第31話 虎
誕生の祝祭にむけて、町の中心部へミラクと買い物に行ったある日の午後、家に戻ると、食堂にアクベンスとハマルがいた。ふたりとも体を洗った後のようで、さっぱりとした様子でくつろいでいる。ただ家の人達は誰もおらず、ふたりにはお茶だけが出されていた。
「やあ、ミラクとエルライじゃないか」
アクベンスは片手を軽く上げ、声をかけてきた。
「こんにちは」
「や、やあ。旅は順調だったかい?」
「それはもう、今回は特に収穫の多い有意義な旅だったよ。ここを出発してから……」
「に、荷物片付けたりしたいから、ま、また後で聞かせてね」
アクベンスがウキウキして話し始めようとしたが、話が長くなることが分かっているので、ミラクも慣れた様子であしらった。
私は虎の話も聞きたいけど、ハマルが描いた絵を早く見たいと思い、バタバタと買ったものを倉庫に運び、棚に収めていった。それから急いで手荷物を片付けて食堂に戻ると、すでに仕事を終えたアルドラとカーフがひと足先に食堂に戻っていた。そんなふたりの聴衆に向けて、アクベンスは怒涛の勢いで話を始めていた。
聞けばまた最初から話してもらえるのはわかっているけど、途中から参加することにして、椅子にそっと座った。ミラクは今いるメンバーのお茶を持って来てくれて、テーブルに置いてから私の隣に座った。
「虎は森の中で目撃されたらしく、発見された場所を中心に範囲を分けて探していたから、ボクたちもそこに合流したんだ。なんせ虎というのは森の中で目立たないように縞模様をしているらしいから、なかなか見つけられなくてねー。それから野営もして交代で探したんだけど、その時は生息している痕跡すら見つけられなかったんだよね。それでも諦められなくて、しばらく近くの村で他の研究者と一緒に林業を手伝いながら滞在させて貰っていたんだ。結局半年もその村にはお世話になったよー。その甲斐あって、また目撃情報が出て、実際に見たという木こりの人に場所を教えてもらったんだ。何でも普段は入らない場所で、たまたま珍しい植物を見かけて採集していた時に見かけたと言うんだ。かなり距離があったから、もしかしたら見間違いかもしれないけどと言っていてねー。そこは鳥の観察をしていた研究者が見たという場所からかなり離れた場所だったから、最初は本人が言うように見間違いの可能性が高いかもと話していたんだけどねー。でも、もしかしたら他の個体かもしれないし。それで、その場所まで移動をして野営を開始したんだ。そうしたら、ほんの数日で姿を現してね! その姿といったら、もう神々しく、美しく、力強くて! この世界にこんなにも素晴らしい生き物がいるのかと感動したよ! この目で見られたことはまさに僥倖だよ!」
身振り手振りを交えて興奮した様子で話しているアクベンスの横で、ハマルが膝の上に持っていた紙を、スルッとテーブルに広げた。そこには森の中で眠っている一匹の虎の姿が見事に描かれていた。
「虎は大きかったですか?」
私がワクワクしてハマルに聞いた。
「それはもう大きいのなんのって、話には聞いていたけど、実際にこの目で見て驚いたよ。あんなにも大きいなんて思わなかった」
これくらいかなと腕を広げていかに大きいかを説明していると
「そんなに大きな猫がいるなんて信じられないわ」
アルドラがハマルの絵を見て、そう虎を評した。確かに虎は猫科だけど、大きな猫だなんて、自分の中の虎の印象とアルドラの感想が、かなりかけ離れていて面白いなと思った。
「虎は希少な生き物ですよね。そんな虎の生態について研究している人はいるんですか?」
カーフがハマルの絵を見てアクベンスに聞くと、アクベンスは首を振った。
「虎は生息地が人里離れた深い森の中であることが多くてねー、そもそも現在に至るまでの目撃例が少ないんだよね。だから研究するほどの情報も集められなくて、今回も参加した人たちの観察記録をとりまとめていたのは、普段は猫の生態を研究している人だったよ。しかも虎は刺激すると襲ってくるという古い記録があるから、発見できたとしても、下手に近づくことは出来ないんだよねー。前足の太さなんてこれくらいで、万が一押さえつけられたら、絶対に逃げられないだろうし。しかも筋肉の塊のような体をしているから、もし襲われでもしたらひとたまりもないだろう、というのが、みんなの一致した意見だねー」
確かに、動物園のような安全のための鉄格子もない状態で観察するなんて、遠目だとしても普通に恐ろしい。
「命懸けの観察だったのね。ふたりとも無事で本当に良かったわ」
いつの間にかシェアトとルクバトも椅子に座って聞いていたようで、シェアトはふたりにそう微笑んだ。
「今回は本当に条件が揃っていたんだよー。さすがにボクがいくら好奇心旺盛でも、空腹の虎に近づいたりはしないよ。食事をした形跡もあって、恐らくは満腹で昼寝をしていたんだねー。ボク達が見ていることも気づいている様子だったけど、距離を詰めなかったし、静かにしていたから、許されたんだと思う。そうでなければ、あまりにも危険でハマルにスケッチなんて頼めなかったよー」
そう言って、アクベンスは優しくハマルの頭を撫でた。ハマルはされるがまま、面映い様子で笑った。




