第39話 仕事
「それでは手続きをはじめましょうか」
タラゼドから権利の受け渡しに必要な書類を渡され、私たちはお互いにその書面に目を通して契約のサインをした。
そして、ベイドは持っていた袋から硬貨を取り出すと、それを丁寧に並べていく。そこには契約書通りの金額があり、それを私たちに差し出した。それとは別に、今後一年間は毎月売上の十パーセント誕生の家に支払うことで契約は完了した。
権利の価格は以前の世界の基準から考えると相当安い金額ではあったけれど、そもそも物々交換が頻繁に行われるこの世界で、これだけの金額を硬貨で用意するだけでも大変だったと思う。
私はベイドが以前から権利を買うことを夢見て、がんばって貯めていたのだろうと想像すると、この人にあんこ餅を任せることができて良かったと思った。
私は受け取ったその硬貨をミラクと折半して、旅に出るにはまだまだ足りないなと肩をすくめた。
そういえばここは役場だ。もしかしてここなら仕事の斡旋もしているかもと、タラゼドに聞いてみる。
「こちらで仕事の斡旋ってしていますか?」
「エルライは工房への弟子入りではなく、仕事を探しているんですか?」
「はい。旅に出たいと思っているのですが、お金がまだまだ足りなくて、短期間働けるところを探してます」
「旅に……ですか。それだと本当に短期間ですね。そうですね……」
タラゼドはふと思い出したように私を見た。
「確かエルライは計算が得意でしたよね? 屋台で活躍していたと聞きました」
そんなことはないと私が言う前に、ミラクが頷いて
「エ、エルライの暗算は本当にすごいんだよ。あっ、あっという間に計算してしまうから、ボ、ボクたち本当に助かったんだよ」
「それなら是非、ここで会計の仕事があるので、一度やってみないですか?」
ミラクのお墨付きで、タラゼドは歓迎するように手を広げた。
「会計……。私に務まるでしょうか……?」
「大丈夫だと思いますよ。でも確かに不安もあるでしょうし、まずは試しに数日働いてみるのはどうですか?」
体がまだまだ小さいので、力仕事は難しいことを自覚しているし、もしかしたら良い話かもと思った。
「もちろん、誕生の家の農作業との両立でも大丈夫ですよ」
タラゼドがサラリと発したその言葉に私は即決した。
この先、農業と関わることがなくなるかもしれないと思うと名残惜しくて、バジを発つ前まで、少しでも農作業には参加しておきたいと思っていたのだ。農作業と事務仕事なら体力的にもがんばれそうだし、これ以上の条件はない気がした。
明日からこちらへ通うことを約束して役場を出た。
翌日は早めの昼食をとってから役場へ向かった。
到着した時は、みんなまだ食事中だったようで、二階の仕事場には誰もおらず、案内されたデスクで待っていた。
この世界で自分のデスクなんて、なんか変な感じだなと少し可笑しくて笑った。柔らかな木材の感触を楽しみながら机の表面を撫でていると、引き出しがあることに気がついた。そっと開けてみると、中には表面がツルリとした石がいくつか入っている。これは何だろうと見ていると、後ろから声がした。
「それはペーパーウェイトです。窓を開けて仕事をしていると、風が入ってくるので、飛ばされないようにこれを使うんです。そんなに紙を使う場面は多くないのですが、紙は遠方に送るのに重宝しているんです」
タラゼドがペーパーウェイトをひとつ取り出して、持ってきた紙を机に置き、その上に乗せてみせた。私は慌てて椅子から降りてあいさつをした。
「今日からよろしくお願いします」
「まあまあ、そんなに畏まらなくていいですよ。さあ座ってください」
タラゼドは笑顔でよろしくと言いながら椅子をすすめ、自分も近くの椅子を運んできて座った。
そして、これからやって貰いたい仕事の説明をはじめた。
それは想像していた会計の仕事そのもので、収支の計算や経費の精算などを主にやることになった。
ただ、この世界にはパソコンはもちろん、計算機もない。どうやって計算するのか戦々恐々としていたら、どうぞとそろばんを渡された。
そろばんはあるんだと胸を撫で下ろして、使い方は以前の世界で習ったことがあるから知っていたけど、もしかして違いがあるかもしれないと、一通り説明を聞いてから取り掛かった。
あっという間にそろばんを使っている姿を見て、タラゼドが感心していた。
*
「エルライ、旅に出るの?」
ここ最近の私の行動が気になっていたようで、三人で倉庫の整理をしている時に、アルドラとクラズに今後のことを聞かれた。
「うん。お金が貯まったら出発するつもり」
「そっか。僕は釣り師の人のところに弟子入りしようかと思ってる」
「もしかして、あの魚屋さんの?」
以前ナシラに教えてもらった釣り師を思い浮かべると、クラズはコクリと頷いた。
「あの人は名人らしいから、色んなことを教えてもらえそうだね」
これから楽しみだねと話していると
「私も一緒に行く!」
アルドラが突然私に向かって宣言をした。
「え?」
「わたしもエルライと一緒に旅に出るわ」
「ち……、ちょっと待って、アルドラ」
「待たないわ」
「でも旅は準備も色々あるし、お金も必要みたいだし、もっと慎重に考えたほうがいいと思うよ」
アルドラは首を振った。
「今決めたの。お金はこれから何とかするわ」
そう言って、どこかへ飛び出していった。
「大丈夫かな……?」
「たぶん……」
アルドラが出ていったほうを見て、取り残された私たちはポカンとしてしまった。
そんな思いつきで本当に大丈夫なんだろうかと心配していたが、数日後には仕事を獲得したと笑顔で報告してきた。
「それじゃあ今から貯めるから、出発の時期が決まったら教えてね」
「う、うん。わかった」
私はアルドラの行動力の高さに圧倒されつつも、旅の仲間がいるのは良いことだとポジティブに捉えることにした。




