モーツァルトのレクイエムの補筆について
モーツァルトのレクイエムは1984年の映画「アマデウス」以降、宗教曲としては異例の人気を誇っているように思います。曲の内容のすばらしさだけでなく、謎の人物からの作曲依頼といった神秘的な伝説が夭折した天才の最期を飾るのにふさわしいとみなされたのでしょう。
わたしは、彼の最高傑作は「フィガロの結婚」か「ドン・ジョヴァンニ」、ジュピターなどだろうと思いますが、この曲もザルツブルク時代に多く書いた宗教曲の土台の上にウィーン時代に飛躍的に進歩したオペラで培ったきめ細かな表現力が実った、彼の音楽の総決算を目指したものといいでしょう。……これが未完成に終わったのはいかにしても残念です。
作曲の経緯としては、フランツ・フォン・ヴァルゼックという伯爵が亡くなった妻のために自作として演奏しようと匿名で依頼したことがわかっています。些か滑稽なのは、1793年にウィーンで開かれたモーツァルトの追悼演奏会で初演されていたのに、この伯爵はウィーン近郊で自作として演奏しています。
モーツァルトが亡くなった時には「怒りの日」のうちの「涙の日」の8小節までと、奉献唱の最後から2行目までの分についての声楽しかできておらず、オーケストレーションはもっと未完成でした。かなりの作曲料の半額を手付けとして受け取っていた妻のコンスタンツェとしては何としても完成させたかったわけです。
これを当初、友人のアイブラーが依頼を受けたのですが、少し手をつけただけで放棄してしまいました。アイブラー自身、1803年にレクイエムを作曲していて大変優れた作品なので彼が完成していてくれればという気になりますが、実力があるだけに躊躇を感じたのでしょう。でも、モーツァルトのレクイエムを理解する上で、ミヒャエル・ハイドンのものとともにぜひ聴いていただきたいです。
なお、Wiki「レクイエム (モーツァルト)」には「モーツァルトも高く評価していたヨーゼフ・アイブラーが補作を進めるが、なぜか8曲目の途中までで放棄する」と記載されていますが、8曲目は「涙の日」なので理解に苦しみます。しばしばそうであるように英語版のWikiの方が譜例も載っていて充実しています。
それで途中経過を省くと弟子のジュスマイヤーに委ねられ、現在通常聴かれるようなものになりました。こうした経緯から本来のモーツァルトの作品を復元しようという試みやアイブラーの補筆版などもあるようです。しかしながら、『ジャパンレクイエム』の『6.二人の美女へのお賽銭~OFFERTORIUM』の初めの方で書いたように私は保守的な立場で、その理由はそこで書いたような感傷的な理由もありますが、才能としては劣るジュスマイヤーにしてもモーツァルトのそばにいたわけですし、また宗教曲の伝統の中にいたのですから、現在の学者や音楽家の分析的なアプローチによって簡単に否定されてよいのだろうかと思うからです。何より「アマデウス」で鳴っていたレクイエムはジュスマイヤーが補筆した部分が少なくなかったんですが、そんなにおかしくなかったでしょう?