3・令嬢は領地に行けば眠れると思っていた
とうとう、その日がやってきてしまった。
「こうやって二人で遠出するのは初めてだな」
嬉しそうな笑顔の殿下に、わたくしは少々げんなりしてしまう。
「ええ、そうですわね」
顔には出しませんけど。
しかし、殿下は大変お疲れのようですわ。
「あ、すまん、眠ってしまっていたか」
寝不足らしく、休憩で馬車が停まる時だけ起きるという有様。
宿に到着しても、夕食を終えると殿下はすぐに部屋に入っていく。
どうやら、この日のために勉強も訓練もまとめてやって来たらしい。
呆れた。
毎日コツコツやるから身につくのであって、一挙にやってしまったら意味ないでしょ。
成長期の殿下なら尚更よ。
王都から領主館のある町までは片道五日程度。
領地に入った頃に、ようやく殿下の体調が戻ってお元気になられた。
「正直、ここまで馬車が寝心地が良いとは思わなかった」
いえいえ、王家の馬車だからですわ。
普通の馬車では誰もこんなにスヤスヤと眠れませんもの。
お蔭で、今度は私のほうが緊張で体調を崩し、侍女を呼んで馬車の中で横になっている。
五日も殿下と同じ馬車ですもの、緊張して当たり前でしょ。
そんな状態でも殿下はわたくしと一緒に居たがる。
正直、王家の馬車は乗り心地が良くて助かりますけど、二人でお話など無理ですわ、ウプッ。
領主館の前で馬車が停まる。
そこには領地の騎士団が待ち受けていた。
「おおおおおお、憧れの地!」
あーそうですかー。
殿下は元気いっぱいで先に飛び降りて、外の空気を満喫しておられる。
「姫様!」
「おじ様、お久しぶりです」
出迎えた脳筋騎士団長様がふらつくわたくしを抱き上げて運んでくださった。
手を貸そうとしてくれてた殿下はショボンとしてたけど、安心感が違うんでー。
「殿下もお久しぶりでございますな。 後で剣の腕が上がったか見せていただきますぞ」
微笑み合う二人。
「うん、久しぶりだね。 私も師匠に会えてうれしい」
あ、あれ?。
この二人、知り合いだったのね。
夕食は三人で顔を合わせ、主におじ様の話を聞いている。
「わしは王家の近衛兵を辞する時に、公爵閣下に拾っていただきましてな」
その話は父上様から聞いたことがある。
王族直轄の近衞騎士は兵士の頂点だ。
おじ様は、その卓越した剣技と体力で近衞騎士に登り詰めた努力と才能の人。
「うんうん。 私は幼い頃から師匠に稽古をつけてもらっていたんだ」
殿下は『剣術を教えてくれ、師匠になってくれ』と、王宮で仕事中のおじ様を追い掛け回していたらしい。
いくら脳筋でも王子のお願いは断り切れなかったみたいね。
さっそく翌日から二人揃って庭で鍛錬をやっている。
殿下の相手をしなくて良いのは楽だけど、はっきり言って煩い。
ただでさえ、魔獣の森に近い領地の兵士たちは脳筋揃い。
領主館に併設されている兵舎の訓練場で毎日、万が一に備え訓練している。
そのため「領主館は煩いのだ」と父上様から聞いていた。
まったくもってその通りですわ。
ですが、それも彼らの務め。
わたくしには彼らの姿は頼もしく思える。
「お嬢様、本日はどうなさいますか?」
侍女に予定を訊かれたけど、はっきり言ってまだ体調が良くないのでゴロゴロしたい。
「かしこまりました」
「えっ、いいの?」
いつもは礼儀作法や言葉遣いに厳しい高齢の侍女の顔を見上げる。
「ええ、ここは王都と違って周りの目がございませんからね。 ご自由になさってくださいませ」
わーい、やったー!。
数日後。
その日ものんびりと過ごし、夕方になって森から戻られた殿下に呼ばれ、庭へと向かった。
「見てくれ!、私と師匠で倒したのだぞ」
「キャーーーッ、魔獣!?」
わたくし、まだ魔獣には慣れておりませんの。
動かないと分かっていても、一目見ただけで心臓がドクドクして足が震えてしまう。
「大丈夫だ、キミは私が守る!」
殿下が大慌てで、必死にわたくしに向かって主張する。
(あ、これってー)
わたくしはその殿下の姿を懐かしく見つめていた。
その夜、わたくしの部屋を殿下が訪れる。
昼間、驚かせてしまったお詫びを兼ね、どうしても話したいことがあると言う。
王都へ戻れば、また朝食以外はすれ違いの生活が待っているし、まあいいでしょう。
緊張した顔の殿下は一つ咳をして話し出す。
「キミ、今でも恐い夢を見るだろ?」
ドキリとした。
「え、どうしてそれを?」
わたくしは眼を逸らす。
弱みを握られた気分ですわ。
「キミが怖がりなのは、昔、王宮で私が飼っていた魔獣のせいだと聞いた」
まだ幼い私に得意気に魔獣を見せたのは殿下である。
「それを聞いて、ずっと申し訳ないと思っていた。
しかも王宮でも、たまにキミのうなされる声がすると聞いて」
殿下の声がだんだんと小さくなる。
「そう……ですか」
「だから私はキミを守れるような強い男になろうと決めたんだ」
だから何って感じだけど。
わたくしは、フゥーっと大きく息を吐いた。
「殿下。 では、わたくしも一つ、お話しいたします」
「う、うん」
覚悟を決め、じっと殿下を見る。
「わたくしが王宮で見た恐ろしい夢というのは」
「うん」
「魔獣ではなく、大人になった殿下が、わたくしに『婚約破棄』を告げる夢です」
「は?」
殿下はポカンと口を開けている。
初めて王宮を訪れた日。
わたくしは殿下の凛々しいお姿にドキドキしていた。
他にも何人かの令嬢が来ていた茶会の席である。
わたくしは何とか殿下と親しくなりたいと、魔獣の話も頑張って聞いていた。
だけど、魔獣はむーりー。
「初めての王宮でのお茶会で殿下に対し、あのような失態を犯してしまいました」
元より両家は仲が良くないのに、わたくし自身も殿下に嫌われてしまった。
思いがけず婚約が決まっても、王族や貴族の婚姻は本人の意思とは無関係であることは子供でも知っている。
それでも何故か、夢の中で、わたくしは酷く衝撃を受けるのだ。
「ですから、わたくしは怖くて仕方がなくて」
そんなわたくしを見て殿下は慌てて否定する。
「大丈夫、絶対そんなことしないと誓うから!」
わたくしは殿下に突然、手を握られて驚く。
「わ、わかりましたわ」
早く手を離して欲しいのでコクコクと頷く。
痛いんですのよ!。
「はー、やっと気持ちが通じた」
殿下はホッとした顔をしていらっしゃいますけど、本当によろしいのかしら?。