第三話:神様のお気に入り
「ひでぇよ神様。あの子がなにしたっていうんだ……」
生徒の、妹みたいな子の、ちょっとした願いを叶えてやりたいと奮闘していた幸助だったが、日を追うごとに弱っていく朱里を見て、なにもできない自分に歯がゆい思いを抱いていた。
そんなある日、生家での夕食後、父を相手に酔ったふりしてくだを巻いていた。
酔いにくい体質の幸助は、酒に溺れることもできず、しかし、酒を理由に酔ったふりでもしなければ、愚痴をこぼすことも憚られていた。
これでも、教師の仕事にプライドを持っていたから。
せめて、表面上は取り繕わないといけないと思っていたから。
「慰めにもならねぇが……」
一杯やったあと、大きくため息を吐いた父。
酒のにおいのする息をもう一つ吐いたあと、ぽつりと語り出した父の言葉に耳を傾ける。
『神様のお気に入り』という言い回しがある、という。
それは、多くの人に愛される人や、特に優れた才能を持った人が早世するのは、神様がその人のことを気に入って、早く自分のそばに置きたいから。だから、早くに亡くなってしまうのだという。
「だからって、あの子は、納得しているのかよ。向こうへ逝きたいと言ったのかよ……」
「幸助、できるだけ長くあの子のそばにいてやってくれ。手術とかでなんとかなるなら、金は村中からかき集めていくらでも出せるが……。今の時点では、手もつけられないらしい。可能性はゼロじゃないというがな」
「なんとか、なるのか……?」
川井の親父さん……朱里の父親……から話を聞いていた父は、首を横にふる。
「当の本人がな、朱里ちゃんがな、最後は第二の故郷のここで迎えたいっていうんだよ。病院で、ひとりぼっちで死ぬのは嫌だと」
「なんで……っ!」
「なんでって、そりゃあ、『先生』ならわかんだろ? 幸助先生?」
声も出ずに、うなだれる。
当の彼女は、今思い出作りの真っ最中だからだ。
もうじきくる、別れに備えた、思い出作り。
それはまるで、残される俺たちのための思い出作りにも思えて。
他の生徒たちは、1人になると泣いている子もいると、保護者から聞いている。
日に日に、身体が弱っていくのが、見ていてよく分かる。
やがて訪れる別れを思い、泣いているのだと。
「できるだけあの子の願いを叶えてやってほしいというのは、村の大人の総意でもある。ここを第二の故郷と言ってくれたんだ。俺たちゃあそれでいい」
あとは、俺がやれるだけのことをやるだけか……。
……そういえば、近いうちに祭りがあるんだっけ。
そして、朱里はその祭りの花火を見たいと言ってたっけ。
「……分かった。やれるだけやってみる。ありがとう、親父」
真剣に感謝を伝えてみれば、当の親父は照れくさそうに鼻を鳴らしていた。
※※※
ほとんど寝たきりになり、自分で動くことが難しくなった朱里を背負い、祭りの会場から少し離れた人気のない場所へやってきた。
二人で一緒に花火を見るという約束を叶えるために。
「朱里、ほら、見てごらん。今年の花火だ。ちゃんと見られたじゃないか」
「……」
「朱里? 花火を見る約束、叶ったよ?」
「……はい、先生。……叶いましたね。……じゃあ、次の願い事、叶うかなぁ……?」
耳のすぐそばから聞こえる、弱々しくも嬉しそうな朱里の声に、自然と涙がこぼれてしまう。
「叶うさ。言葉にすれば、きっと叶う。ほら、いってごらん?」
「……じゃあ、先生、笑って? 泣かないで、幸助さん」
どれだけ我慢しても、しゃくりあげる声が漏れてしまう。
これでは、朱里が笑って逝けないではないか。
「……ごめんなさい、幸助さん……。私、わがままばかりで……」
「それは違う。俺が、俺の意思で、君の願いを叶えたいと思うから。だから、わがままなんて思わない」
彼女の両親どころか、わずか10年ほど年上の俺よりも、先に逝ってしまう朱里。
その願いを叶えるためなら、大したことはないといえた。
教師と、生徒ではなく。
男性として、愛しい少女の願いを叶えるためなら。
俺は、悪魔に魂を捧げてもかまわない。
だから、朱里。
1日でも、1秒でもいい。
笑っていてくれ。
※※※
疲れて寝てしまったのか、朱里の静かな息づかいを聞きながら、できるだけ揺らさないように帰る。
朱里の身体は、驚くほど軽い。
筋肉が衰えて、食欲もなくなり、痩せ細っていっている。
村の大人たちは、なにも言わない。
ただ、静かにその時を迎える心の準備を整えているのだ。
どうか、神様。
なんの罪もないこの子を、まだ連れていかないでくれ。
普通の女の子と同じように、笑って、泣いて、怒って、青春を謳歌させてほしい。
もう少しだけ、もう少しだけで良い。
あげられるもの全てをあげたいけれど、それは叶わないから。
この子には、少しでも多くのものを持たせてあげたいだけなんだ。
だから、もう少しだけ……。
どうか、どうか……。
「ここまでだ、あほうが」
気がつけば、見知らぬ男性が腕を組んで仁王立ちしていた。その後ろには、白衣の男性たち。
「……どちら様で?」
「医者だ。あんたが背負ってる少女を診察した医者が、泣きついた相手だ」
苛立ちが分かるくらいの声と表情。
それはきっと、こんな状態の朱里を連れて出歩いた俺に対するもので。
「その子の状態を確認するために、今すぐ病院に連れていく」
「そんな、急に」
「その子の両親の同意書と、誓約書だ。その子の病気は症例が少ないから、治療がうまく行くかは分からない。失敗すればすぐに連絡がいくだろうさ。……さあ、連れていってくれ」
待機していた白衣の男性たちによって、慎重に丁寧に運ばれていく朱里。
……唐突に、もう、朱里には会えないと、なぜか確信があった。
「ま、待ってくれ」
「待っている暇などない。意識がないのは、ただ眠っているだけか? その子の両親から、その子の状態を聞いた。なにもしなければ、その子にはもう、わずかな時間しか残されていないだろう。だから、その子のためを思うなら、邪魔はしないでくれ」
「そんな……」
朱里と、ちゃんとお別れもしていないのに。
朱里を、笑顔で見送るはずだったのに。
これで、お別れなのか?
「信じろ」
膝をつき、下を向いた顔を、上げる。
視線の先には、強い意思の込められた、燃えるような瞳の男性。
「信じろって、何を……?」
「その子との未来を」
あり得るのだろうか?
……望んで良いのだろうか?
…………夢見て、良いのだろうか?
朱里との、未来を。
「お願い、します。朱里のこと、どうか」
汚れるのもかまわず、地面に頭を擦り付ける。
「お願いします。どうか、助けてやってください。お願いします」
「神ではない俺には、確約などできない。……だが、医者として最善は尽くす」
こうして、恋がしたいと言った少女は、なにも言えずに俺の前から居なくなった。




