売られている服をちょくちょく買ってくるようになった。
最初のうちは気が付かなかったらしいのだが、よく見ると、どれも同じ人の作品だったようで、それ以来、大ファンになっていたのだ。
「前からお店に新作の服を置きにきたり、見学とか言って遊びにくることがあったから、お話はしていたんだけど。今日たまたまわたしの考えた刺繍の図案を見て、素敵なデザインだね、ウチで働いてみる?って言われて……! 店長もこんな機会ないよと背中押してくれて……。わたし、ふたつ返事でお願いしたわ!」
「すごいよアルドラ! おめでとう!」
「ありがとう。本当に夢みたいだわ」
着替えてくるわと軽やかな足取りで階段をあがっていくアルドラを見て、これはお祝いをしないとと台所を見回した。
確か誕生の家から送ってもらった荷物の中に、アルドラが好きな辛味の強い香辛料があったなと、香辛料を入れた壺を取り出した。普段は貴重だからあまり使わないけれど、作っていたスープに合いそうなので、今日はお祝いだしと、それをたっぷり加えた魚のスープを完成させた。
買っておいたパンとクタクタに煮た野菜を盛り付けて夕食の準備を終えたところに、着替えたアルドラが降りてきたので夕食にした。
「これわたしの好きな味がするわ! もしかして、あれ使ったの? エルライありがとう!」
「今日はめでたい日だからね」
「すごく美味しいわ!」
嬉しそうにスープを飲むアルドラを見ながら、ついにアルドラも弟子入りするんだなと感慨深いものを感じた。
同じ時に生まれて、クラズは釣り師のところへ、そしてアルドラは仕立て屋と、自分の好きなことを学ぶためにそれぞれの道に進んでいった。
私はもし寿命のことがなかったら、一体どんな道を進んでいたんだろう? 前世の記憶があるせいで、自分の好きなものが見えにくいけど、もし記憶がない状態でこの世界に生まれていたら、どんな道に進んでいたのか想像してみたけど、結局よく分からなかった。
*
学校に通いはじめて半年が過ぎた頃、授業を終えた歴史の先生のところに、今まで見たことのない人が訪ねてきているのが見えた。
「エルライ、ちょっとこちらに」
突然、先生に呼ばれて、私は何だろうとそちらへ向かった。
「こちらが以前からエルライが探していた寿命を研究しているムルジムだよ」
「はじめまして、ムルジムです……。エルライは人の寿命について興味があるんだってね……」
ムルジムと呼ばれたその人は、若草色の髪を緩く三つ編みにしたスラリとした人物で、鳶色の瞳で私を見た。
ずっと探していた人が、突然目の前に現れたことで思考が停止した。そして本当にいたんだという驚きで、その人を黙って凝視していると、おーいと歴史の先生に呼びかけられて、ハッとした。
「は、はい。人の寿命の研究について教えてもらいたくて、ずっとあなたを探していました」
「それは大変だったでしょう……。自分はエルルを長く離れていたから……」
それを聞いて、どうりでいくら探しても見つからないわけだと思った。
「そうだったんですね……。会えて本当に良かったです」
私が会えた嬉しさを噛み締めるように受け答えをしていると、ムルジムは微笑んで、「今日はこれから時間ある……?」と尋ねてきた。
「あります」
私は間髪入れず答えると、ムルジムはそれは良かったと頷いた。
「会ったばかりだけど、せっかくだし早く聞きたいよね……。ただ、家に来てもらったほうが資料があるし、移動してもいいかな……」
「ぜひお願いします」
すぐに話が聞けることになり、歴史の先生にお礼を言ってムルジムについて行った。
道すがら、カーフから聞いたことを伝えてみたが、認識はなかったようだった。だけど、心当たりがあるのか大体の事情が分かったようで、ひとりで納得して頷いていた。
ムルジムの家は港と反対側のあまりお店などもない静かな通りにあった。
「この辺りは宵っ張りが多い地区でね……。そろそろみんな起きだす頃だよ……」
サドルが言っていたことを思い出して、こういうことかと納得した。
「じゃあムルジムは今日は早起きだったんですね」
「まだエルルに戻ってきてから一週間くらいでね……。生活用品を揃えたりしてたから、今のところはちゃんとお昼前には起きてるんだ……。今日は久しぶりに学校に顔を出したんだよ……」
「学校で先生をやっていたんですか?」
「いや……。ずいぶん前に学校で歴史の授業を受けたことがあってね……。久しぶりに訪ねてみたんだ……」
「そうだったんですね」
「それで、今の歴史の先生からエルライの話を聞いてね……。ビックリしたよ……。随分探してくれていたんだね……」
「どうしても話が聞きたくて……」
「自分の研究に興味を持ってもらえるのは嬉しいよ……。あ、ここに座って待ってて……」
家に入り、勧められた椅子に座っていると、ムルジムはお茶をふたつテーブルに置いて、どこかへ消えていった。
私はそこで手土産がないことに気づいた。
カーフが何か聞きたいことがある時は手土産が喜ばれると言っていたのに、流れで来てしまったから手ぶらだ。どうしようとソワソワしていると
「トイレならあちらにあるよ……」
資料を持ってきたムルジムに言われて
「あ、いえ、何も手土産を持ってきてないことを思い出して……」
私がしどろもどろに答えると、ムルジムは首を傾げてから
「手土産……? そんな気を使わなくてもいいよ……。でも今日聞いた話が面白かったら、今度何か持ってきてよ……」
そうウインクをした。私は絶対に次に会うときに用意しようと心に決めて話を聞いた。




